■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-37.前回の保守(2016年04月10日UP)

 「うむ。村の衆のご心労、察するに余りある」
 「よく、堪えて下さいましたね」
 ソール隊長とムグラーが、烈霜騎士団として労いを口にした。
 おかみさんは礼を述べ、話を続けた。
 「五年程前、前回の結界の保守には、黒山羊の王子(チョールヌィ・カジョール)殿下がいらっしゃったんですよ」
 「三つ首山羊の王女(トリ・ガローフ・カザー)殿下の、曾孫に当たるお方だな。生まれつきお身体は弱いが、魔力は三つ首山羊の王女(トリ・ガローフ・カザー)殿下より強いと聞いたことがある」
 「あら、そうなんですか」

 黒山羊の王子(チョールヌィ・カジョール)殿下は発育不全で、お血筋を残すことはご無理だろう……と、村の誰もがお察ししましたね。 
 身長は大人の男として充分だったけど、長衣の袖からちらっと見えた腕は、枯木みたいに細かったんですよ。
 何より、声変わりしていない小さな女の子みたいな声で、確信しました。
 見た目通り、人並の体力もお持ちでなかったもんだから、階段もご自身のおみ足では上れなくて、お付きの人に抱えられてましたね。

 王子様ご一行が、結界の出発点にお戻りになって、【道守り】の術が完成した瞬間、みんな感動して自然と、わーって声が出ましたね。
 王子様は近衛騎士の方に支えられて、すっかり疲れてらしたのに、私らの声に応えて下さったんですよ。
 そんなお身体を押して……そりゃ、日にちは余分に掛かりましたけどね、でも、ちゃんと【道守り】を完成させて、私らをお守り下さったんですよ。

 おかみさんは、当時を思い出したのか、涙ぐみながら語った。
 「黒のお徽は三界の眼の証。何も結界の保守にお出ましにならずとも、城で坐したまま騎士に【刮目】を掛けて下さるだけでも十分な筈……」
 「王子殿下のお人柄なんでしょうか? ご自身の手で、直接、民を守りたい……と?」
 ソール隊長が驚いて言い、ムグラーがそれを受け、呟いた。
 「立派なお方だなぁ」
 トルストローグが感嘆し、ワレンティナがおかみさんを羨ましがった。
 「いいなぁー。おばさん、王子様に直接、お目にかかれたんでしょ?」
 「えぇ、勿論、遠くからで、お話はしなかったけどね。男前だったよ。……騎士様たちは、お城で毎日でもお会いできるんじゃないのかい?」
 意外そうに聞く。
 隊長が苦笑した。
 「我々は近衛騎士ではなく、烈霜騎士団で、詰所が王都の街中にあるんですよ」
 「あぁ、それで……」
 「お兄ちゃん、役人の時、どうだった? 毎日、お城で働いてたんでしょ?」
 話を振られ、ナイヴィスは困惑した。
 「えっ? 私はお城の中でも役所の区画担当だったから、そんな、王族の方々なんて雲の上で……」

 〈そうよねー。木端役人だったもんねー〉
 ……余計なお世話です。
 〈あら、言うようになったじゃない? 生意気ー〉
 ……ぐぬぬ……

 「ねっ? 騎士様方も黒山羊の王子(チョールヌィ・カジョール)殿下は、ご立派で有難いお方だと思うでしょう? でもねぇ、あいつだけは、殿下を貶しまくったんですよ」
 「えぇッ?」
 騎士の驚愕がひとつになった。
 「ノロマだの、骨と皮で気持ち悪いだの、言いたい放題。挙句の果てには、もう、私の口からはとても言えないような下品な罵詈雑言……」
 一同、王子が何を罵られたのか察しがつき、言い知れぬ怒りが込み上げた。

 「何なのそいつッ! 許せないッ!」
 ワレンティナが怒りで肩を震わせた。
 「落ち着きなよ。君、あの三界の魔物を散々、斬ってたじゃないか」
 「ん? あ、そっか、その人、人間やめちゃってたんだ……」
 ムグラーに言われ、ワレンティナは小さく咳払いして、お茶を飲んだ。
 「うん、その時もね、王子様は『こういうの慣れてるから、今回はいいよ』って仰って、近衛騎士の方を止めて下さったんだよ」
 慈悲深いお方だよ、とおかみさんは深い感慨を籠めて言った。
 ……許したのかな? 何か、もう面倒臭くて相手したくない、みたいな気配が……
 〈そうでしょうねー。三界の眼で、何をご覧になってたのかしら?〉
 ……あッ!
 おかみさんは、溜め息交じりに説明を続けた。
 「あんなの、お許し下さらなくてよかったのに……」
 黒山羊の王子(チョールヌィ・カジョール)殿下は、わざわざそんな奴にまでお声を掛けて下さったんだよ。

 「あのね、君、そう言うことばっかりいってるんでしょ? 穢れに埋もれて、僕には君の顔もわからないよ」

 そいつは、近衛騎士に取り押さえられたまま、王子殿下を睨むだけで、返事もしなかったけどね。
 そんな無礼な態度をとられても、殿下は怒ったりなさらなかったんだよ。
 それどころか、有難くも勿体ないことに、どうすればいいかも、教えて下さったんだよ。

 「このままだと、四年後の二月十三日には、人としての寿命が終わっちゃうよ。今からもう一回、ヒルトゥラ山に登って、穢れを祓ってもらって、心を入れ替えた方がいいよ」

 おかみさんの言葉に、トルストローグが愕然として呟く。
 「それは、まさか、死の宣告……?」
 三界の眼には、人の魂が三界のどの層に近付いているかを視ることで、残りの寿命を計ることができる。
 おかみさんは、お茶を一口飲んで遠くを見つめると、話を続けた。
 「今にして思えば、そうだったんだろうねぇ」
 あいつは、その場では強がって謝りもしなくてさ。村長さんや親戚が平謝りだったよ。

 ご一行がお城へ帰られた後も、村長さんや親戚が、入れ替わり立ち代わりあいつの家へ行って、黒山羊の王子(チョールヌィ・カジョール)殿下の仰る通りにしろって、何回も何回も言いに行ってたよ。
 でもね、みんなであんなに言って聞かせても、折角、殿下から頂戴した有難いお言葉に従わなかったんだよ。
 「なんで犯罪者ってワケでもないのに、大人の俺がそんな面倒臭いことしなきゃなんねーんだ。オンナ共にはホントのこと言っただけだし、子供はフツーにかわいがってるだけだろ。俺は畑仕事とお袋の世話で、忙しいんだよ」
 なんて言ってね。
 そして、とうとう去年、行方不明になったんだよ。
 殿下がはっきり宣言なさった四年目だったからね。村の誰もが、あいつを死んだものと見做して、ホッとしてたんだたよ。
 でも、あいつの母親だけは、認めなくってね。どの口が、探してくれなんて言うんだか。みんなに迷惑掛けまくって、他所様の家の若いコには、村から追い出すようなことばっかりしてたクセに、厚かましいったら。

 トルストローグは、納得して何度も頷いた。
 「林の周辺が休耕期で、誰も行かなかったから、今まで気付かなかったのか……」
 「えぇ。あいつが居なくなったから、また村で婚礼をするようになって、わざわざ林まで行かなくなりましたし……」
 「婚礼の場所で待ち伏せしてたなんて、気持ち悪ーいッ!」
 ワレンティナが鳥肌を立て、自分の両肩をさすった。
 ナイヴィスも、三界の魔物の醜悪な姿を思い出し、スープを飲む手が止まった。
 「ま、まぁ、とにかく、三界の魔物は倒せた。この村の娘はもう安全だ」
 「ありがとうございます。これでもっと娘や孫に会えます」
 隊長の宣言に、おかみさんは深々と頭を下げた。

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