■黒い白百合 (くろいしらゆり)-49.魔物の力(2016年06月19日UP)

 嵐山が、送還布を出口の足下に敷きながら、呪文を唱える。
 出口は呪条を振りほどこうと、呪文を唱えながらもがくが、身体に食い込むだけでびくともしない。
 橘が浴室に入り、熱湯を止めた。浴槽にノートパソコンとタブレットが沈んでいる。

 出口より先に、嵐山の呪文が完成した。
 送還布の魔法陣から、風が吹き上がる。
 「ごめんな!」
 嵐山が出口の両足を抱え、送還布の上に引き倒した。縛られたままで受け身が取れず、強(したた)かに肩を打ち、呪文が中断する。
 出口は顔色ひとつ変えず、詠唱を再開しつつ、立ち上がろうと足を動かした。
 嵐山が更に呪文を唱える。
 風向きが変わった。
 唸りを上げ、送還布の中、床下へ向かって大気が流れる。
 三千院の眼には、出口芽衣(でぐちめい)の身体から、赤い靄が抜け、送還布に吸い込まれる様子が、はっきりと視えた。嵐山が、打ち上げられた魚のように跳ねる出口芽衣の身体を送還布に抑え込む。
 靄が消え、風が止んだ。

 「サンちゃん! ボサっとしとらんと、奥! 援護!」
 嵐山課長の怒声で、三千院は長財布のような呪符入れから【吸魔符】を一枚抜き、奥へ走った。
 鴨川が呪条に命じ、(いまし)めを解く。
 「この子はもうえぇ、大丈夫や。中身抜いた。救急車、呼んだって」
 嵐山は廊下で待機する捜査員に声を掛け、懐から呪条を取り出した。
 出口芽衣の身体はぐったりとして、動かない。本人が戻るのに時間が掛かるのか、まだ何か足りないのか。今は調べている余裕はなかった。
 捜査員の一人が、消防に応援を要請する。
 橘警部が、浴槽の湯を抜き、水没した機器を運ぶよう、中大路に命じる。
 捜査員の一人が、救急車の誘導に通りへ出た。

 廊下の奥は、十二畳程のダイニングだった。
 対面式カウンターキッチンの向こうに台所がある。突き当りはベランダに出る硝子戸、左右の壁にドア。ベランダは無人、他の部屋に通じるドアは、全て閉まっている。
 ダイニングに若い女性が二人、突っ立っていた。
 四人掛けのテーブルセットを挟んで、二本松らと向き合う。
 二本松がテーブル越しに刺股(さすまた)の呪符【退魔符】を突き出す。
 女性の一人、二谷代志華(じたによしか)が表情を変えず、顔だけを仰け反らせた。
 もう一人の女性、柴田詩乃花(しばたしのか)がよく通る声で、朗々と呪文を唱え始めた。

 駆け込んできた三千院が、テーブルを回り込む。
 柴田は三千院に向き直り、後退しながらも、詠唱を止めない。
 三千院は、呪符の裏から両面テープの剥離紙を剥がそうと、激しく指を動かしながら、距離を詰める。一昨日、爪を切ったばかりだからか、焦りからか、なかなか剥がれない。額に脂汗が滲む。
 柴田に入った魔物の呪文が完成した。
 三千院は思わず目を閉じた。
 耳音で小さく、風切音が聞こえた。一呼吸遅れ、紙の端で切ったような痛みが全身を包む。
 目を開けると、前髪がパラパラと落ちた。思わず手元を見る。左手と呪符は無事だった。灰が舞い、剥離紙が床に落ちる。

 二谷は棒立ちのまま、動かない。
 柴田が次の呪文を唱える。
 三千院は痛みに構わず、一気に距離を詰めた。柴田の背後に回り込み、背中に【吸魔符】を叩きつける。建材用の強力両面テープが、淡い色のカットソーにべったり貼り付いた。柴田は一瞬、動きを止めたが、詠唱を止めない。
 三千院は、目に入った血を袖で拭った。右袖には細かい切り込みが入り、血が滲んでいる。
 二本松が刺股を構え、テーブルの反対側から回り込む。

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