■汚屋敷の跡取り-51.二分の一成人式(2015年03月21日UP)
押入れの襖は四枚。
ドア側二枚は開放できるが、窓側二枚は前にパソコンデスクがある為、開けても搬出できない。デスクを移動させるより、オレが押入れに侵入した方が早い。
下段奥のエリアは、受験関係の本だった。
元々本棚に入っていた教科書、参考書、赤本、理科や社会の資料集、歴史対策用の美術史、音楽史、試験によく出る古典や純文学の文庫、辞書や事典。
高校の三年間、定期購読した「月刊蛍雪次第」。分厚い総合受験雑誌は、それだけで相当なスペースを占拠していた。
受験の役に立たなかった膨大な書籍群を引っ張り出すと、下段が空になった。大きさ別に紐で縛って廊下に出す。
学習机の椅子を踏み台にして、押入れの上段奥地に突入する。
簿記のテキストと問題集が積んであった。
大学を諦めた後、公認会計士か税理士にでもなって、この辺一帯の農家の経営を掌握してやろうと思って勉強していた。
試験会場が遠かったのと、証明写真を撮りに行くのが面倒で、結局、受験せずに終わった。
何年か前に会計の制度改革があり、過去のテキストはもう通用しなくなっていた。
簿記の横には法律関係のテキストと六法全書と判例百選があった。
弁護士か司法書士にでもなって、この辺一帯の農家の相続とか、そう言うのを掌握してやろうと思って勉強していた。
判例百選でマジキチな事件記録を読むのは面白かったが、法律用語が分かっている前提で書かれたテキストは、法学部じゃないオレには、意味不明だった。
毎年、何らかの法改正があって、六法全書も毎年買い替えが必要だった。バカバカしくなり、法曹を目指すのもやめた。
無用の長物と化した書籍類を紐でまとめて出す。
小中高、十二年分の授業ノートを発掘した。たくさんのバインダーやポケットファイルも出てきた。
中身は、学校のプリント類と小テストに至るまで、八十点以下が一枚もないテストの答案用紙十二年分。
すっかり変色した紙類も、バインダーごと紐で縛る。
少し考えて、通知表とテストの成績一覧表のファイルと、表彰状と検定の認定証が入ったファイルは、学習机の上に置いた。
……メイドさん、この証拠で、オレがどんなに優秀だったか確認して、偲んでくれよな。
紐を手に食いこませながら書籍類を運び、学習机附属の本棚も庭に出した。
汗と埃で泥々になりながら、更に押入れの奥地に入る。
黒い筒に入ったままの卒業証書が出てきた。朽ちた紅白リボンが巻きついた筒は、ゴミ袋に、中身は賞状のファイルに入れた。
その奥にある内容物不詳の段ボール四箱を出し、押入れの上段も空になった。
押入れの内容物は、全て庭に出し終えた。
トイレに寄り、もう一度顔を洗ってから、天袋に挑む。
空腹は既にピークを越え、何も感じなかった。
押入れの上段に登り、天袋の小さな襖を開け、一番手前の段ボールを引っ張り出す。
バランスを崩し、しまったと思う間もなく落下した。ガムテで塞いでいなかったのか、中身が床に散乱している。
工作の授業で作ったものだった。
何とか期限までに提出していたが、どれも酷い出来だった。
そもそもオレは、受験に関係ない科目はどうでもよかった。
体育以外の授業では、教員の目を盗んで単語帳を自作したり、他教科の教科書を読んだりしていた。
中身を箱に戻し、ガムテープで蓋を閉めて廊下に出す。
次の段ボールは手応えが重い為、慎重に降ろす。床の上で中を確認してみた。
授業で描いた下手糞な絵とスケッチブックだった。何故、こんな物まで後生大事に取っておいたのか不明だ。
ガムテで厳重に封印し、廊下へ。
天袋に上半身を突っ込んで、奥の段ボールも引きずり出す。この箱は、もう遊ばなくなったおもちゃだった。
全てジジババに買い与えられた物だ。
オレ自身が選んだ物はひとつもない。
この辺には、おもちゃ屋なんてないし、街のおもちゃ屋に連れて行って貰った事は、一度もなかった。
聖夜前の新聞の折り込みチラシをワクワクしながら見ていた。そのチラシを見せながらババアにねだったが、毎年「おじいちゃんに聞いてからね」と軽くあしらわれた。
聖夜明けの朝、オレが欲しがった物とは微妙に違う物が、枕元に置かれていた。
期待と失望。誕生日も毎年、その繰り返しだった。
残念なおもちゃ箱は、五箱出てきた。
最後の一箱を降ろし、天袋が空になったと思ったが、隅にA4サイズの紙束が見えた。
天袋の中を匍匐前進して紙束を拾う。
それを畳の上に投げ、足先からそーっと降りた。
紙束は「二分の一成人式」の為に学校で作らされた自分史だった。
生まれてから十歳までの主な出来事の年表、嬉しかった事、頑張った事、褒められた事、これから頑張りたい事、将来の夢が、拙い字で綴ってあった。
後半は、春夏秋冬の代表写真十年分、計四十枚が糊付けされたアルバムになっていた。
七歳までの写真には、オレと一緒に微笑むオフクロの姿があった。
この写真の選定作業は苦行だった。
二分の一成人式の後、返却されたこれを読み返す気はなかったが、捨てる事も出来なかった。
十歳のオレは、押入れによじ登り、天袋の奥深くへと投げ込んだのだった。
「……母ちゃん」
三十年振りにこの単語を口にした。