■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-10.不審な小屋(2016年04月10日UP)
夏の日は長い。
昼食後、三度目の小休止の後、歩きだしてすぐに小屋を見つけた。
木々が伐られ、拓けた場所に建つ。
人家からも、森を通る街道や、樵や狩人が使う小道からも、離れていた。
丸木の切り口がまだ新鮮だ。
生乾きの木材から樹木の芳香が漂う。ここで伐った木で最近、建てたらしい。
魔獣……跳び縞がこちらに背を向け、草を食んでいた。木立の影が、小さな庭に伸びる。よく見ると、魔獣はロープで木に繋がれていた。
トルストローグが、二人を手振りで下がらせる。
三人は音を立てないよう、そっと休憩地点に戻った。
倒木に腰掛け、相談する。
「割と近かったのねー。やっちゃう?」
「こらこらっ」
「おいおい、相手が何人で、何学派かもわからないんだ。闇雲に突っ込んじゃいかんぞ」
トルストローグに諭され、ワレンティナがしゅんとする。
この中で最も好戦的なのが、女の子だと言うことに、ナイヴィスは頭が痛くなった。
〈いいじゃない。元気があって〉
……そう言えば、リーザ様も女性でしたね
〈心が繋がってるのに忘れるなんて、失礼極まりない奴ね〉
「す、すみません」
「どうした?」
「い、いえ、何でもありません。どうぞ、お話を続けて下さい」
幸か不幸か、魔剣の声はナイヴィスにしか聞こえない。
「カボチャ泥棒、今すぐ捕まえないの? 逃げちゃうかもよ?」
「もうすぐ日が暮れる」
「だったら、急ごうよ。逃げられちゃうよ?」
「急いては事をし損じると言う。場所はわかった。一旦戻って、隊長の指示を仰ごう」
ワレンティナは不満げに頬を膨らませ、渋々頷いた。
トルストローグがポケットから掌大の羊皮紙と、携帯用の細いインク壺、ペンを取り出す。
手早く呪印を描き、倒木に置いた。
ナイヴィスが見たことのない呪印だ。
〈あぁ、それ? あんまりよく覚えていない場所でも、これを置いとけば【跳躍】できるの。描いた人限定で〉
……えっ? 次、来る時、トルストローグ一人ってことですか?
〈何バカ言ってんの。彼があなたたちを連れて【跳躍】するの〉
……それって、凄く疲れますよね?
〈もし、戦闘になったら、助けてあげなさい〉
助けるどころか、足手まといにならないか、いや、生きて帰れるのかさえ不安なのだが、魔剣は全く気にしていない。
インクが乾くと、トルストローグは呪印の羊皮紙を地面に置き、落ち葉で隠した。
念の為、と言いながら、ワレンティナが枯れ枝を乗せる。
「よし、じゃ、もう少し様子を見て、ここに戻ってから村へ【跳躍】な。えーっと、役割分担は、俺が家の様子を見るから、二人は人や魔獣が来ないか、周囲を警戒してくれ」
「お兄ちゃん、足音を立てないように、こっそり歩いて、姿勢を低くして、見つかんないようにしてね」
「あ、あぁ、頑張るよ」
〈命懸ってんのよ。気合い入れなさい〉
……はい
再び小屋へ行く。人の気配はなく、魔獣は大人しく草を食んでいた。
トルストローグは二人を手前の薮で待機させ、一人で更に近付いた。
二人は茂の間に入り、息を潜める。
背中合わせに座り、辺りに目を配る。
時折、鳥の声がするくらいで、静かなものだ。
夕空を渡る風が梢を揺らし、小鳥が飛び立つ。枝葉の隙間から、夕日に染まった雲の断片が見えた。
森の中へ目を戻すと、紫色の蝶が舞っていた。落ち葉の上を足の多い虫が這っている。
ナイヴィスは、逃げ出したい衝動に駆られた。そろそろ三十路に手が届くので、流石に悲鳴は上げない。
ワレンティナの年頃なら、こんな虫が視界に入った瞬間、悲鳴を上げそうなものだが、ナイヴィスの従妹は全く動じていない。
人里離れた森の奥。
足下には不気味な虫。
何者が潜んでいるかわからない小屋の監視……の見張り。
眼と鼻の先に魔獣。
跳び縞は草食だが、あの強い足で蹴られたり、丸太のような尾で打たれたり、巨体にのしかかられたりすれば、人間などひとたまりもない。
〈あなたってホント、意気地なしなのねぇ〉
……えぇ、はい。ひ弱な都会っ子ですから。
〈そんなの認めてないで、言い返すくらいしなさいよ〉
……だって、事実なんですから、否定しても仕方ないでしょう。
〈変な所で素直ねぇ。もっとこう「うおー! 見返してやるーッ!」って、ならない?〉
……いいえ。
魔剣となった女騎士は、ナイヴィスの脳裡で盛大に溜め息をついた。
気が付くと日が傾き、辺りは薄暗くなっている。
遠くで、小さな光の点がふたつ同時に動いた。
〈サフィール・ジュバル・カランテ・ディスコロール、座りなさい〉
ギョッとして立ち上がりかけたナイヴィスを、魔剣が強引に座らせた。
本人の意に反して、枯れ葉の上に跪かされる。
ワレンティナが振り向き、逃げて行く小さな影を見詰める。
「野兎よ」
それだけ囁くと、視線を戻した。
〈ひょっとして、兎見るのも初めて?〉
……はい。
〈おいしいのよ。今度、捌き方を教えたげる〉