■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-53.一難去って(2016年04月10日UP)
こんな場所で夜を明かすなんて、今まで考えたこともなかった。
戦いの興奮が醒め、恐怖感が足許から這い上がって来る。
こんな所で夜明けを待つより、安全な場所に移動してから、ムグラーを休ませた方がいいのではないか。
ナイヴィスにはそう思えてならないが、隊長がここで待機と命令し、女騎士もそれに異を唱えないところを見ると、これが正しい行動なのだろう。
ナイヴィスは、意識を失った重傷者を連れて【跳躍】したことがない。いや、これ程の怪我を見たことすらなかった。
ムグラーの様子を窺う。
心なしか、先程より顔色が良くなった気がする。
ワレンティナとトルストローグは、目を閉じているだけで、眠ってはいないようだった。いつ、何が襲ってくるかわからない。
ナイヴィスはふと、ワレンティナに言われたことを思い出した。
「隊長に休めって言われたら、ちゃんと身体を休めないとダメなんだからね」
あの時はわからなかったが、休める時に休み、次に備えると言うことだったのだろう。
ガサリ
物音に心臓を鷲掴みにされた。全身が硬直し、全く動けない。
「来た」
隊長が鋭く声を発する。二人が身を起こした。
〈落ち着いて。【真水の壁】があるから。ゆっくり振り向きなさい〉
震える手で、柄に触れる。ポリリーザ・リンデニーに握り返され、震えが治まった。
錆びた蝶番のように首が軋む。ぎこちない動作で、肩越しに振り向いた。
木立の闇。【灯】の範囲外で何かが動いている。
ワレンティナとトルストローグが、抜き身を手に【真水の壁】の前へ出た。
「ナイヴィス、ムグラーを守れ」
隊長も、森へ向かう。
ナイヴィスは、地面に手をつき、身を捻って体ごと向き直った。膝が笑って立ち上がれない。口の中がカラカラに乾き、返事の声もかすれて消えた。
森の中で何かが動いている。
仄暗い【灯】に葉が揺れ動くのが見えた。
それは、地面を掻いてしきりに何かを食べている。
……狼か何かが、魔獣の死骸を食べているんでしょうか?
〈魔法できっちりトドメを刺して、灰になるの見たでしょ〉
あっさり否定された。
三人が木々を盾に、足音を殺して、それに近付く。
闇にナイヴィスの目が慣れたのか、それが一回り大きくなったように見えた。
〈あなた、さっきこのコの傷を洗い流して、水はどこへ捨てた?〉
その問いに頭が真っ白になる。
思い出せない。
あの時、夢中で処置をした。
……水……どうしてました?
〈森に捨てたから、魔獣が嗅ぎつけて来たのよ。隊長さん、ちゃんと見てたのね〉
隊長とワレンティナが、それぞれ呪文を唱える。
〈お葬式で遺体を灰にするのは、魔物の餌にしない為なの。
今のあなたは火の魔法が使えないし、あの状況じゃ、そんな余裕なかったから、言わなかったけどね。今度からちゃんと、焼いてから捨てるのよ。人間に限らず、魔力ある者の身体は、血も髪も爪も全部……〉
ナイヴィスは愕然とした。何となくそう言うものだと思っていたことに、そんな理由があったとは知らなかった。
〈今回は、魔獣討伐の任務だから、これで良かったんだけどね〉
明るい声で付け加えられたが、ナイヴィスの胸の罪悪感が薄れることはなかった。
ムグラーの血を捨てたまま、ここを離れていれば、それを土ごと喰らい、より強くなった魔獣を野に放ってしまうところだった。
隊長がここに留まる判断をしたのは、ムグラーの容体のこともあるが、魔獣に力を与えない為だったのだ。
判断の甘さに臍を噛む。
〈あなた、実戦は初めてなんだから、そんなの仕方ないでしょ。色々失敗しながら経験を積んで、身に着けるものなんだから〉
その失敗が命に関わるなら、なるべく失敗しない方がいいに決まっている。知っていれば、無造作に血を含んだ水を捨てたりしなかった。
武官の仕事嫌さに勉強しなかった後悔が、ナイヴィスの胸を締め付ける。