■黒い白百合 (くろいしらゆり)-48.呪符発動(2016年06月19日UP)

 受付で、常駐の管理人に令状を提示する。
 管理人は動揺したが、管理会社に電話で指示を仰ぎ、マスターキーを持って捜査員に従った。
 四〇二号室。橘警部が呼び鈴を鳴らす。
 応答はない。
 三千院は、ドア越しにイヤな気配を感じた。
 「大学の……ベンチと同じ気配です」
 「居るんやな?」
 「……居ます!」
 魔道課の三人が、橘、神楽岡、中大路の刺股(さすまた)に貼った呪符に手を添え、呪文を唱える。結びの言葉と同時に呪符から淡い光の波が広がった。穢れを祓う力の波だ。見鬼には視えるが、半視力では視えない。

 管理人立会の許、橘警部がマスターキーを挿した。
 「危ないから、退がっとって下さいね」
 嵐山の言葉に、管理人は首振り人形のように何度も頷き、エレベーターホールに走った。
 声を掛けながら、ドアを開ける。
 「古都府警や。新月賛治(にいつきさんじ)、営利目的等略取、並びに逮捕監禁の罪で逮捕する」
 鉄製のドアを全開にし、左手に逮捕状、右手に刺股を構え、突入する。

 玄関に若い女性が立っていた。
 出口芽衣(でぐちめい)だ。
 右手奥から水音が聞こえる。音の反響具合から、風呂に湯を張っているようだ。
 出口芽衣が、口の中で何事か呟いている。耳慣れない言葉に水音が重なり、何を言っているか聞き取れない。
 「出口さん、出口芽衣さんですか? 古都府警です」
 橘警部が声を掛けたが、出口は答えず、無表情に呟き続ける。
 鴨川が早口で呪文を唱えながら、二人の間に割り込む。
 出口が、明瞭な発音で結びの言葉を唱え、床を指差した。鴨川と橘の眼前に炎の壁が現れる。
 一瞬遅れ、鴨川も呪符を突き出しながら、詠唱を終えた。
 呪符に触れた炎が幻のように掻き消える。鴨川の手の中で、呪符が灰になり、崩れた。

 橘警部が我に返り、刺股を突き出す。出口は無表情のまま、後退した。鴨川が、スリッパに燃え移った火を土足で踏み消す。
 神楽岡と中大路も、呪符を貼った刺股を突き出しながら、玄関に入った。出口芽衣がじりじりと後退する。表情はなく、動作も機械的だ。

 鴨川が、懐から呪条(じゅじょう)を取り出した。
 金属光沢のある細い綱で、片側の先端に銀の錘(おもり)、もう一方に小指の先ほどのサファイアが付いている。内に魔力の輝きを宿した宝石を握り、鴨川は力ある言葉で呪条に命じた。
 呪条が鴨川の言葉に応え、蛇のようにくねり、宙を這う。

 嵐山課長と三千院は、廊下で刺股の【退魔符】に触れ、呪文を詠唱していた。
 「(とお)らう灼熱の御手以て、焼き祓え、祓い清めよ。
 大逵(たいき)より来たる水の御手、洗い清めよ、祓い清めよ。
 日々に降り積み、心に澱む塵芥、薙ぎ祓え、祓い清めよ。
 夜々に降り積み、巷に澱む塵芥、洗い清めよ祓い清めよ。
 太虚(たいきょ)を往く風よ、日輪(ひのわ)(かげ)らす雲を薙ぎ、月を翳らす(もや)を祓え」
 日之本語に訳せばそんな意味だが、力ある言葉では音数が多く、詠唱に時間が掛かる。

 捜査一課の二番手、河原と二本松が緊張した面持ちで、手元と室内に目を遣る。
 「あッ! 切れた! モミジさん、次、(はよ)う!」
 一番手三人の【退魔符】が力を出し切り、灰になった。
 力の波に押されていた出口の中の魔物が、足を止めた。
 三人は、呪符を失った刺股で、出口の動きを牽制する。
 魔物は再び口を動かし、出口の声で呪文を唱え始めた。
 鴨川が呪条に命令しながら、すり足で出口に近付く。銀の錘が床を跳ね、螺旋を描いて出口の足下から這い上った。肩の下に達した瞬間、鴨川は呪条を引いた。綱が締まり、出口の体ごと中の魔物を拘束する。
 出口は表情を変えることなく、呪文を唱え続ける。

 「一番手退がって、二番手奥へ!」
 嵐山が叫びながら中へ入る。
 スーツのポケットから、送還布を引っ張り出し、一気に広げた。大振りの風呂敷程度の大きさだ。黒地に銀糸で複雑な魔法陣が織り込まれ、四隅でサファイアが輝いている。サファイアに貼り付く紙片が、短冊のように揺れた。
 橘警部が脱衣所のドアを開ける。
 むっとする熱気と湯気が廊下に流れた。無人であることを確認し、中に入る。神楽岡と中大路も後に続き、廊下を空けた。
 二番手、二本松と河原が出口と対峙する。
 「奥! もっと奥! ここはもうえぇから! 他の奴、やって!」
 二人は嵐山の声で、拘束された出口の横をすり抜け、奥の部屋へ走った。

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