■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-07.退魔の武器(2016年04月10日UP)

 ナイヴィスが担当した棚には、長剣が収められていた。
 帳簿なのか名簿なのか判然としない綴りを手に、言われた項目を点検する。
 何か囁くような声が聞こえるような気がするが、気のせいで済ませられる程度の幽かなものばかり。勿論、何を言っているのか、内容は全くわからない。
 ナイヴィスは黙々と作業に集中した。
 〈あ、やっと来た。ね、そこのあなた、私、鞘が外れそうなの。ちゃんとしてくれない?〉
 不意に声を掛けられた。
 場違いな程、活き活きとした女性の声だ。
 作業は残り三段。
 上から二段目の剣が少しずれ、鞘と柄に隙間が生じていた。柄頭の【魔道士の涙】は、菫色に輝いている。
 隙間以外の問題はなさそうだ。
 〈ね、自分じゃ直せないから、助けてくれない?〉
 随分、馴れ馴れし……いや、気さくな英雄だ。
 余りにはっきりした声で、注意を受けていなければ、生身の女性に話しかけられたと思うところだ。
 〈ずっと、直してくれるのを待ってたの。ね、あなたなら背も高いし、届くでしょ?〉
 女性の声は、期待に弾んでいる。
 ナイヴィスは左右を見た。
 通路には誰も居ない。棚に遮られ、上司も同僚も見えない。
 綴りを見た。「舞い降りる白鳥の魔剣ポリリーザ・リンデニー」と記されている。

 ……ふーん。戦闘じゃなくて、呪いの解除に使うんだ。

 ナイヴィスは、上司の注意を忠実に守り、聞こえないフリをした。【舞い降りる白鳥】学派は、術の解析や呪い解除を専門に行う。直接、魔物を倒すような術はない。
 〈酷い……国の為、民の為、身を粉にして戦ってきた私を、実戦用じゃないなんて……〉
 先程の元気が消え、語尾が震える。菫色の光も、心なしか弱くなった気がした。
 ナイヴィスは、気付かないフリでやり過ごし、次の段を見る。
 剣が【魔道士の涙】を翳らせ、女性の声がすすり泣き始めた。
 「あ、す、すみません、そんなつもりじゃ……」
 〈ホントに申し訳ないと思うんなら、鞘にちゃんと収め直して〉
 「は、はい」
 棚に綴りを置いて手を伸ばし、右手を柄、左手を鞘に添える。
 カチリ。
 小気味良い音を立て、きちんと鞘に納まった。
 〈ありがとうね、親切な坊や。気に入ったわ〉
 声はすっかり機嫌を直し、【魔道士の涙】も元の明るさを取り戻した。
 「あ、いえ、こちらこそ、失礼を……」
 腹の底が、ひやりと冷える。
 今になってやっと、さっきの思考を読まれていたことに気付いた。続いて、もうひとつ、もっと洒落にならない問題にも気付く。

 ……手が、離れない。

 指を開こうとするが、自分の手ではないように、びくともしない。
 冷や汗が流れた。
 棚から手を降ろす。当然、剣もついてくるが、意外に軽い。
 左手で、右手の指をこじ開けに掛かる。石化したかのように、微動だにしない。焦りと困惑で掌に汗が滲む。
 「ナイヴィス、さっさとせんか。後はお前だけだぞ」
 上司の声に、ナイヴィスは柄を握った姿勢のまま、硬直した。

 通路に足音が響く。
 「あっ……! お前ッ」
 「あ、あの、いえ、これは、その……」
 頭が真っ白になり、弁解の言葉すら出てこない。
 駆け寄った上司は、数歩手前で止まり、溜め息をついた。
 「手が、離れんのだな?」
 「は、はい。あの、鞘がずれて困ってるから、直して欲しいって言われて……」
 「で、直した、と?」
 「は、はい、すみません」
 「英雄殿は、何と?」
 「ありがとうね、気に入ったわって……」
 剣と一体となった右手を示し、問われるままに答える。てっきり叱られると思い、身構えていたが、どうも様子が違う。
 上司は再び溜め息をつき、ナイヴィスが置いた綴りを手に取った。
 「あと二振り……ふむ。問題なさそうだな。来なさい」
 残りを自ら点検し、ナイヴィスを促す。
 「あ、あの、でも、これ……」
 「いいから、来い」
 左手首を掴まれ、退魔の庫から連れ出される。
 廊下には、作業を終えた同僚が集まっていた。
 上司は空調管理室へ戻るように指示し、ナイヴィスには何も言わず、どんどん歩く。
 「すみません、室長、すみません……」
 ナイヴィスの情けない声に全く答えず、空調管理室長は、騎士団の詰所に入った。

 ……えっ? ひょっとして、腕を斬り落とされる?

 顔から血の気が引く。室長は手を離し、ナイヴィスの背を押した。
 「城青警備隊長殿、魔剣使いを一人、お連れしました」
 日誌をつける手を止め、警備隊長が立ち上がって質問する。
 「剣は?」
 「退魔の魂……舞い降りる白鳥の魔剣ポリリーザ・リンデニーです」
 詰所で待機していた騎士と兵士が集まって来た。
 「これが……」
 「あの……」
 ナイヴィスの右手に尊敬と羨望の眼差しが注がれる。ナイヴィスは武器の台座扱いだが、本人はホッとしていた。
 「空調管理室の人事処理はこちらで行います。騎士団への異動の処理は、城青警備隊にお任せしてよろしいですか」
 「うむ。確かにお預かりした」
 「それでは、然るべく。……ナイヴィス、引き継ぎが終わるまで、当面は兼務になるぞ」
 「えっ? あ、はい?」
 室長はそれだけ告げると、詰所から足早に去った。
 訳もわからぬまま置き去りにされ、途方に暮れる。
 ナイヴィスは幼い頃から目立つことが嫌いで、外で遊ぶよりも、部屋で大人しく本を読む方が好きだった。お蔭で、勉強はよくできたが、身体はひ弱で体力もない。
 自分とは全く正反対の武官に囲まれ、居心地が悪い。
 隊長の顔を見る。隊長は満面に笑みを浮かべ、ナイヴィスの細い肩を叩いた。
 「おめでとう。今日から君は、魔剣使いだ」

 森の手前で、トルストローグが立ち止まった。
 「ここからは、慎重に行こう」
 物思いに耽っていたナイヴィスも、足を止める。
 農道から森の奥へ、小道が続く。村人が、木の実拾いや狩りに行く道だ。
 小道から外れた場所に、下草が踏みしだかれた跡が、森の奥へ続く。
 跳び縞は体長こそ長いが、細身だ。森の中では、木々の間をすり抜けて走る。
 ナイヴィスは、ふと思いついた疑問を口にした。
 「跳び縞の口では、カボチャを食べられないんですよね?」
 「そうっすね」
 トルストローグが、鈍重な外見に似合わぬ軽い調子で応じた。
 ワレンティナは、首を傾げた。
 「それがどうかした?」
 「今の時期のカボチャは、まだ固くて小さくて、人間が食べても美味しくありません」
 「まぁな。もうちょい待てよって思うよな」
 「跳び縞を使役してる人の目的は、何なんでしょう?」
 「ん?」
 「あれっ?」
 そう言われて初めて、犯人の目的が不明なことに気付き、二人も考え込んだ。
 少なくとも、食用や種子の採取ではない。
 「まだ固いから、ぶつければ痛いけどね」
 ワレンティナが、何でも武器にする【飛翔する鷹】学派らしいことを言う。
 トルストローグは、その発想に疑問を呈した。
 「そりゃ、痛いだろうけど、武器にするのはどうかなぁ?」
 「なんでよ」
 「わざわざカボチャなんか盗まなくても、石でもぶつけた方が、殺傷力は高いだろう」
 「あぁ、そう言われれば、そうねぇ……」
 そうなると次に考えつくのは、薬か道具の素材だ。
 三人は【思考する梟】学派の薬を作る術を知らず、道具を作る各種学派の術も知らない。
 未熟なカボチャで何をする気なのか。
 犯人の目的がわからないことは不気味だが、ここで考えていても仕方がないので、森へ入ることにした。

06.魔道士の涙←前 次→  08.魔獣の追跡
↑ページトップへ↑
【飛翔する燕】もくじへ

copyright © 2016- 数多の花 All Rights Reserved.