■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-49.紺色の大蛇(2016年04月10日UP)
トルストローグは、もう一体を警戒していた。
葉擦れの音が上から聞こえる。【灯】の範囲に、夜闇に溶け込む紺色のモノが入った。長い。夜の森に紛れ、長い何かが、枝葉を伝って近付いて来る。
隊長が、長いモノに向き直る。
ワレンティナは再度、同じ呪文を唱えた。緑の巨体に飛礫が叩きつけられる。
跳躍しようと身を縮めた緑の雄牛が、蹈鞴を踏んで留まった。
その隙にムグラーが【障の壁】を建てる。【石の雨】が止んだ瞬間、魔の雄牛が地を蹴った。【網】が絡み、歩幅が狭められる。思うように動けぬ怒りを目に滾らせ、ムグラーに突進した。
見えない壁に阻まれ、雄牛の巨体が自らの力でひしゃげる。角が片方、折れて落ちる。重い音を立て、地に突き立った。
ナイヴィスの手で、抜き身の魔剣が魔力を収斂し、刃を実体化させる。
〈私が「振れ」って言ったら、振り下ろすのよ〉
「えっ?」
長剣を握った右腕だけが前へ出る。右腕に引きずられ、足も前へ。折角、戻った簡易結界から引きずり出される。
「ギャーッ! 無理むりムリッ! やめて止めてーッ!」
〈いいから出なさいッ! あんなの雑魚よ〉
引きずられながら、視線を左へ向ける。
頼みのソール隊長は、トルストローグと共に、紺色の大蛇と戦っていた。
蛇の頭を更に引き伸ばした頭部。大きく開けた口の中には、鋭い牙が二列、びっしり生えている。頭部だけで、大人の身長並の長さだ。闇に溶け、全体は定かでない。【灯】の範囲に入った部分だけでも、相当な長さだ。
木の幹に巻き付いたまま、解いた上体を鞭のようにしならせ、凄まじい速さで草地の人間を襲う。【真水の壁】に阻まれ、敢え無く弾かれた。
紺色の大蛇が触れた瞬間、【壁】が青く色付く。
緑の雄牛が、姿勢を低くした。角が赤熱したように輝く。ムグラーが左手袋の【不可視の盾】を展開した。
健全な角と、折れ残ったもう一本の間に、火花が散る。その数が次第に増し、斜めに歪な線が現れた。線の中央で縦に激しく火花が弾ける。
「なっ……」
ナイヴィスは言葉が続かない。
魔剣が、ナイヴィスの疑問と混乱を代弁し、次の行動も示す。
〈あれが何で、これから何が起こるのか、ですって? 今回はこのコが守ってくれるみたいだから、見てなさい〉
「えぇっ?」
思わず声が裏返る。
角の間で光球が膨れ上がり、辺りが明るくなる。緑の雄牛が、大きな動作で首を振り、光球が放たれた。まばゆい軌跡を描き、二人を襲う。
ムグラーが【不可視の盾】を構え、雄牛とナイヴィスの間に立ち塞かった。
光球が【盾】に触れる。
地を鞭打つような音と同時に、輝きが消えた。
辺りが唐突に【灯】が照らす薄闇に戻る。
ほんの一瞬の出来事の筈だが、ナイヴィスにはとてつもなく長く感じられた。
二人を守った【不可視の盾】は、魔法にも物理攻撃にも、大きな防禦力を発揮するが、使い捨てだ。
身に着ける物に予め、任意の合言葉を織り込んで掛け、攻撃に備える。合言葉で展開し、一度だけ身を守って消える。
〈あれは簡易結界じゃ防げないわ。このコみたいに【盾】で防ぐか、避けなさい〉
「えっ?」
ナイヴィスの手袋に掛けた【不可視の盾】は未使用だが、あれを防ぐ自信はない。
況してや、飛んで来る光球を避けるなど、余程の達人でもなければ不可能だ。
〈当たったら、鎧でも怪我する威力よ〉
「えぇッ?」
〈準備動作が長くて、来るのわかるんだし、落ち着いて何とかするのよ〉
女騎士は、こともなげに言う。
緑の雄牛は、荒い息を吐き、蹄で地面を掻く。【網】が絡んで思うように動けず、かなり苛立っている。
「先具 不可視の守を 此処に置く 置盾其の名 “クラースヌィ”」
ムグラーが【不可視の盾】を掛け直した。
ナイヴィスはどうしていいかわからず、じりじりと簡易結界へ後退りながら、魔剣の柄を握り締めた。
〈攻撃したい? 防禦したい?〉
「えっ……と、仰られましても……」
一番の望みは、ここから逃げ出すことだが、流石にそれは言えない。
攻撃も防禦も、どう動けばいいかわからない。
ムグラーの【光の槍】が、緑の雄牛の右目を貫いた。
苦痛の咆哮を上げ、怒りに任せて【白銀の網】を引き千切る。青黒い血を噴き出しながら、自由になった脚で大地を蹴った。
〈サフィール・ジュバル・カランテ・ディスコロール、右手へ走れ!〉
ナイヴィスが命令を認識するより先に、足が勝手に駆けだす。簡易結界から飛び出した直後、雄牛はムグラーの頭上を飛び越え、ナイヴィスが立っていた地点に着地した。巨大な蹄で黒土が抉れる。
〈簡易結界を、強行突破できる強さってことね〉
魔剣が停止命令を出さなかった為、ナイヴィスは木の幹にぶつかって止まった。
色々な意味で涙を滲ませ、左手で頬をさすりながら、振り向く。
ムグラーは、鋼の剣で緑の雄牛に立ち向かっていた。
ワレンティナが泉越しに、雄牛の腰へ飛礫を降らせている。
隊長とトルストローグは、長い魔獣と戦っていた。
牙を躱しざま、トルストローグが、長い頭部に重い斬撃を浴びせる。深紅の血飛沫が上がり、魔獣が身を捩った。
隊長が【光の槍】で追い打ちをかける。頭部はそれを躱したが、その奥、森でくねる胴が穿たれた。濃紺の胴が、血を噴きながらのたうつ。木々が揺れ、木の葉が落ちる。落ち葉が赤く濡れ、【灯】の青白い光を反射した。
ムグラーが、草の刈り跡に躓き、体勢を崩した。