■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-32.片翼の医術(2016年04月10日UP)
ナイヴィスは、二人に集っていた破片を全て斬り、本体に顔を向けた。
術で撃ち抜かれた頭が再生し、何でもないような顔で、緑の手袋小隊を見降ろしている。膜状の身体も、切り裂かれた傷が塞がり、波打っている。
「お嬢ちゃん、かわいいねぇ」
「いっ……いやっ……」
ワレンティナが蒼白になり、頬を引き攣らせる。
ナイヴィスは初めて、従妹のそんな顔を見た。
三界の魔物はニタニタ笑いながら、身体をぐにゃぐにゃとくねらせ、近付いて来る。
「隔てよ、遮れ、全てを拒め、水も漏らさぬ鋼の意志、
不可視の塞よ、今、此処を塞ぎ、守れ、障の壁」
ムグラーが新たに【障の壁】を創り、後退する。先に建てた【真水の壁】が消え、阻まれていたスネ毛が自由になる。
あっと言う間に距離を詰められ、三人は更に後退する。
ムグラーが、三枚目の【壁】を建て、荒い息を吐いた。
スネ毛が刺さっただけでなく、爪でも抉られたのか、脇腹と足に大きな傷が三つある。
厚手の布で作られた魔法の鎧が、血に染まっていた。
〈見た感じ、どれもそんな大した深手じゃないから、あなたが塞いであげて。できるでしょ〉
「えっ、でも……」
〈三界の魔物には、癒しの術が効かないから、治るのは、あなたたちだけよ〉
「えっ、あの……」
〈それとも、応援を待たずに、あなた自身が本体を叩きに行く?〉
「い、いえ、無理です」
ナイヴィスは、三界の魔物から目を逸らさず、後退しながら大きく息を吸った。
幼い頃から幾度も唱えてきた呪文を朗々と謳い上げる。
「青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て
翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を……」
ワレンティナも、同じ呪文を唱え始めた。
「泣かないでね この痛みすぐ癒す 今から心こめ癒すから
命 繕って 苦しみ去って 元気になった 見て ほら……」
童歌に似た抑揚の呪文が、場違いな輪唱のように響き渡る。呪文を構成する力ある言葉も、子供にわかりやすい平易な単語の組み合わせだ。
「傷ついても この痛み平気なの 言葉に力乗せ癒すから
命 補って 痛みは去って 元に戻った 元気 ほら……」
痛みが引き、出血が止まる。
声と魔力の届く範囲で、生物の外傷を少し癒す。【青き片翼】学派の医術だ。
「痣と火傷 この痛みすぐ消える 魔力を注いで癒すから
体 繕って 痛みを拭い 元に戻った 見て ほら……」
「お嬢ちゃん、かわいいねぇ」
三界の魔物が下卑た笑いを浮かべ、身を乗り出す。
二人はそれに構わず、【癒し】の呪文を詠唱し続ける。
「お嬢ちゃん、……処女なんだねぇ、かわいいねぇ」
「うわっ、おっさんキモッ!」
ムグラーが、騎士らしからぬ感想を漏らした。
林から、人影が走り出る。
二人は更に声を大きくし、朗々と【癒し】の呪文を謳い上げる。
「青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て
翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を」
三界の魔物が、背後から袈裟懸けに切り裂かれた。続けて胸が横一文字に斬られ、三度目には、頭から地に届く斬撃が加えられた。
下卑た笑みを貼り付けたまま、魔物が塵になり、霧消する。
近衛騎士三枝と部下の四葉、トルストローグの姿があった。
「よく持ち堪えたね。後は任せて」
トリアラームルスとチィトゥィーリェリーストは、慣れた手つきで、血を含んだ土塊を手際良く始末する。
二人の退魔の魂は、呪具である柄以外は、まだ実体を持たない光の剣だ。隆起し蠢く土塊を、輝く刃が刺し貫く。
辺りを見回し、トリアラームルスは退魔の魂で顕現させた仮初の刃を収めた。
「もう大丈夫だよ。よく頑張ったね」
「かたじけない」
ソール隊長が【盾】を消し、頭を下げる。
「いいよいいよ、気にしないで。まさかこんな所に、実体付きのが居るなんて思わなかったし……一旦、村へ戻ろう」
そこで、ナイヴィスは意識を失った。