■汚屋敷の跡取り-34.皿洗い(2015年03月21日UP)

 「貴方は、何故、自分が使った食器を、自分の手で、洗わないのですか?」
 隊長は明らかに棘のある口調で、ひとつひとつ確認するように質問を言い直した。一分の隙もない完璧な発音の日之本帝国語だった。ネイティブスピーカーのオレは、震える声でようやく返答する。
 「いや……そっそれは……その……あの……洗った事……なくって、お……落として……その、わっ割ったら……おっ怒られるって言うか……その……あの……だから……」
 「別に魔法で洗えとは言っていません。落として割らないように、自分の手でしっかり持って洗えばいいのではありませんか? 方法がわからないなら、『この国の食器の洗い方』をよく知る者に教えを請えば済む事です」
 隊長は、水の塊を従えて台所から出て行った。
 オレは膝から力が抜けてその場にへたり込んだ。磨きこまれた床は、清潔で冷たかった。
 何で食器の洗い方がわからないんだ? ……って言うか、オレ「掃除の時は窓を開ける」って事も知らなかった。部屋の掃除も、メイドさんに教えて貰うまで、どこから手を着ければいいのかすら、わからなかった。
 そもそも、自分で部屋を掃除するっていう発想自体、なかった。
 え? みんな、自分で、自分の部屋……掃除してるもんなの?
 フードコートのセルフサービスみたいに、自分でやるもんなの?
 「何やってんだ? ゆうちゃん」
 腹に響くバリトン声が降ってきた。オレは下から顎を弾かれたように顔を上げた。
 マー君がオレを見降ろしていた。
 オレの返事を待たずに、抱えていた座布団の束を椅子に配置する。六つの椅子にひとつずつ置いて、座布団の紐を背もたれに括りつけていた。
 「まだ寝惚けてんのか? 風邪引くぞ?」
 「え……いや……その……」
 新しい座布団の設置作業を終えたマー君が、再びオレの前に立つ。
 「どうした? 貧血か?」
 「え……いや……違う……えっと……」
 オレは意を決して質問した。
 「いや、あの……まっマー君…………あっ洗える? ……知って……その……皿とか……そういうの……」
 「洗えるも何も、俺、洗い場のバイトしてたけど、どうしたんだ?」
 「いや……あっ……洗い場……? バイト……?」
 「大学ん時、ホテルの厨房で皿洗いのバイトしてたんだ」
 バイト……食い逃げじゃなくって?
 たかが皿洗いで金貰えるのか。
 「量が多くてキツかったけど、ちょっといいホテルだったから結構、賄い美味かったし、時給もよかったぞ。何? ゆうちゃん、バイトすんの?」
 「い……いや、ちっ違……って言うか……その……教えろ……じゃなくって……」
 オレが決死の思いで絞り出した声は、蚊の鳴くような弱々しさだった。
 「い……いや……あの……おっ……教えて……くっ……くだ……ぃ……皿洗い……」
 「ん? 誰かに何か言われたのか? まぁ、立てよ。風邪引くから」
 マー君は、床を凝視しているオレの腕を引っ張って強引に立たせた。何かと言うと力技だ。
 まだ足に力が入らず、ふらふらする。全身が痛い。
 「洗い場専属は、体力のある学生バイトか、手際のいいベテラン主婦パートの主戦場だ。この年の男は、料理人の片手間とかが多いな。大抵、時給安いし、いい所は競争率高いし、最近は食洗機の所も増えたし、ホールとの兼務が多いし……ゆうちゃん、バイトだったら、皿洗い以外の方が採用されやすいと思うぞ?」
 マー君は、何故かオレが皿洗いのバイトをしたがっていると思い込んでいる。聞かれてもいないバイト情報を熱く語った。
 オレは参考にならない情報を聞き流しながら、食器洗いのスポンジを手に取った。ふわふわの四角いスポンジに薄くて固いタワシのような物が付いている。
 「まずは袖まくりだよ。濡れるだろ」
 マー君がオレのジャージの袖を二の腕の所まで引っ張り上げた。
 まずは、袖まくり、か。よし、覚えた。
 次はこれか? 洗剤に手を伸ばすオレ。
 「先に食器を濡らす。洗い桶がある時は、桶にぬるま湯を貯めて、洗剤を少し入れて、食器を沈める。食べ残しや脂汚れをある程度落としてから、スポンジで洗うんだ」
 「いや……あの……おっ……桶とか……ないし……」
 「油汚れがひどい時は、食器を重ねない。ギトギトした奴だけ別に洗う。そうでもない時、今回みたいに食べ残しもなくて、皿の数が少ない時は、大きい食器に小さい食器を入れてそこにお湯を入れる」
 あれっ? 箸は? 
 「箸やカトラリーは、後でまとめて洗う」
 オレは言われた通りに丼の中におでんの器と汁椀を入れて、蛇口をひねった。汚れがよく落ちるように、洗剤をたっぷりとスポンジにつける。
 「洗剤付け過ぎだよ。食器三つと箸一膳でそれは多過ぎ。油ギトギトって訳じゃないんだから、そんなに要らないんだよ。あーホラ、溢れてる溢れてる。お湯止めて! 洗剤もお湯も無駄遣いしない! 洗剤が多過ぎると濯ぎに余分な時間が掛かるし、ぬるぬるするから手が滑って割ってしまう原因になるし、肌荒れの原因にもなるし、環境にも良くない。金、時間、安全、健康、環境、全てに於いてよくないから。わかった?」
 お前は姑かあああぁあぁぁッ! ! 
 嫁いびりみてーにグチグチ細けーダメ出ししやがって。脳筋の癖に女々しい奴め。
 だが、脳筋のマー君に言い返すとキレて何されるかわからんので、黙って頷いておいた。
 「お湯出して、スポンジ濡らしながらギュッギュッて絞って。そう。それで余分な洗剤が落ちたから、お湯止めて、食器洗って」
 オレが黙っててやってるからって調子に乗りやがって。いちいち指図すんな。
 汁椀、おでんの皿、丼の内側をスポンジでこすり、箸も口に入れた部分だけ洗った。
 使って汚れた所だけ洗えばいいんだろ。効率いいし、節約できる。一を聞いて百を知るオレ。
 「食器の縁と、裏の糸尻の部分も洗って、箸も全体を洗うんだ」
 オメーが節約しろっつったからそうしたんだろうが。ダブルスタンダード野郎が。
 ムカついたせいで力を入れ過ぎてしまったらしい。汁椀がぬるりと滑り落ちた。
 ガンッ! 
 予想以上の大きな音に、思わず身を竦ませる。
 「大丈夫か? 初めてだし、ゆっくりでいいんだよ。怪我しないように気を付けてな」
 オメーがゴチャゴチャうるせーから落としたんだろうが。
 それでもオレは、黙って言われた通りに実行した。
 「じゃあ、お湯出して濯いで。見た目に泡が消えてても、洗剤が残ってる事があるから、ぬるぬるしなくなるまで手で擦りながら……そうそう、そんな感じだ。濯ぎ終わったら、洗い籠に置いて。あー、逆、逆! 底を上に向けて伏せて、斜めに、糸尻にも食器の中にも水が溜まらないように置くんだ。自然乾燥でも、食器乾燥機でも、同じように風が通りやすいように配置するんだ。箸はこっちに立てて」
 元プロの皿洗いだか何だか知らねーけど、いちいちドヤ顔で語ってんじゃねーよ。
 オレが初心者だからって馬鹿にしやがって。上から目線でクソ偉そうに。
 何様のつもりだよ。テメーはムルティフローラの王族じゃなくて、日之本帝国の庶民だろうが。王族のムネノリ君は皿洗いなんかしねーだろうけど。
 大体、オレだって本家の長男なんだから、皿洗いなんかする必要ねーのに、あのクソ生意気な女騎士のせいで……
 「ゆうちゃん、お疲れさん。初めてなのに割らなかったな。上出来だよ」
 「い……いや……あ……おっ……おう……」
 「乾いたら、食器棚の同じ食器の所に重ねて置く。箸は引き出しに片付ける。ここまでやって完了だ。急いでる時は食器専用の布巾で拭くけど、今回はいいだろ」
 「い……いや……違う。こっこれ、ぶっ……分家のだから……その……」
 「え? 分家のなの? ま、晩飯食いに行く時ついでに返せばいいよな」
 オレは分家になんか行かねーっつってんのに、しつこい野郎だな。
 あ! そんな事より、アレを確保しねーと……

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