■黒い白百合 (くろいしらゆり)-54.身柄確保(2016年06月19日UP)

 三千院は、普家の「中身」から呪条伝いに流入する憎悪に耐える。
 この場所、この肉の檻、形を失う自身、呪符に吸われる力、抗えぬ命令、崩れつつある自我。
 背の【吸魔符】から、送還布の【充魔符】へ、魔力が流れる。

 この部屋を燃やせ。

 意思と命令の境が曖昧になる。
 荒れ狂う憤怒を炎に変え、全てを焼き尽くしたい。

 証拠を全て燃やせ。

 破壊の衝動と命令が一致する。
 物質界、幽界、冥界の三界に満ちる力を炎に変える。
 この肉の檻の口で力ある言葉を唱える。

 嵐山が火柱を避け、普家の背後に回った。中の魔物は炎の術に集中し、気付かない。普家の口から、非常ベルを上回る声量で、力ある言葉が紡ぎだされる。
 その身が送還布に包まれた。世界に穿たれた穴に吸い込まれる。
 命令を妨げる力に抗い、身体にしがみつく。
 故郷への風は、術の束縛より強く、溶け崩れた魔物は檻の隙間から引きずり出された。この世界に直接触れ、存在が希薄な靄になる。
 靄となった魔物は、術の軛(くびき)から解き放たれ、元居た場所へ繋がる穴に吸い込まれた。
 三千院はすぐに命令を解除し、普家の身体の拘束を解いた。

 備東の華奢な腕が、神楽岡の左腕を不自然な方向に曲げる。神楽岡が声にならない悲鳴を上げた。
 嵐山が【消魔符】で火柱を消す。
 新月の目が、満月のように見開かれる。嵐山はそれに構わず、送還布の呪文を唱えた。
 「サンちゃん、これ持って、モミジさんの奴、貸せ!」
 鴨川が叫び、呆然と見ていた三千院は我に返った。鴨川に駆け寄り、飯田の縛(いまし)めを受け取る。
 「えぇか、絶対放したアカンで!」
 鴨川は、三千院の手から呪条を奪い取り、早口に命令した。
 備東が、神楽岡の折れた腕を掴み、捻じ切ろうとしている。
 中大路と、戻って来た二本松が、備東を引き離そうとする。神楽岡自身も、脱出を試みる。
 こちらには「備東の身体を傷付けない」と言う制約がある。攻めあぐね、思うようにならない。
 人の隙間を縫い、呪条が備東の足に巻きついた。足下から膝までを捉え、渾身の力で引く。備東は、刑事の折れた腕を掴んだまま倒れた。神楽岡が悲鳴を上げる。
 「ちょっとどいて!」
 嵐山が二本松と中大路を退がらせ、備東の頭を送還布で包む。備東は神楽岡を放し、半身を起こした。
 二本松が神楽岡を助け起こし、肩を貸して離脱する。
 新月の命令で、備東の手が嵐山に伸びる。中大路がその手首を掴み、引き下ろす。備東の細い腕が、信じられない力でそれを押し戻す。
 橘が、新月の口にハンカチを押し込み、黙らせる。
 備東が突然、力を失った。手首を引いた勢いで、中大路と備東の頭がぶつかる。
 「……ッ!」
 中大路は目の端に涙を滲ませ、額を押えた。
 飯田の身体は、大人しく縛られていた。「中身」は次の命令を求め、肉の檻の中で荒れ狂っている。

 何か、何か、何か!

 この世界で自己を保つ為の命令を渇望していた。
 術者である新月は、橘警部に制圧され、呻いている。
 嵐山が落ち着いた動作で、最後の一匹を送還した。
 「新月賛治、営利目的等略取容疑で逮捕する」
 「後で、魔道犯罪規制法違反でも、再逮捕な」
 橘警部が改めて手錠を掛け、嵐山課長が氷の声を浴びせる。
 「あんたの【移魂(いこん)の渦(うず)】、破っといたからね」
 新月は力なく項垂(うなだ)れた。

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