■汚屋敷の跡取り-04.正統派メイド(2015年03月21日UP)

 控えめなノックの音で目が覚めた。寝落ちしていたらしい。
 「優一さん、おはようございます」
 若い女の声がオレの名を呼んだ。
 ディスプレイはエロゲではなく、昨夜のまとめブログのままだ。
 かわいく描き直された求人広告の美少女イラストに「ウチらと一緒に働こ☆」と台詞が付け加えられたものが、画面いっぱいに表示されている。
 テンプレ美少女イラストだが、「萌え」をよくわかっている。
 再度のノックでドアに目を向ける。
 「優一さん、朝食をお持ちしました」
 ……誰だ? 
 真穂なら「優一さん」なんて他人行儀な呼び方はしない。
 半分しか血が繋がっていないからか、母親の躾がなっていないのか、長兄のオレを「ゆうちゃん」呼ばわりする。
 後妻の美波は、オレより七歳上なだけだが、充分ババァだ。こんな若い声なワケがない。それに、離島に引っ込んで何年も帰っていない。
 ディスプレイの右隅に目をやると、12月27日午前08時31分と表示されていた。
 入院中のババアが、気を利かせて出前でも取ったのか? 
 朝は寝てるから、飯はいらねーつってんのに。
 「優一さん、開けて下さい」
 色々と諦めて、堆積したゴミを掻き分けてドアに接近し、一センチばかり開けてやった。
 死角に立っているのか、女の姿は見えない。
 卵焼きの匂いがする。
 強引にドアを引いて、隙間を顔の幅程度に広げた。
 メイドだった。
 二十歳前後くらいの清楚なメイド。
 それも、なんちゃって萌えメイドではなく、古き良き時代の正統派だ。
 膝「下」二十センチの黒のロングワンピースに身を包み、その下に履いているのが黒のタイツか靴下か不明だが、肌の露出は顔と手首から先のみ。
 純白のエプロンには、控えめなフリルが上品にあしらわれている。
 ヘッドドレスではなく、清潔な白の三角巾で艶やかな黒髪を覆っていた。
 肌は健康的な小麦色で、くっきりした黒い眉、二重瞼に琥珀色の瞳、スッキリ通った鼻筋、彫りの深い顔立ちで、何処の国かはわからないが、エキゾチックな美人だと言う事だけは確かだ。美人だと評価しない奴は審美眼が腐ってるんだろう。
 手に持ったお盆には、海苔を巻いた三角おにぎりとキレイな焼き色の卵焼き、箸と急須と湯呑みが載っている。
 「お盆が通れませんので、もう少しドアを開けて下さいませんか?」
 物理的に無理。
 これ以上は開けられない。
 メイドさんは、困った顔でオレの顔を見詰めてきた。
 髭剃っててよかった……! いや、じゃなくって! どうすれば……メイドさんにこんな汚部屋見せらんねぇ……つーか、汚部屋でなくても色々とマズイ物もあるし……いや、じゃなくって! あー……オレ! オレが出ればいいんだよ!
 廊下! オレ、出る! メシ、食う! メイドさん、喜ぶ!
 「あ……いや、待って! いや、あの、で……出る! 出る出る! オ……オおオォぉオレ! 廊下!」
 二十年近くババア以外と殆ど会話していない上、ここ一カ月近くはそのババアとも会話していないせいか、頭の動きに口がついてきてくれない。
 メイドさんは一歩下がって、ドアの前にスペースを開けてくれた。
 オレは、猫のように頭ひとつ分の隙間に体を通して、廊下に出た。
 「居間で召し上がりますか?」
 「あー……、いや、ここ……ここでいい」
 「寒くありませんか?」
 「いや、大丈夫。オレ……えー……雪国育ちだし、いや、寒いの平気だし」
 オレが階段のてっぺんに座ると、メイドさんはその隣に腰を下ろした。そして、急須と湯呑みを廊下に降ろした後、お盆をオレの膝の上に置く。
 オレはお盆が滑り落ちないように膝を立て、箸を手にした。
 靴下、履き替えといてよかった。
 「あ……いや……これ、君……作ったの?」
 「はい。お台所をお借りして、作りました」
 メイドさんの手造りおにぎりと卵焼き。
 寒い筈なのに体の芯が熱くなり、ワケわからん体内温度に混乱したのか、箸を持つ手が震えて止まない。
 メイドさんは、オレの隣で屈託なく微笑んでいる。
 いや、かわいいけど、マジでこの娘、どこの店の出前だ? ……いや、って言うか、出前は他人ん家の台所で朝飯作らねーし!
 「あ……メ……いや、あの……あー、いや、君、誰?」
 「クロエと申します」
 黒江……? 親戚にそんな苗字の奴は居ない。ハイ、身内説消滅!
 まぁ、尤も、二十年近く親戚付き合いもしてないから、従弟達の誰かが「黒江」さんってのと結婚して婿養子……いやいやいやいや、何でだよ! 仮に従弟の嫁だったとして、何でメイド服なんだよ!
 「優一さん、冷めない内にどうぞ?」
 「あ、いや、その……うん」
 取敢えず、卵焼きに箸をつけた。
 折角のメイドさんの手料理、冷めたら勿体ない。
 ババアのやたらしょっぱい塩分濃い口の焦げた厚焼き卵と違って、ふんわりやさしい味のする出汁巻き卵だった。
 こう言うの「上品な味」って言うんだろうな。
 三等分された卵焼きの一切れを飲みこんだ後、左手でおにぎりを掴んで口に運ぶ。
 絶妙の塩加減のご飯に海苔の風味が合わさって、美味かった。口の中でご飯粒がほどける。ババアが全力で握り締めた高密度の握り飯とは、完全に別物だ。
 オレが指にくっついた最後のご飯粒を口に運ぶ頃、メイドさんは湯呑みにお茶を注いだ。
 オレが湯呑みを受け取ると、メイドさんはオレの膝からお盆を取り、急須を載せた。
 程良く冷めたお茶は、時間が経ち過ぎていたせいか、かなり色が濃い。
 一口すすった瞬間、はっきり目が覚めた。
 ……聞きたいのは名前じゃない。何者なのか、だ。
 営業か? ヤバイ新興宗教か?
 何故、ウチの台所で朝飯作ったんだ?
 そもそも何故、オレの名前を知ってるんだ?
 「ご主人様がお庭でお待ちです」
 ……ご主人様?
 あぁ、まぁ、オレを「優一さん」って呼んでる時点で、薄々気付いてはいた。
 オレが彼女のご主人様じゃない事は、わかってた。わかってるわかってる。で、そのご主人様って誰だ?
 ジジイやオヤジが、金払って人を雇うとは思えん。分家の米治叔父さん? いや、でも何で?
 「私は洗い物をして参りますので、優一さんは先にお庭にお出で下さい」
 メイドさんはそう言って、オレの手から、空の湯呑みをそっと取った。
 オレの手に、メイドさんの柔らかな指先が触れ、全神経が手に集中する。
 メイドさんは、猫のようにしなやかな動作で障害物をよけながら、階段を下りて行った。きっちりとまとめられた髪の束に隠れて、うなじは見えない。
 「あ……いや……その……待っ……」
 「ご主人様が、優一さんにお伝えしたい事があるそうです」
 メイドさんは、立ち止まる事なくそう付け加えて、一階の廊下の奥に消えていった。

03.自室←前  次→05.初めまして
↑ページトップへ↑

copyright © 2014- 数多の花 All Rights Reserved.