■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-47.部屋飼い猫(2016年04月10日UP)
夏の日は長いとは言え、流石に傾いてきた。
鴉が塒へ帰り、泉の上を通過する。鳴く虫の種類も変わった。
日が沈んでから二人を起こすように言われたが、ナイヴィスは、このまま日が沈まなければいいのに、と赤く染まりつつある空を見上げた。
「日がある内は、魔物も弱っている。肩の力を抜いて待て」
「は、はいッ」
緊張でガチガチになったまま答える。
〈あなたって、ずっと部屋の中で飼われてた猫みたいね〉
……どう言う意味ですか?
〈そう言う猫を外に放すとね、あなたみたいにガチガチに固まって、一歩も動けなくなったり、飼い主の服の中に逃げ込んで、爪立ててしがみついたりするの〉
女騎士の声は、やけに楽しそうで、笑いを含んでいる。
ナイヴィスは面白くなかった。
〈耳を伏せてガタガタ震えて、何をそんなに怖がるんだと思う?〉
……知りませんよ。私は猫じゃありませんから。
〈屋根がないことが、怖いのよ〉
思わず、天を仰いだ。
泉の周辺は草地で、頭上には枝葉がない。茜色に染まる空から、明るさが失われつつある。
〈でもね、肉球に脂汗をかいていた猫でも、怖がりながら周囲を探検して、その内に慣れて、遊び始めるのよ〉
ナイヴィスは、どう反応していいかわからず、視線を下げた。王女の【空の守り謳】の効果で、薄暗い森の中にも雑妖の姿はない。
〈あなただって、さっきこんな所でグースカ寝てたじゃない〉
……疲れてたんですよ。
〈そうかしら? あなたって、結構、順応性高いみたいよ?〉
ソール隊長が、今夜と明日の天気を聞いた。
ナイヴィスは泉の水を使って天気を読んだ。両日晴れ。夕立もない。
「うむ。ありがとう。ならば、ここはそのまま野営地として使えるな」
「上手い具合にここへ来てくれると、戦いやすくていいんですけどね」
ムグラーが森の奥を見詰めて言った。【索敵】の眼でも、まだ、魔獣の姿を捉えられないらしい。
隊長が、来なくていいと念じているナイヴィスに、穏やかな声で言う。
「ナイヴィスは無理せず、落ち着いて【盾】を展開し、まずは生き残ることを優先しろ」
「は、はい。勿論です」
……でも、リーザ様が攻撃を強行しちゃうのは、如何ともし難く……
〈何よ、私が悪いって言うの?〉
……いえ、決してそのような……
〈あなたはまだ、攻撃すべき時と、防禦に徹すべき時の見極めができないから、私が判断してあげてるの。逆らったら死ぬわよ?〉
女騎士の命令に逆らえないことは、カボチャ畑でも先日の林でも、よくわかった。
夕空をひらひらと、蝙蝠が舞っている。
ナイヴィスは、蝙蝠を見るのも初めてだ。鼠のような体だが、皮膜を使って蝶に似た動きで飛んでいる。どうやら羽虫を食べているようだ。
外見の薄気味悪さは魔物と大差ない。
ナイヴィスはふと、魔獣と真っ当な生物の違いは何だろう、と思った。
文献と世間の常識。知識としては、わかっているつもりだ。
ここ数カ月は、女騎士ポリリーザ・リンデニーから直接、消化しきれない程、大量の知識を与えられた。
王都の外へ出て、本でしか知らなかった野生の生き物を見て、実物の魔獣とも対峙した。
先日の赤い蛇の魔獣も、蝙蝠のような羽で飛んでいたが、あちらは、逃げることもままならないくらい、怖かった。
魔獣の何がそんなに恐ろしいのか。
蝙蝠は薄気味悪いが、怖くはない。
何がそんなに違うのか。
〈そんなコト考えたって仕方ないでしょ。それよりホラ、もう時間よ〉
考え事をしている間に日が暮れていた。ナイヴィスとムグラーが、それぞれ、ワレンティナとトルストローグを起こす。
「闇照らす 夜の主の眼差しの 淡き輝き 今灯す」
ソール隊長が、泉の周囲の木々に術で【灯】を点した。
「この明るさで、雑妖程度のモノは寄って来なくなる」
〈魔物も魔獣も、魔力のあるものが好物だから、魔法の【灯】に寄って来るのよ〉
「えぇッ?」
「なんだ、ナイヴィス、雑妖と戦いたかったのか?」
「いえ、滅相もない」
両手を振って、全力で否定する。
〈何しに来たか、わかってる? 魔獣の討伐なのよ? 忘れたの?〉
「ムグラーの言う通り、ここに誘き寄せ、迎え撃てば戦いやすい」
「簡易結界もあります。よっぽど強いのじゃなければ、それで凌げますから」
ナイヴィスを安心させようと、隊長とムグラーが口々に言う。
トルストローグが親指を立てて笑った。
「肉体を得た魔獣なら、俺も戦い慣れてるから、戦うのは任せろ」
「お兄ちゃん、食べられちゃダメよ?」
「う……うん、頑張る」
十二歳から自警団に所属し、魔獣と戦ってきた従妹に言われ、ナイヴィスは頷いた。