■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-45.泉のほとり(2016年04月10日UP)

 昼頃には、小さな泉の畔に出た。村長の話では、村人が休憩に使っていたと言う。
 ここは日当たりが良く、草の勢力が旺盛だ。
 草刈り鎌が二本しかないので、交代で作業する。

 ナイヴィスは、トルストローグに鎌の使い方を教えてもらった。鎌を振るうと、草地のあちこちから、バッタやコオロギが飛び出す。
 ナイヴィスは、その度に息を飲んで硬直した。
 ワレンティナが面白がって、鞘で草地を薙ぎ払う。
 我慢して刈り進む内に、全て森へ逃げたのか、しばらくすると、飛び出さなくなった。
 刈り跡と生い茂る部分の差で、成果がよくわかり、達成感が大きい。コツを掴めば、すっぱり切れて楽しかった。
 青草の香も清々しい。夢中で人生初の草刈りをする。

 草刈りに小一時間掛かった。
 「こうしておけば、我々の休息でも、後で村人が利用する時も、過ごしやすいからな」
 腰を伸ばして、隊長が言った。
 ナイヴィスも額の汗を拭い、それに倣う。中腰で作業していたからか、腰が痛む。
 鎧のお陰で外気の暑さは感じないが、作業で上がった体温はどうにもならない。ほんの少しの作業だが、疲れ切っていた。
 泉の水を起ち上げ、汗を流す。さっぱりして気持ちいい。
 これまで感じたことのない爽快感に、なんとも表し難い感動を覚えた。

 〈たまには、こう言うのもいいでしょ〉
 ……そうですねぇ。
 〈ところで、不思議だと思わない?〉
 ……何がですか?
 〈どうして、草ボーボーだったの?〉

 ナイヴィスは少し考えて答えた。

 ……魔物が出て、村の人が来なくなって、手入れしなくなったから、じゃないんですか?
 〈あなたって、やっぱり都会っ子なのねぇ〉
 ……それは否定しませんけど、そんな馬鹿にしなくてもいいじゃありませんか。
 ナイヴィスは渋面を作り、左腰に吊るした魔剣に視線を向けた。魔剣となった女騎士は、そんな視線を意に介さず、間抜けな魔剣使いに質問を投げる。
 〈森の水場なんだから、鹿とかが水を飲みに来る筈でしょ? おかしいと思わないの?〉
 ……あっ!

 そこまで言われてやっと、異常性に気付いた。
 草刈り前、泉の周囲には獣道すらなかった。背の低い木が疎らに生え、草は大人の腰辺りまで伸び、場所によっては背丈程にもなっていた。
 森の獣が水を飲みに来るなら、獣道が出来る筈だ。
 鹿などに食まれて、草丈はもっと短くなる。鹿の数が多ければ、泉周辺の草が、一本もなくなることもあるだろう。

 〈その場所の本来あるべき姿と、おかしな点、違和感に気付けるようにならないと、生き残れないわよ〉
 ……ムチャ言わないで下さいよ。王都から出たことなくて、森もまだ二回目なのに。
 〈その言い訳を、魔物が聞いてくれるといいわねぇ〉
 魔剣となった女騎士は、ナイヴィスの脳裡にニヤニヤ笑う思考を送った。
 〈まぁ、でも、そんなに心配しなくていいわ。いきなり肉体のある三界の魔物に当たったのに、ちゃんとできたんだから。次に何が来ても、大丈夫よ〉

 それの、何が、どう、大丈夫なのか。

 〈ホントは、幽体だけの三界の魔物を退治する命令だったんじゃない? 王女殿下がお守り下さる範囲を、安全にする為の〉

 ナイヴィスは、ソール隊長が命令書を見ながら発した言葉を思い出した。
 「三つ首山羊の王女(トリ・ガローフ・カザー)殿下は、三界の眼ではないので、そこそこの魔物を相手にすることになる」

 〈生きながらにして三界の魔物と化した者がいるなんて、あの時、誰も知らなかったんだから〉
 想定外の強敵にも関わらず、適切な対応ができた。
 無理に自力で戦おうとせず、早めに援軍を呼べた。
 女騎士ポリリーザ・リンデニーは、トリアラームルス副隊長と同じ点を褒めた。

 〈今日、近衛騎士が行った東の湿地に、緑の手袋小隊が本来倒す筈だった「穢れ生まれの三界の魔物」がいる筈よ。まだ幽体しかなくて、あれより弱いのが〉

 ナイヴィスは命令書を読んでいないが、隊長の思惑はわかった。
 まず、日の当たる場所で雑妖退治から始めて、次に小さな魔獣。
 ナイヴィスをだんだん慣れさせて、日程の最後に、東の湿地に巣食う「穢れ生まれの三界の魔物」の討伐をする予定だったのだ。

 予想外の場所で、肉体を持つ三界の魔物と遭遇し、緑の手袋小隊は精神的に疲弊してしまった。
 赤い盾小隊が見兼ねて、湿地の三界の魔物を引き受けてくれたのだろう。

 ナイヴィスは自分の臆病さのせいで、隊長と隊員たちに余計な手間を掛けさせてしまったことに、項垂れた。
 〈申し訳ないと思うんなら、もっと気合い入れなさい〉

 今日の昼は、村人が持たせてくれた堅パンとチーズと瑞々しい野菜だ。チーズの塩気と野菜の甘みに疲れが癒される。

 昼食後、刈り取った草を一カ所に集め、隊長が術で燃やした。範囲を指定された炎と煙は、全く外へ広がらない。青草の山が見る間に灰になる。
 ナイヴィスは、火の術を修めていない。炎を安全に扱う隊長に、尊敬の眼差しを向ける。

 〈あなただって、練習すれば出来るようになるじゃない〉
 ……でも、あの、ちゃんとできなかったら……火事が怖いし……
 〈皆とはぐれて、一人になったら、どうするつもり?〉
 ……【跳躍】で村へ戻りますよ。

 女騎士は、ナイヴィスの脳裡で小さく溜め息をついた。

 〈そう言うことじゃなくって、もっとこう、生きる力を身に着けた方がいいから、ねっ?〉
 ……ねって言われましても、逃げるのも生存戦略のひとつですよ。
 〈いつも逃げられる状況ならいいんだけどね……〉

 ソール隊長が灰を水で流し、木立の間に捨てる。
 草地だった場所に、ぽっかりと黒土の地面が顔を出した。直径はナイヴィスの身長くらいある。
 隊長が枯れ枝を拾い、土に魔法陣を描く。ナイヴィスの知らないものだ。興味津々で作業を見守る。

 〈簡易式の魔除けね。今夜はここに泊まるのね〉

 魔剣に断言され、ナイヴィスはいきなり不安に襲われた。先日までは、暗くなる前に【跳躍】で村へ戻っていた。
 てっきり、今日もそうすると思っていたのだ。

 「此の輪天なり 六連星(むつらぼし) 満星巡(みつぼしめぐ)り 輪の内 地なり 星の(かき) 地に(めぐ)
  垣の内 呼ばぬ者皆 立ち去りて 千万(ちよろず)昆虫除(はうむしの)けて 雑々(かずかず)の 妖退(あやししりぞ)
  内守れ (たい)らかなりて (しず)かなれ」

 呪文も、ナイヴィスが初めて耳にするものだ。

 〈初歩的な簡易結界よ。【霊性の鳩】の。あなたも覚えといた方がいいわ〉
 ……後ででいいですか?
 〈皆とはぐれない自信があるんならね〉
 ……あの、さっきから何故、私がはぐれる前提なんですか?
 〈あなたこそ、その、はぐれない自信は何なの? 根拠は?〉
 ……えっ?

 女騎士に問い詰められ、ナイヴィスは絶句した。考えたこともなかった。

 「食糧は三日分ある。水も補給できる。ここを拠点に、魔獣の掃討作戦を行う」
 隊長が説明を始めた。

 村長がまとめた目撃情報によると、魔物は三種類。各一体ずつ。
 発見から時間が経っている。既に実体を具えた魔獣と化している筈だ。
 幸い、種類は異なる。繁殖はしていないだろう。

 村の人口が減り、仕事の対価となる魔力の水晶や食糧などの生産量が減った為、民間の魔物狩りに依頼することができなかった。
 騎士団は常に人手不足で、王都へ陳情に行ったが、順番待ちが長く、とうとう今になってしまった。
 「なかなか、早期発見、早期駆除とは行かぬものだ」
 隊長が苦笑する。

 「実体のある奴は、普通の剣で肉体を倒すだけで、幽界に送還できるから、魔獣の方が倒しやすいけどな」
 トルストローグが、不安と絶望を顔に貼りつかせたナイヴィスに、笑ってみせる。彼は騎士となる以前、そう言う仕事もしていた。
 「……でも、強いんですよね?」
 「お兄ちゃん、そんな心配しなくても、私たちがついてるし、お兄ちゃんにはリーザ様がいらっしゃるじゃない」
 ナイヴィスは、左腰に吊るした魔剣の柄に目を遣った。

 〈三界の魔物より楽よ。村人の安全の確保なら、肉体の破壊だけでも充分だから。本質にきっちりトドメを刺すには、魔法か、魔力を帯びた武器が必要だけどね〉

 さっきは散々脅かした癖に、今度はお気楽な物言いだ。判断の基準がわからない。単に怖がる姿を面白がられているのかも知れない。
 ナイヴィスの眼は、女騎士への不信に染まっていた。
 「ナイヴィスさん、森は初めてなんですよね? 野営のことなんですけど……」
 「は、はい。訓練ではまだ、丘陵地しか……」
 ムグラーに聞かれ、戸惑いがちに答える。
 「森での野営は、草原よりも気をつけることが多いんですよ」
 「化け物の類だけでなく、普通の獣にも警戒が必要だ」
 続きは、隊長が説明する。
 「交代で見張りをして、火を絶やさぬこと、何かの接近に気付いたら、すぐに休んでいる者を起こすこと」
 「は、はいッ」
 「簡易結界は張ったが、過信せぬこと」
 「はい……」

 訓練では、結界を兼ねた小型の天幕があった。
 今回は、地面に描いた魔法陣の簡易結界のみ。
 鎧で護られているとは言え、不安なことこの上ない。

 ナイヴィスは直接、地面に横になることにも抵抗があった。
 持ってきた荷物は、食糧と水と毒消しなどの応急処置用の薬、呪符、呪符を作る用具類、草刈り鎌。それだけだ。【無尽袋】があれば、嵩張る物も一度にたくさん運べるが、使い捨てだ。中身を出すと術が切れて、普通の袋に戻ってしまう。
 この隊には【無尽袋】を修めた者が居ない。持てる荷物には限りがあった。

 「今日から三日間の任務は、魔獣の討伐。仕留められずとも、三日目の夕方には一旦、引き揚げる。魔獣は夜間の方が活発だ。今の内に休み、夜に備えろ」
 〈ぶっつけ本番で夜襲なのねぇ。皆とはぐれちゃダメよ?〉

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