■汚屋敷の跡取り-06.魔女(2015年03月21日UP)
大男が共通語で何か言いながら、両腕を広げて立ち塞がった。
オレは、共通語の読解は得意だが、ヒアリングは苦手だ。オレが現役のころはALT……アシスタント・ランゲージ・ティーチャーなんて、なかったしな。
大男はしきりに首を横に振っている。止まれって事?
金髪美女は、畑の方を向いて右手を挙げた。何語かわからない言葉で何か言いながら、右手を「バックオーライ」のようにヒラヒラと動かす。
何やってんだ、コイツら。
金髪美女の視線の先、畑の方を見て、オレは自分の目を疑った。
畑に降り積もった雪が、軽トラ一杯分くらい宙に浮いている。
雪の塊は、空中で水になり、こちらに向かってふわふわと飛んできた。
何だこれ!?
逃げた方がいいのかもしれないが、足が地面に貼りついたように動かなかった。
目の前に来た水の塊は、アメーバのように広がり、オレの体を包み込んだ。
思わず目を閉じる。
……温かい。
温かい何かが、オレの体をすっぽり包み込み、生き物のようにまとわりついて、這いまわっている。ちょっと熱めの風呂みたいな温度だ。
さっきの……雪……? お湯になってる?
「ちょ……マジ凄くね?」
「一瞬でドブ色とか……ないわー。これはないわー」
「きんもー……」
賢治、藍、真穂が、貧弱なボキャブラリーで、感想らしきものを口にしている。
何がドブだよ。
不意にお湯が体から離れた。
恐る恐る目を開ける。
目の前に、ドブ色に染まった水が浮いていた。
思わず一歩退く。
ドブ水は、ふよふよと宙を漂い、ゴミ山の真上に移動した。そこで水の塊が身を震わせると、黒っぽい粉がバラバラと落ち、一瞬で元の清水に戻った。
「一度では無理ですね。あと二回……いえ、三回」
金髪美女が、訛のない完璧な発音の日之本帝国語で、溜息交じりに言った。
清水のように澄んだ冷たい声だ。
水の塊が、またこっちに向かってきた。
何とか一歩下がったが、その程度では当然、逃げられる筈もなく、捕まってしまった。
今度は、頭を執拗に這い回る。輪ゴムが切れ、腰まである髪がバラけた。さながらテレビから這い出るホラー映画の女幽霊だ。
お湯は、空中で髪をもみくちゃにして、再び離れた。またドブ色になっている。
そっと、髪に手を触れた。全く濡れていない。乾いてサラサラだった。
ドブ水は、さっきと同じようにゴミ山の上で身震いして、清水に戻った。
「ゆうちゃん、髪長いと肩凝らない?」
「いや、えー……、あぁ、まぁ、凝るかな」
ツネちゃんの突然の質問で我に返った。いきなり何の話だよ。
「今、政治(まさはる)と米治(よねじ)叔父さん、お酒飲んでるから、ちゃんと切るのは明日でいい?」
「いや、え? マー君、朝っぱらから呑んでんの?」
オレは、黒山羊の杖を持った奴の方を見た。別に顔は赤くない。
「それ、宗教(むねのり)だって言ったろ。で、今日は取敢えず、肩くらいにするだけでいい?」
「いや、えー……マー君、今、分家なんだ?」
「うん。分家。久し振りだからって、何か盛り上がってる。お昼にみんなで分家に行くから、その頭もうちょっと何とかしよう」
「いや、いやいやいや、何で分家行くんだよ。オレ、行かねーから」
「そう。でも、掃除する時とか、邪魔になるから、頭はなんとかしよう」
「中身もね」
真穂が余計な一言を付け加えたのを、オレの地獄耳は聞き逃さなかった。
「ッんだとォ!? ゴルァァッ!」
「キャー!> 怒ったー!」
真穂は賢治の背後に隠れたが、オレは容赦する気はない。二人まとめてぶん殴ってやる。
ロリ声が、国籍不明の言語で何か言っている。
あの外人共、日之本帝国に来たんなら、言葉くらい覚えろよ。
大男がオレと真穂達の間に割り込んできた。
何だコイツ、やろうってのか?
大男の右手で長剣が輝いていた。ギョッとして身を退く。
刃が白い光を放ち、刀身の様子はよくわからない。と言うか、光そのものが刀身になっているように見える。
つーか、どっから出した!? そんなもん!? さっきまで手ぶらだったよな?
「ゆうちゃん、髪切るからじっとしててね」
ロリ声が優しく語りかけてきた。オレは声のした方を振り返った。
メイドさん、金髪美女、ムネノリ君しかいない。
「動くと危ないよ」
ロリ声の主は、ムネノリ君だった。
時代劇みたいな名前した三十路のおっさんがロリ声……
「いや、ちょっ、おま……何て声出してんだよ。キモいから喋んな」
まだ何か言おうとしていたムネノリ君を黙らせる。
ロリ声のおっさんとか、キモいにも限度ってもんがあるだろ。常考。自分でもおかしいと思えよカスが。杖もキモいし、声もキモい。
あーヤダヤダ。こんなのが身内とか、やってらんねー。
「ゆうちゃん、それはないだろ。宗教は声変わりしてなくて、これが地声なんだよ」
「いや、キモいもんはキモいだろう」
ツネちゃんは聞き慣れてるから何とも思わないだろうが、オレは鳥肌モノなんだよ。
「貴方のように口臭が酷い訳ではなく、発言の内容に問題がある訳でもありません」
金髪美女が、流暢な日之本帝国語でオレに意見する。
生意気なクソ女め。
そもそも、何でその距離で口臭とかわかるんだよ。お前は犬か。
そんな手には引っ掛かんねーよ。バカめ。
オレはホントの事しか言ってねーんだ。なんも問題なんかない。正論を言うオレは正しい。メス犬はすっこんでろ。
生意気な外人女を論破してやろうと、口を開きかけた瞬間、目の前を白っぽい何かが通り過ぎた。