■汚屋敷の跡取り-23.美容院(2015年03月21日UP)
「ゆうちゃん、着いたよ」
寝たフリをしている内に、本当に寝落ちしてしまったらしい。
拘束具は外され、開放された後部席の扉から吹き込む外の風が、無慈悲にオレの体を冷やしていた。
マー君に腕を引っ張られ、落ちるように車外に出た。
「まだ寝惚けてんのか? さっさと起きろよ」
だだっ広い駐車場だった。
ウチの畑全部より広い。家と田んぼも足せば勝てるが。
どのくらい走ったのかわからないが、オレの地元、歌道山町(うどうやまちょう)風鳴(かぜなき)地区とは比べ物にならないくらい拓けていた。
矢田山市(やだやまし)は歌道山町の隣の市で、大学受験の時に一度だけ来た。
来たと言うか、通過した事があるだけだ。この街の駅から電車に乗り、途中で新幹線に乗り換えて帝都に行った。
帝国大学の医学部と、日程が違う私立大の医学部を三つ受けた。
入試が終わるまで、帝都のホテルに滞在した。ホテルで最後の追い込み勉強をしたが、家よりもずっと捗った。
だが、結果は……全滅だった。
「いらっしゃいませー」
イヤな事を思い出している間に、マー君に引きずり込まれたらしい。気がついた時には既に美容院の店内に立っていた。
「予約していた巴です。シャンプーとカットと顔剃りをお願いします」
「巴(ともえ)様ですね。お待ちしておりました。カットはどのように?」
何だ。オレじゃなくて、マー君が散髪するのか。
「あ、私ではなく、こちらなんです。昨日、カットモデルを頼まれたのですが……酷い事になってしまいまして……これを自然な形に修正して欲しいんです」
マー君が嘘八百並べながら、フードを剥ぎ取った。
オレは目を閉じた。
「うっわぁ〜……お兄さん、災難でしたねー。これやった人、まだウィッグで基礎やってなきゃいけないレベルですよー。同業としてこれ、あり得ないですー……」
「彼、昨日、散々笑われてですね、非常に落ち込んでおりまして、なるべく話し掛けずに、そっとしておいて戴けませんか」
「ですよねー。これ、ショックだわー。きっちり男前に修正しますよ。お任せ下さい」
美容師のチャラ男は、笑わなかった。
マー君に騙されて、心底、同情しているようだった。
マー君、相手によって態度変え過ぎだろう。喋り方全然違うし、一人称まで変えて。
「どのくらい掛かりそうですか? 時間?」
「そうですねー……全部で一時間弱くらい見て戴ければ……」
「では、その頃に迎えに来ます。早く終わったら、少し待たせておいて戴けますか?」
「はい、喜んで」
マー君を見送った後、チャラ男がオレの所に戻ってきた。
オレは逃げるのを諦めた。歩いて帰るには遠過ぎた。早く家に帰るには、早くミッションをこなすしかない。
「では、まずはシャンプーからになります。こちらへどうぞ」
シャンプー台に通された。
オレの他にもおっさん二人、中年女三人、ババア一人が頭を洗われていた。空いている台が三つ。広い店内ではカット中、パーマ中の客が合わせて八人居て、結構繁盛しているようだった。
案の定、女の客が多かったが、男の客もオレ以外に五人もいた。美容師の男女比もそのくらいだった。
「タオル被せますねー。痒い所があったら言って下さい」
シートに仰向けになり、オレはチャラ男にされるがままになった。
シャワーのお湯が気持ちいい。
チャラ男は指の腹で頭皮をマッサージしつつ、シャンプーを泡立てている。爪でガシガシやらなくてもいいもんなんだな。
双羽隊長の丸洗い魔法よりずっと優しく、心地よい指遣いにだんだん眠くなってきた。
「お客さーん、巴さーん、起きて下さーい」
肩を揺すられ、目が覚めた。
また寝落ちしていたらしい。まぁ、徹夜なんて久し振りだしな。
オレがシートに身を起こすと、チャラ男はカット台に案内した。頭には白いタオルが巻かれ、残念なヘアスタイルは隠れている。寝ている間に顔剃りも終わっていた。
チャラ男は、マー君に言われた通り、黙々とオレの髪を切っていた。
肩にタオルとシートを掛けられ、てるてる坊主状態になったオレは、正に俎の上の鯉。鏡越しに作業を観察する事しかできない。
サイドや後ろを何層にも分けてクリップで留める。
そのそれぞれを違う鋏で切って行く。
チャラ男は時々、鏡の中で左右の髪の長さをチェックして、バランスを確認する。
まっすぐに切り揃えられた前髪に、斜めに鋏を入れて変化を付ける。
鋏が動く度に、チャキチャキと小気味良い音を立て、歪なヘルメットが、まともなヘアスタイルに修正されていった。
カットが終わり、ドライヤーで頭を乾かされる。くるくるしたブラシで、ややひっぱり気味にやられるから、地味に痛い。だがオレは耐えた。
「いらっしゃいませー」
「あ、いえ、連れを迎えに来ただけなんです」
マー君が戻ってきた。
現在、オレはビタイチ金なんざ持ってねぇ。
もし、マー君が戻ってこなかったなら、どうすればいいのか、皆目見当もつかない。だが、マー君は戻って来た。
起こらなかった事の想定は、やるだけ無駄なので、オレは考えるのをやめた。
眠くてそれどころじゃない。
「後ろもこんな感じで、大分、ナチュラルになりましたが、如何でしょう?」
チャラ男が手鏡を持ち、合わせ鏡でオレの後頭部を正面の大鏡に映している。
オレの頭は、就活学生をちょっと崩したようなカジュアルな感じにされていた。
オレは、取敢えず無言で頷いておいた。
チャラ男は、にっこり微笑んで親指を立てた。
俺も一応、親指を立てた。
マー君が支払いをしている間にオレは店の外に出た。さっきよりも随分、頭が軽くなって、襟首がスースーした。物理的に髪の量が減ったんだから当然だ。