■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-01.カボチャ畑 (2016年04月10日UP)
「ギャーッ! 無理むりムリッ! やめて止めてーッ!」
〈いいから来なさいッ!〉
長剣を握った右腕だけが前へ出る。右腕に引きずられ、足も前へ。
情けない悲鳴を上げるのはナイヴィス。
左襟にムルティフローラ王国軍・烈霜騎士団の徽章をつけているが、およそ騎士には見えない。
ひょろりと背が高く、華奢な体つきは、武官より文官がしっくりくる。
力を入れて抵抗し、踏み留まろうとするが、転倒しないのが不思議な姿勢で、足は畝の間を駆ける。
白く輝く抜き身の長剣が示す彼方には、カボチャを盗む魔獣の姿があった。
牛三頭分はあろうかと言う巨体は、濃い緑と薄茶色の縦縞。何も考えていなさそうな頭には、曲がりくねった角が生えている。よく発達した後足と、長い尾。対称的に細い両腕で、未熟なカボチャを一個抱えている。
「お兄ちゃん、それ、草食だから」
従妹の声が飛んできたが、応じる余裕は、ない。
ナイヴィスの意思に反し、身体が魔獣に近付く。
見渡す限り続く広大なカボチャ畑。身を隠せる場所はない。互いに身を晒している。
魔獣は耳を伏せ、顔だけをこちらに向けて様子を窺っていた。
肥えた黒土は昨日の雨を含んで湿り、畑に点在する水溜りが、夏の残照を反射する。
カボチャの蔓が足首に絡まり、ナイヴィスは転倒した。
魔獣が毛を逆立て、カボチャを抱えたまま跳躍する。畑の北方、森の方角へ逃げた。
一跳びで民家一軒、軽々と飛び越す程の跳躍力だ。
人間の足で走って追い付けるものではない。
ナイヴィスは剣を地面に突き立て、杖代わりにして立ち上がろうとした。
が。
〈ちょっと、やめてよッ! 汚れるじゃないッ! もーッ!〉
白く輝く刃が霧消した。
体重を預けていたナイヴィスが、再び地に伏す。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「単独で突出するな。危ないぞ」
従妹のワレンティナとソール隊長が駆け寄り、ナイヴィスを助け起こした。前面がドロドロ。人相も服装もわからない。
二人に礼を言い、柄だけになった剣に向かって呟く。
「……汚れるじゃないって、私はいいんですか」
〈男の勲章……? 細かいことはいいじゃない〉
トルストローグとムグラーも追い付き、魔獣が跳び去った方角を見る。
ナイヴィスは、顔を上げて隊長に懇願した。
「あの、隊長……隊長からも、リーザ様に何とかおっしゃって下さい。お願いします」
「私が? 大先輩に? 冗談はよせ」
壮年の隊長は、ナイヴィスの願いをあっさり退け、指示を出す。
「今日はもう来ないだろう。一旦、村へ引き揚げる」
「はーい」
最年少のワレンティナが、元気いっぱいに返事をした。
五人の詠唱が、夕暮れのカボチャ畑に響く。
「鵬程を越え、此地から彼地へ駆ける。
大逵を手繰り、折り重ね、一足に跳ぶ。この身を其処に」
【跳躍】の術が発動し、五人の姿が消えた。
■02.正騎士の鎧
五人……烈霜騎士団・緑の手袋小隊は、農村の前に立っていた。
村は石垣に囲まれている。
あの魔獣は勿論、人間でも易々と跳び越えられる高さだ。
物理的にはなんとも頼りないが、魔除けなどの術が施されている為、見た目通りに守りが薄い訳ではない。
中央広場の井戸を借り、隊長がナイヴィスを洗う。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、洗い清めよ」
魔力を籠めた力ある言葉に従い、井戸から水が起ち上がる。
水流が大蛇のようにくねり、若者の足下から、螺旋を描いて這い上がる。
こびりついた泥が見る見る内に洗い流される。代わりに水は泥を含み、茶色く濁った。
隊長の野太い声が水に命じ、泥を捨てさせる。
水流は清水に戻り、最後に泥まみれの顔と髪を洗った。
ナイヴィスから、水が離れる。
髪が金色の輝きを取り戻し、夏の風にそよいだ。
厚手のチュニックにびっしり刺繍された呪文も、読みとれるようになった。
ムルティフローラ王国軍の正騎士の鎧だ。
軽く丈夫な布に呪文が刺繍され、頑強、耐熱、耐寒、耐炎、抗魔……様々な防護の効果が付与されている。
身に着けるだけで、それらの庇護を得られる代わりに、常時、魔力を消耗する。魔力が不足すると、強い術から順に効力を失う。
今日は一日中、カボチャ畑を見張っただけだが、ナイヴィスは疲れ切っていた。
魔力もそうだが、体力はもっと限界だ。
剣の本体は、何事もなかったかのように刃が戻っていた。曇りひとつない。鞘の泥汚れを洗い流され、機嫌良く輝いている。
「ほれ、終わったぞ」
「ソール隊長、ありがとうございます。お手数お掛け致しまして、恐れ入ります」
「なぁに、構わん。新人のお守も仕事の内だ」
ナイヴィスは、続いて自分の右手で輝く剣にも、ぺこぺこ頭を下げる。
「あの、リーザ様、それでは、本日の業務は終了と言うことで……」
〈いちいち堅苦しいッ! 片付けたきゃ、さっさと鞘に収めなさいッ〉
「あ、はいッ。じゃ、じゃあ、失礼します」
ナイヴィスは、恐る恐る、剣を鞘に収める。
力を抜くと、右手が柄から解放された。先程までは、どう頑張っても離れなかったのが嘘のようだ。
思わず溜め息が漏れる。
全く受け身が取れず、派手な転び方をしたが、騎士の鎧の力で、かすり傷ひとつない。
本人の意に反して振り回された右手と足だけが、ギシギシと痛む。
明らかに筋肉痛だ。