■汚屋敷の跡取り-21.命令(2015年03月21日UP)

 自室に戻って窓の鍵を開けた。錆びているのか、固かったが何とか動いて解錠できた。
 外から、ジジババが驚く間抜けな声が聞こえる。もう点火したらしい。
 窓は開けられなかった。
 桟に分厚く積もった埃や虫の死骸が詰まって固まり、窓はびくともしなかった。
 折角のメイドさんのアドバイス「掃除する時は窓を開ける」は、実行不可能だった。
 何の為に徹夜までしたんだ……オレは……
 雨戸どころか、窓すら開かない暗い部屋で、オレは今まで何やってたんだろうな。
 「優一さん、おはようございます」
 メイドさんの声に心臓が止まりそうになったが、足下を見て落ち着きを取り戻した。
 戸口から見える位置にヤバい物はもうなかった。
 振り向くと、全開のままの戸口には、ゴミ袋を被せた段ボールを抱えたメイドさんと、女騎士の双羽隊長が立っていた。
 「室内の全ての電化製品のプラグを抜いて下さい」
 双羽隊長が淡々と命令する。
 隊長の横には、水の塊が浮いていた。
 確かに一晩中掃除して汚れてるんだろうけど、部屋まで押し掛けて、オレを丸洗いする気かよ。
 「あの、優一さん……電源……」
 メイドさんの声でようやく気付いた。
 オレに命令してたのか。てか、電源関係なくね?
 「は? いや、何で?」
 「通電した状態では故障する惧れがあります。私は構いませんが、貴方は困るのでは?」
 「は? いや、いやいやいや、故障って、なっ何する気だよ?」
 「部屋を丸洗いします」
 双羽隊長が冷たい声で答えた。
 廊下、トイレ、洗面所、風呂、玄関、階段、台所、居間。
 あれ全部、双羽隊長の丸洗い魔法かよ。
 「壊しても構いませんね?」
 「いや、いやいやいやいや、待て、待て待て待て、まだ、まだだ、まだダメだ!」
 マウスをぐりぐり動かしてスリープを解除、ブラウザを閉じてパソコンをシャットダウンする。
 焦っているせいか、湯沸かしポットを抜く時に、まだ電源を切っていないモニタまで抜いてしまった。
 落ちつけオレ!
 シャットダウン待ちの間に学習机のゲーム機群のタコ足と薄型テレビのプラグを抜いた。
 エアコンのリモコンはどこだ? 捨てた? いや、さすがにそれは……
 あった! 
 リモコンは本棚の中、DVDの上で埃を被っていた。だが、電池が切れているのか、全く反応しない。
 「クソッ!」
 学習机によじ登って直接、壁の天井付近にあるプラグを引っこ抜いた。
 電気……後は……電気……プラグ……電気……蛍光灯だ。
 紐を引いて灯を消すと、部屋は真っ暗になった。廊下の灯で二人のシルエットが見える。
 ボリッビリリッ。
 双羽隊長が、メイドさんの持つ段ボール箱の蓋を破り取る。斜めに細く裂けた紙片を手に、双羽隊長が何かブツブツ言うと、紙片の先が明るくなった。
 隊長は、無造作にその光る段ボール片をオレの部屋に投げ込んだ。
 段ボール片は、灯を消した部屋にモニタの光くらいの明るさをもたらした。
 「天井のプラグも抜いて下さい」
 双羽隊長の口調は、言葉こそ丁寧だったが、どこまでも冷たい「命令」だった。
 言外に「さっさとしろよ、ヒキニート」と言われているような威圧感と「殺すぞ、コラ」と恫喝されたかのような恐怖を感じた。
 同じ国の魔女なのに、メイドさんとは大違いだ。
 殺されない内に、学習机付属のキャラ椅子を蛍光灯の下に持って行く。
 光る段ボール片を拾って、ジャージのウェストに挟んだ。
 椅子の上に立って見ると、蛍光灯の笠は灰色の埃が厚く積もり、羽虫の死骸が黒々と積み重なっていた。
 部屋を見回すと、カーテンレールの上も、本棚とタンスの上も同様だった。
 ついでに言うと、虫食いだらけのカーペットも、食べ物の汁や飲み物をこぼした跡と埃にまみれて、元の色がよくわからなくなっている。
 埃、ホコリ、ほこり、ムシ、虫、蟲……
 オレ、何でこんな部屋に平気で居られたんだろうな。
 唯一の天井との接点であるプラグを抜く。その振動で、傘に積もっていた埃が舞った。
 「それで全部ですか?」
 「いや、まだ、ルータと本体が残って……いや、まだ、そのっ本棚とか、いやっあっまっまだ、本とか、ぬっ濡れたら……困るって言うか、えっと、そう言うの……あって、その……」
 埃まみれの蛍光灯を手に、必死に待ってもらおうとするオレ。
 双羽隊長は、メイドさんと顔を見合わせてから、オレの方を向いて言った。
 「搬出は終了したと聞きましたが、情報に誤りがあったようです。では、予定を変更し、ここから見える範囲のみ洗浄します」
 宣言と同時に、水の塊が部屋に入ってきた。
 ドア付近の床を這い、渦を巻く。食べカスや虫や埃や抜け毛が、たちまち水を濁らせた。
 水は一旦引いて、メイドさんが持つ段ボールに向かって伸びた。
 先端を段ボールに突っ込んだ水の帯から、細かいゴミが消えて行く。
 パサパサ、カサカサ。
 乾いた音を立てて、段ボールに被せたゴミ袋の底に、汚い粉が溜まっていった。
 「ベッドの下は?」
 「は? いや、あの、えー……」
 「洗浄できる状態ですか?」
 「いや、あの、ハッハイッ! どっどうぞどうぞ!」
 双羽隊長の声に、キャラ物の椅子の上で背筋を伸ばすオレ。
 水は再び床に広がり、ベッドの下を這い、壁を伝って天井に移動した。
 魔法の灯の中で、生き物のように動きまわる水は幻想的だったが、美しくはなかった。
 無数の小さな虫やゴキブリ、その糞、埃と抜け毛、食べカス等のゴミが水の中で黒々と渦を巻いている。
 汚れた水は醜悪だった。
 ドブのようになった水でも、内包する汚れを履きだすと、元の澄んだ状態に戻った。
 三度目の突入。
 今度の標的はオレだった。少し熱いお湯が頭から爪先に向けて這い、最後に手に持ったままの蛍光灯を洗って離れた。
 「窓は?」
 「は? あ、いやっハイッ! あの、だっ大丈夫であります」
 双羽隊長の短い質問に、何故か敬語で答えてしまった。
 近衛騎士なんてのは、貴族の子弟を寄せ集めた儀礼的なお飾り集団じゃねーのかよ。何、このプレッシャー。鬼軍曹なの? この女騎士、実戦叩き上げの鬼軍曹か何かなの?
 汚れを吐き出し終えた水の塊が、オレの横をすり抜け、部屋の奥に向かう。
 窓に触れた途端、透明だった流れが灰色に濁った。
 その色は見る間に濃くなり、泥水となった水塊は、また伸びて、段ボールに汚れを吐き出した。
 清水になって戻ってきた水流が、窓を動かす。
 さっきオレがやった時には、びくともしなかった窓が、カラカラと軽い音を立てて開いた。汚れた水が、網戸を抜けて雨戸を這い回り、これも開けた。
 オレの部屋に、外の光と冷たい風が、容赦なく吹き込んできた。
 生ぬるいエアコンの空気が、冬山から降りてくる厳しい寒風に吹き払われる。
 厚い雪雲に覆われた冬の空。
 雪に埋もれた畑で、農作業をする人影が、まばらに見える。
 田畑の間に点在する農家。
 そのずっと向こうに雪を頂く山々。
 この窓から、外を見るのは、何年振りだろう。
 ずっと、ババアだけが、地元の情報ソースだった。
 ババアは、頼んでもないのに毎日、飯を置きに来る度に、ドアの外で天気の話をしていった。
 オレは外に出ず、雨戸も開けないから、ニュースに出る大きな街の天気予報は知っていても、自分が住む歌道山町(うどうやまちょう)風鳴(かぜなき)地区のリアルな天気を知らなかった。
 知る必要もなかった。知ろうともしなかった。
 汚れを吐き出した水が、エアコンにまとわりつく。
 ガタガタと音を立てて、フィルタを引きずり出し、宙に浮いたまま丸洗いする。フィルタの枠より分厚い埃が剥がれた。
 段ボールに埃を吐き出した水が、エアコン本体を洗浄する。
 黒い泥水がオレの顔の横をかすめて飛ぶ。
 エアコン洗浄の三往復目。水が器用な動きでフィルタを取り付けた。
 「優一さん、お布団はどうされますか?」
 メイドさんが、段ボールの代わりに、オレの毛布と掛け布団を持っている。
 「いや、あの、それ、洗えるかな、と……思って……」
 「そうだったんですか」
 メイドさんは、毛布と布団をベッドの上に移動した水の塊に投げ込んだ。
 水は、毛布と布団を巻きこんだまま、縦に渦を巻いた。
 洗濯機の中身を見ているようだ。
 水がベッドとドアを四往復して、布団は打ち直したかのように、ふっくらとベッドの上に落ちついた。埃の分、嵩が減っている筈なのに何故、ふかふかになったんだろう。
 「今日はここまで」
 「いや、あ……、ハッハイッ!」
 双羽隊長の宣言に、オレは思わず敬礼した。
 「ゆうちゃん、そろそろ行くよー」
 マー君の声と重量感のある足音が、近づいてくる。

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