■黒い白百合 (くろいしらゆり)-52.証拠隠滅(2016年06月19日UP)

 「あの、警部、PCとか、回収終わったんですけど……」
 「ちょっと待て、何や、焦げ臭い……証拠燃やす気か!」
 橘警部が、台所に近いドアに手を掛けた。中から鍵が掛かっている。隙間から煙が漏れてきた。
 火災報知機がけたたましく鳴動する。

 「おい! 新月(にいつき)! 警察や! ドア開けぇッ!」
 報知機を上回る大声にも、応答はない。まだ、人質が中にいる可能性がある。神楽岡と中大路が玄関へ走った。
 神楽岡が、廊下で待機する捜査員から工具箱を受け取り、住人の避難を指示する。
 「火事や! 住人避難させぇ!」
 何事かと廊下に集まっていた野次馬が、慌てて非常階段に向かう。
 神楽岡が駆け戻った。手斧で木製のドアを破壊する。ドアノブの周囲を叩き割り、蹴破った。充満していた煙と熱気が一気に流れ出す。
 「新月!」
 叫んだ神楽岡が、煙を吸って激しく咳込む。
 中大路が消火器を手に戻って来た。
 「廊下の奴、借りました!」
 充満する煙で火元が見えない。
 袖で口を覆い、河原が魔道課の三人に助けを求めた。
 「魔法で何とかならんか?」
 「あッ……!」
 言われて初めて思い至る。
 三千院はポケットを探り、水晶をひとつ掴み出した。キッチンスペースに入り、水道のレバーを押し上げる。
 勢いよく流れる水に、水晶を握った拳を突き入れ、力ある言葉で命じた。
 「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
 漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
 起ち上がり、我が意に依りて、炎呑み火焔打消せ」
 水がぎこちない動作で重力に逆らい、宙に浮く。蛇口からの吐水がくにゃりと曲がり、奥の部屋へ身を伸ばす。
 橘と神楽岡が水を避けた。
 中大路が消火器を置き、ポケットを探る。
 三千院は身を捻り、水に手を入れたまま、部屋に向き直り、更に命じた。
 水が、部屋の入口で膜状に広がり、煙を取り込みながら奥へと進む。
 床から天井まで広がる水の壁が、じわじわと厚さを増しながら進む。
 水壁が通った跡は、拭い去ったように煙が消え、視界が鮮明になる。
 床に文字のようなものが渦状に書かれている。焼け焦げた革表紙の本が積み重なっていた。
 水壁が、部屋の中央に差し掛かる。炎とぶつかり、激しく水蒸気を上げた。
 水が突然、制御を失って落ちる。床に広がり、水浸しになった。
 薄く広がる煙の中に、三人の男女と百合の鉢植えが佇んでいた。
 行方不明者の備東安美利(びとうあみり)飯田珊瑚(いいださんご)普家絵冬(ふけえふゆ)と、普家の上司でこの部屋の住人、新月賛治(にいつきさんじ)だ。
 三千院は拳を開いた。水晶は、蓄えていた魔力を出し切り、輝きを失っていた。

 「サンちゃん、火事はもうえぇ」
 嵐山はそれだけ言って、呪条の制御に入った。鴨川も壁の陰に入り、呪条を伸ばす。
 三千院は水を止め、どうしたものか、思案した。
 新月が力ある言葉で何事か命じる。
 備東と普家が進み出た。
 「新月賛治! 営利目的等略取容疑で逮捕する!」
 橘警部が刺股を手に宣言した。河原と神楽岡も刺股を拾い、構えた。
 備東が百合の茎に手を掛ける。しっかり根を張っているのか、陶器の鉢ごと持ち上がる。普家が力ある言葉を呟く。
 橘と神楽岡が突入する。一拍遅れ、河原も続く。
 三千院は新たな水晶を握り、【消魔】の呪文を唱えた。中大路が震える手で剥離紙を外し、【吸魔符】を持って入った。
 備東が橘に百合の鉢で殴りかかる。神楽岡が刺股で防ぎ、橘警部は新月に迫った。
 新月が、力ある言葉で短く命じる。
 飯田が動いた。
 橘の手首を取り、腕を大きく振る。橘の身体が天井近くまで投げ上げられ、箪笥(タンス)に叩きつけられた。
 「警部!」
 「別状ない」
 橘はむせながらも立ち上がり、懐から【吸魔符】を取り出した。
 神楽岡が備東を押えようと、刺股を突き出す。備東はそれを片手で止め、鉢を投げた。鉢が河原の肩にあたって落ちる。河原は構わず、飯田に刺股を向けた。
 中大路が普家の背後に回り、ブラウスの背中に【吸魔符】を貼り付けた。送還布の【充魔符】が移送を始める。
 普家は、呪符を外せ、との命令がない為、呪文の詠唱を続行する。嵐山の呪条がその足下に忍び寄る。

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