■黒い白百合 (くろいしらゆり)-51.娘の中身(2016年06月19日UP)

 神楽岡が【退魔符】を失った刺股を手に、リビングの隅に退がった。鴨川の命令で、呪条が(おもり)を鎌首のようにもたげ、二谷に這い寄る。
 呪条が足に触れた瞬間、二谷(じたに)が動いた。
 機械仕掛けのように手が上がり、刃が白い喉に向かう。三千院と二本松がその腕に飛び付いた。大の男二人掛かりでも、止められない。
 女の細腕とは思えない力が、二谷の喉元に包丁を近付ける。その腕を止めようと、二人が体重を掛けて引き下げる。速度は落ちたが、止められない。
 呪条が這い上がり、身体ごと二谷の「中身」を拘束する。
 嵐山も呪条を操り、二谷の右腕を縛り上げた。呪条を引き、中の魔物を抑える。
 突然、腕から力が抜けた。
 刑事二人の力で、二谷の華奢な身体が床に引き倒される。三千院と二本松も、勢い余って二谷の上に倒れ込んだ。嵐山も引っ張られ、片膝をつく。
 「しもた!」
 「二谷さん!」
 橘と神楽岡が駆け寄る。
 相当な痛みを感じる筈だが、二谷の中の魔物は表情を変えなかった。(いまし)めを解こうと、包丁を持ったまま足掻く。
 橘と神楽岡は、倒れた二谷を刺股で押えに掛かった。

 「サンちゃん、そこはもうえぇから、こっち!」
 嵐山に呼ばれ、二谷から離れた。嵐山が、床に落ちた送還布を拾いながら立ち上がる。
 「これ、石持って保持しとって。何も命令せんでえぇ。このまんま、魔物に気合い負けせんように持っとって」
 青い宝石を三千院の手に押し付け、送還布を広げる。
 三千院は右掌に、淡く輝くサファイアを握り込んだ。
 右手の感覚が伸びる。呪条を伝い、二谷のぬくもり、やわらかさと同時に、中の魔物の吐き気を催す気配を感じた。
 この世界では形を成さぬ、どろどろに溶け崩れた何かが、意に沿わぬ支配に怒り狂っている。命令を妨げる呪条と、その操り手に憎悪を(たぎ)らせていた。
 火のような敵意に触れ、三千院は怯んだ。
 じっとり汗ばむ掌で、魔力を宿すサファイアをしっかり握る。(いまし)めの維持だけで精一杯。とても新たな命令を行う余裕などない。

 その身に宿る魔は、贄の身が檻となり、本来の力を振るうことが叶わない。
 そもそも、幽界からこの物質界に引きずり出されたことが、気に食わない。
 それでも、拙い術の支配を断ち切り、与えられた命に背くことができない。
 その力に抗えば、存在を脅かす苦痛に苛まれ、自我を保つこともできない。
 それ故に、自己の存在を守る為、不本意な命令と(いえど)も、従わざるを得ない。
 その命に従うことこそが、自己をこの世界で保つ唯一の方法に他ならない

 そこには、憎悪と諦念と鬱屈した喜びが渦巻き、鋭い敵意の棘を纏ったモノが居た。三千院は、その渦に呑まれぬよう、両足を踏ん張り、呪条を引き絞った。
 二谷の身体は、尚も包丁を放さない。
 嵐山が、送還布で二谷の顔を覆った。
 蝶の蛹を切り裂くように、形を成さぬ何かが、どろりと流れ出る。この世の大気に触れ、靄となり、送還布の風に乗る。檻から放たれ、元の世界、現世(うつよ)と冥府の狭間(はざま)へと還って行く。
 憎悪の熱が遠ざかり、世界に開いた穴が閉じる。
 風が止み、後には抜け殻の身体だけが残された。
 「サンちゃん、もうえぇ、解(ほど)いたって」
 嵐山が立ち上がって言った。
 三千院は、言われるまま、力ある言葉で解除を命じた。呪条がするすると解け、手の中に戻る。とぐろを巻いた綱を嵐山に手渡す。
 二谷の半袖から伸びる細腕の索痕が痛々しい。
 二本松が抱き上げ、外に連れ出す。
 入れ替わりに中大路が入って来た。

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