■黒い白百合 (くろいしらゆり)-16.生の幽霊(2016年06月19日UP)

 「あなたは、見に行かないんですか?」
 「私が視えるんですか?」
 女性が顔を輝かせる。

 ……しまった! この世の者じゃないのか。でも、そんな風には視えないけどなぁ?

 首を傾げる三千院に、大原が不安に満ちた目を向ける。
 「何や、気ぃ付いたらここに()って、どっこも行けんで、困ってるんです。何や見物の人が、入れ替わり立ち替わり来はるのに、だぁれも私に気付いてくれへんし、私、幽霊にでもなってしもたんですやろか? せやけど、死んだ覚えなんかあらへんし、何が……」
 「えーっと、まずは落ち着いて、状況の確認から行きましょう。えー、まず、動けないと言うのは、どんな感じなんですか?」
 一気に捲し立てる女性を遮り、三千院は質問した。

 「何か、透明の壁みたいなんがあって、囲まれてる感じ……て、わかります? 硝子の箱に入ってるみたいな。箱の中から出られへん感じです」
 どこかで聞いたような話に、三千院の胃はキリキリ痛んだ。
 ひとつ深呼吸し、右手を差し出す。
 「出られるかどうか、引っ張ってみます。つかまって下さい」
 女性の手は、三千院の手をすり抜けた。女性の表情が萎れる。
 三千院は女性の前に立ち、背を向けて軽く膝を曲げた。
 「じゃあ、今度は、おぶさってみて下さい」
 江田は、通りすがりの巴にしがみついたら、出られたと言っていた。
 生ぬるい風が、ふわりと三千院を包み込む。振り向かず、数歩、前に出た。
 「あ、すごい! 出られました! 壁の外! ありがとうございます!」
 背中で若い女性の声が弾む。重さも体温も匂いも何もない。
 三千院は、肩越しに警察手帳を提示した。
 「多分、あなたと同じ状態の人を警察で保護しています」
 「警察のほうで、何とかしてくれはるんですか?」
 「……頑張ります」
 取敢えず、そうとしか言いようがないのがもどかしい。三千院にも、警察でどうにかできる事態なのかどうかすら、わからないのだ。
 大原が、遠慮がちに口を開いた。
 「ちょっとだけ、言わしてもうて、えぇやろか?」
 「予想はつきますけど、どうぞ」
 「何もないとこで独り言言うて、握手のフリして、おんぶのフリして、警察手帳出して、三千院さん、傍目に見たら、頭がアレな人みたいになってまっせ」
 「わかってます。取敢えず、川端署に戻りませんか?」
 「それがよろしぃわ」

 女性の名は、飯田珊瑚(いいださんご)。古都市内の宝石店「三光照輝宝飾(さんこうしょうきほうしょく)」勤務。隣の市から通勤している。数日前に気がついたら、あの家の前に立っていたと言う。
 月末で、売上の集計などをして残業し、店を出た所までは覚えているが、その後の記憶がない。

 大原に調べてもらったところ、六月三日に捜索願が出されていた。
 「飯田さん、あの道を通ったこと、ありますか?」
 「いいえ。知らんとこです。一遍(いっぺん)も行ったことおへん」
 江田と同様、三千院が質問して答えを復唱し、大原が調書を作る。

 捜索願の資料を持ってきた新人刑事が、会議室の隅から不安げな眼差しを向けている。三千院が自分の質問に自分で答え、大原はそれを大真面目に記録しているようにしか見えない。
 一通りの質問を終え、大原が声を掛ける。
 「そんな隅っこ居らんと、もっとこっち、こっち」
 「い、いえ、あの……ほんまにそこ、()やはるんですか?」
 新人刑事が顔を引き攣らせる。
 「()らん思うねやったら、来たらえぇやねぇ」
 「飯田さんは、まだ生きてます。そんなオバケ扱いしちゃ、気の毒ですよ」
 「死んだ覚えない(おも)たら、私、生きてるんですか?」
 飯田が瞳を輝かせる。活き活きした表情は、少なくとも、亡霊には視えなかった。

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