■汚屋敷の跡取り-18.台所(2015年03月21日UP)

 目の前に、お盆を持ったメイドさんが立っていた。
 「いや、大っゴホッ……大丈夫。いや、ちょっと、むせただけ」
 「そうですか。これ、お夕飯です。お部屋で召し上がりますか?」
 全身から血の気が引いた。部屋のドアは今、全開だ。
 「い、いや、いい。じゃなくって、あのっあれ、あー、あそこ! 台所! あっため直して食うから!」
 「そうですか。では、お台所にお持ちしますね」
 オレはメイドさんの後に続いて台所に入った。
 入口にぶら下がっていたジャラジャラうるさい玉暖簾がなくなっている。
 壁のスイッチを入れて驚いた。
 ここも片付いている。
 メイドさんは六人掛けのダイニングテーブルの一角にお盆を置いた。
 このテーブルはオレが知る限り、食器棚に入りきらない食器や、レシピの切り抜き、公共料金の領収証や納付書、郵便物、レシート、古新聞、油煙でギトギトのプラ籠に入ったストローや割箸やコンビニのスプーン、調味料の瓶や小麦粉等の粉類、新品の食材も、使いかけの食材も、傷んだ食材もごちゃ混ぜで満載で、食べこぼしと煙草のヤニと油煙のコーティングで脚までベタベタになっていて、完全に使用不能だった。
 テーブルの下にもサツマイモやジャガイモ、タマネギ、大根等の根菜類が入った段ボールが置いてあり、仮に椅子に座れたとしても、足を入れる余地がなかった。勿論、それらの食材は芽が出たり、腐敗したりしてドブより酷い臭いを放っていたが、オレが知る限りずっとその場所にあった。
 今、食卓の上には、ついさっきメイドさんが置いた夕食のお盆以外、何もない。
 六脚の椅子もそうだ。
 色々こぼして変色した座布団の上に、ババアが古いセーターをほどいて編んだ座布団カバーを敷いて、その上に更に郵便物、ビニール袋、汚れたエプロンやタオル、インスタント食品が入った段ボール箱、古新聞、古雑誌等が載っていて、人間が座る余地は全くなかった。
 って言うか、何でこの家は、要所要所に終わってる食べ物やら、古新聞、古雑誌、紙ゴミ類が散りばめられてんだよ!
 今は、椅子の上に何も載っていない。汚座布団(おざぶとん)すらない。
 「優一さん、温め直しますので、手を洗ってお待ちください」
 「いや、えっ……あ、ああ……」
 声を掛けられ、言われるままにゴム手袋を外し、洗面所に向かう。
 手を洗うついでに、鼻水の付いたマスクを洗面所のゴミ箱に捨てた。
 オレが知っている台所は、壁面にびっしり隙間なく並べられた食器棚の前にも食器棚が置かれ、更にその前に上に物が満載されたカラーボックスが置かれ、ブロック崩しのパズルゲームのようになっていた。
 床には油や野菜屑がこびりつき、ネズミやゴキブリの糞で真っ黒になっていた。
 天井も、僅かに見える壁もヤニと油煙でギトギトのベタベタで茶色かった。蜘蛛の巣に埃と油煙がからまった黒い塊が、何本も天井から垂れさがっていた。
 流し台にも洗い籠にも食器が山盛り、吊り戸棚と流しの上のステンレス棚は、鍋やタッパで溢れかえり、その全てが油煙で煤けてベタついていた。
 三角コーナーも排水口も、常にヘドロのような物が詰まって異臭を放ち、ゴキブリやコバエ、ナメクジ等を見ない日はなかった。
 換気扇は油煙で黒く固着して、スイッチを入れてもモーター音がするだけで回らず、ガスコンロも、油煙や吹きこぼれ等でコーティングされて、表面が見えなかった。
 冷蔵庫の扉は、メモやレシートが隙間なく貼られ、ボディカラーが何色なのかすら、記憶にない。
 さっき見た台所は、リフォームしたようにキレイだった。
 食器棚はひとつだけ。
 床、壁、天井はピカピカ。
 見える範囲に食器は見当たらず、換気扇は新品のように輝いていた。
 冷蔵庫の扉には一枚の紙片もなく、ガスコンロは錆びて古ぼけてはいたが、清潔だった。
 メイドさん、マジパネェ。
 チーン!
 レンジの音で我に返り、台所に戻った。
 清潔な食卓の上で、ラップを外された食器から、美味そうな湯気が上っていた。
 焼き鮭、肉じゃが、おひたし、味噌汁、ご飯。
 「食器は明朝、回収致します。お着替えは居間に仮置きしています。袋は新品と交換しましたのでご安心下さい。寝る前に戸締りをお願いします。それでは、ごゆっくり」
 一気にそう言ってお辞儀すると、メイドさんは台所を出て行った。
 慌ててその背を追う。
 「いや、ちょっちょっと待って! メイドさん!」
 「何か御用でしょうか?」
 「いや、あの、あれ、あいつら、賢治と真穂は?」
 「皆様、分家にご逗留です。今夜もこの家には優一さんお一人です」
 「は? いや、それは違うだろう? あいつら本家なのに、分家に泊まるって、おかしくね?」
 「さぁ? 私はご事情まではお伺いしておりませんので……」
 「いや、そっそう……あー、いや、よっ、夜道は危ないし、おっ、おぉ、送ってくよ、オレが!」
 「大丈夫ですよ。帰りは飛んで帰るように命じられておりますので」
 メイドさんは玄関を一歩出て、にっこり微笑んだ。
 ポン! と、紙袋を割ったような乾いた音がした瞬間、メイドさんの姿が消えた。
 周囲を見回し、背後も見たが、メイドさんの姿はどこにも見当たらない。
 「ホウ」
 足下から声がした。
 メイドさんと同じ琥珀色の瞳をした梟が、オレを見上げている。
 梟は、音もなく冬の夜空に舞いあがると、呆然とするオレを残して分家の方へ飛び去り、あっという間に見えなくなった。
 あぁ、うん。彼女も魔女なんだよ。変身の魔法くらい使えるわな。
 王族の侍女なんだから、護身用の術のひとつやふたつ使えるわな。この国の痴漢くらい、余裕で倒せるわな。
 台所に戻り、ぬるくなってしまった料理を掻き込んだ。
 食器を流しに置いて、一瞬、洗おうかと思ったが、やめておく事にした。
 皿洗いなんて、今までやった事がない。
 手が滑って落として割ってしまうのがオチだ。
 メイドさんに割れ物の後始末をさせる訳にはいかないし、メイドさんのせいにされて分家の嫁にいびられでもしたら大変だ。
 大体、男子厨房に入るべからずじゃないか。
 オレは茶色く変色した襖を開け、台所の隣にある居間を覗き込んだ。
 ここも台所や廊下に負けず劣らずカオスな部屋だった筈だが、スッキリ片付き、壁や天井、窓までキレイになっていた。
 居間にあるのは、新しい薄型テレビとこたつ、黒ゴミ袋三つと、段ボール箱五つだけだ。
 こたつには、こたつ布団がなく、窓のカーテンすらなかった。
 ガランとした部屋に入り、口が開いたままの袋を確認する。……オレの服だ。
 段ボールはひとつを除いて未開封。いずれも「家庭用45Lポリ袋(黒)50枚入り20梱包」の文字とメーカー名が印刷されていて、封の透明テープは黄色く変色していた。
 開封済みの箱の蓋を開けると、箱の印刷通り、45L黒ゴミ袋の50枚入りパックが入っていた。何パックか減っている。
 こたつで寝ようと思っていたが、こたつ布団なしでは無理だ。
 仕方がない。今夜は徹夜で掃除しよう。

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