■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-20.騎士の意志(2016年04月10日UP)

 ふわりとした白い毛に覆われたモノが、足に縋りつき、命乞いする。伏せた長い耳が震え、ナイヴィスを見上げる円らな瞳に、涙が滲む。
 ……あっ、可哀想……
 魔剣を振り降ろそうとした手が、思わず止まる。
 〈サフィール・ジュバル・カランテ・ディスコロール、私を振り降ろしなさい〉
 ……えッ? ちょっと待って……!
 魔剣の命令に逆らえず、ナイヴィスの手が動いた。
 光の刃に触れた瞬間、兎に似た雑妖が跡形もなく消える。
 それは、夕闇に紛れ、薮から迷い出た雑妖だった。
 上半身は、兎に似ていたが、下半身はバッタに似て、腹には泡のような形の定かでない何かが蠢いていた。
 そんなモノでも、目が合った途端に斬れなくなってしまう。身が竦み、手が止まる。ついに痺れを切らした魔剣に真名を呼ばれ、攻撃を強制されたのだ。ナイヴィスの力ではどう足掻いても、四百年の時を生きた正騎士の「命令の力」には、抗えなかった。

 そもそも、ナイヴィスには戦意がない。
 自分に「この世の掃除だ」と言い聞かせ、なけなしの勇気を振り絞っても、穢れのついでに雑妖を消去することで精いっぱい。
 意志を持たない穢れなら、幾らでも魔剣で掃い、祓えるが、意志を持つ何者かの存在を消し去ることには抵抗があった。
 トリアラームルスに見守られ、初めて自分の手で倒したあの雑妖は、発生直後で、まだ明確な意思を持たない存在だった。あれですら、トリアラームルスが居なければ、ポリリーザ・リンデニーの強制なしでは倒せなかっただろう。
 誰かの過剰で理不尽な怒り、何者かの妬み嫉み、行き場のない恨みなどが、夜闇の中で穢れを生む。
 朝を迎えれば、消えてなくなるものが殆どだが、日の当たらない場所で消え残ることもある。それが、雑妖の温床になるのだ。また、雑妖は自然の気の澱みなどからも生じる為、人の居ない場所でも油断はできなかった。
 〈いい加減、慣れてくれないと困るわぁ〉
 ……そんなこと、言われても……大体、困るんなら何故、私なんかを選んだんですか。
 〈しつこい。何度も言わせないで〉
 心底、煩わしげに拒絶され、ナイヴィスの心が萎縮する。

 道中、強い魔物には遭遇しなかった。
 ナイヴィスは、ソール隊長と赤い盾小隊のトリアラームルス副隊長の命令に従い、何度か魔剣を振るって雑妖を祓った。
 これまで、なるべく視ないように過ごしてきたモノを、直視しなければならない。
 ナイヴィスは「顔」を判別できるモノが、人間のように恐怖の色を浮かべることを知った。ある程度の穢れを喰らい、知恵と力をつけた雑妖は、剣から逃れようと足掻いた。
 おぞましいモノと正面から向き合うだけで、ナイヴィスの心がすり減る。
 王都に帰りたかった。
 住み慣れた家で寝起きし、朝は城に出仕し日暮れに帰宅。家では本を読んで、のんびり過ごす。恐ろしいのは嵐や雹などの激しい気象だけだった。
 単調な毎日が恋しく懐かしい。

 ワレンティナは幼い頃から喧嘩っ早く、年上の男の子と取っ組み合いもしていた。どちらかと言えば、烈霜騎士団のお世話になる側の子だった。
 修めたのは、少ない魔力で効率よく魔物を倒す【飛翔する鷹】学派だ。
 幼い頃は両親が心配し、術で対魔物用の武器や防具を作り、町の自警団に提供するだけに留めていた。十二歳から二年間は、本人も、魔物退治の現場へ出ていた。大人に交じって生き残り、それなりの戦果を収めている。
 烈霜騎士団は、人間による犯罪の捜査や、罪人の捕縛などを主な任務とする騎士団だ。魔物と直接対峙する機会は、他の騎士団よりも少ない。
 ワレンティナの修めた学派、性格や実績は、誰が見ても適性が合わない。

 誰も何も言わないが、ワレンティナがここへ配属された理由は明白だ。
 ナイヴィスの身内だから……だ。
 気弱で人見知りの激しいナイヴィスが、心細くないように……と言う配慮の他に、どんな理由も思いつかない。
 ナイヴィスは、対魔物に於いて、有望な戦力になり得る若い騎士の将来を潰してまで、騎士団に居ることが心苦しかった。

 〈あなた、ホントに後ろ向きねぇ。与えられた環境で最善を尽くそうとか思わないの?〉
 ……そんなこと言われましても、与えられた環境って言うか、降って湧いて巻き込まれて引きずり込まれたと言うか……大体、二十七にもなって、こんな真逆の方向に転職って、身が持ちませんよ。
 〈年寄り臭いこと言わないの。どうして自分にはできないと思うの?〉
 ……わかりきったこと聞かないで下さいよ。

 今回の任務には、幼い頃から苦手なことばかりが、ぎっしり詰まっている。
 未経験で適性もなく、出来る筈もない自分を支える為に、緑の手袋小隊のみならず、赤い盾小隊の手までも煩わせている。
 ナイヴィスを外した方が、上手くいきそうなものだ。

 〈え? 何? 「自分なんかの為に誰かの手を煩わせるのが申し訳ない」って? 何様のつもり?〉
 ……何様でもないから、周りの人にそこまで手厚く手間を掛けさせて迷惑掛けるのが、嫌なんですよ。
 〈バカじゃないの? あなたは「魔剣使い様」なのよ。迷惑掛けたくなきゃ、さっさと一人前になればいいじゃない〉
 ……誰のせいで、魔剣使いをさせられてると思ってるんですか?

 ナイヴィスの心に暗い怒りがこみ上げる。

 〈私の声を聞いて、私を手に取ったのは、あなたよ〉
 ……あんなの、罠みたいな騙し討ちで……
 〈自分の意志じゃないって? 触るなって言われてたのに、触ったのはあなたよね?〉
 ……えぇ、上司の言いつけを守らなかった私が悪うございましたよ。
 〈そう言うこと言ってるんじゃあないのよ。私、軽かったのよね?〉
 ……刃がないんだから、そりゃ、軽いでしょうよ。

 何を言い出すのか。

 女騎士ポリリーザ・リンデニーの心には、幾重にも砦があり、ナイヴィスの方からは、ほとんど読み取れない。
 ポリリーザ・リンデニーが自ら寄越す思考を押しつけられるだけだ。
 ナイヴィスは、心を読ませない砦の築き方を知らないので、読まれ放題。
 この理不尽さも、怒りの燃料だった。

 〈退魔の魂はね、一人の全存在を変換した武器なの〉

 ……知ってますよ。
 〈何を知ってるの? だから、ホントはすごーく重いのよ。普通の人はどんなに腕力が強くても、持ち上げることもできないの〉
 魔剣使いが死ねば【転移】が発動して棚に戻るけど、と棚に帰還する様子を再現して付け加える。
 帰還することは嘘ではないようだが、重量に関しては嘘か真か、ナイヴィスには図り兼ねた。

 〈あ、疑ってる。だったら、外して誰かに持たせてみなさい〉

 街道脇の草地での休息中、ナイヴィスはトルストローグに声を掛けた。
 「あ、あの、トルストローグ、リーザ様が、ちょっと持ってみてって……」
 「リーザ様が? 俺に?」
 「は、はい」
 「何のご用だろ? ……失礼します」

 ナイヴィスは剣帯を外し、魔剣を地面に横たえた。
 緑の手袋小隊で一番の力持ちは、何の躊躇もなく、魔剣の柄と鞘に手を掛けた。
 地面に貼りついたかのようにびくともしない。
 柄と地面の隙間に指を入れ、辛うじて握ることはできたが、その動作でも魔剣は微動だにしない。
 トルストローグは腰を落とし、気合いの声と共に足に力を入れた。顔がみるみる紅潮する。

 しばらく頑張っていたが、ついに諦め、大きく息を吐いて手を離した。
 「びくともせん……ナイヴィス、あんた、こんな重い物振り回してたんですかい?」
 額に汗を浮かべ、荒い息を吐いている。演技には見えない。
 ナイヴィスは恐る恐る、柄に手を触れた。軽く持ち上がる。
 「重いって、なんで……だって、これ、刃がないんですよ?」
 鞘を払う。
 柄だけだ。
 トルストローグは片目をつぶり、鞘の中を覗いた。
 「ホントに何もないんだな……って言うか、リーザ様は俺に何のご用だったんだ?」
 「ホントは重いから、嘘だと思うんなら、誰かに持ってもらいなさいって……」
 「嘘だと思ったんですかい」
 「う、うん。だって、こんな軽いのに……」
 すぐ後ろで、男女の笑い声がした。

 二人が振り向くと、ソール隊長とトリアラームルス副隊長、三つ首山羊の杖を持つ王女がすぐ近くに立っている。王女は、跪こうとする二人を止めた。
 間近で見る王女は、夏の日に蜂蜜色の髪がきらめき、瞳は深い湖のように静かだった。
 ナイヴィスの思考が、緊張でガチガチに固まる。
 魔剣となった女騎士が鼻で笑う。
 三つ首山羊の王女(トリ・ガローフ・カザー)が、ナイヴィスの手にある魔剣に声を掛けた。
 「久し振りですね。……また、あなたとご一緒できて、嬉しいわ」
 〈お言葉、勿体のうございます、王女殿下〉
 「……………………」
 「……………………」

 〈何してんの、さっさとお伝えしなさいよ〉

 ナイヴィスが、しどろもどろに魔剣の言葉を復唱する。
 王女は柔らかな微笑を浮かべ、ナイヴィスの顔に視線を向けた。
 「伝えてくれてありがとう。魔剣使い、あなたは魔剣の重さの理由がわかりますか?」
 「い、いいえ……」
 「退魔の魂の重さは、物質的な重量ではありません。退魔の魂となった人の人生の全て。三界の魔物を倒す意志の重みなのです」
 「あの、では、何故、私には軽く感じるんでしょう?」
 「私の口から説明するのは容易いけれど、それはよしましょう。あなたが、自ら感じることが大切なのです」

 〈魔剣使いとしての自覚が足りないって言われてんのよ。反省なさい〉

 「は、はい」
 ナイヴィスは背筋を伸ばし、敬礼した。

 王女も鎧を纏っていた。
 深い草色の長衣に土色と草色の糸で、ぎっしりと防禦系の呪文が刺繍されている。
 ナイヴィスが教わった術も、全く知らない術もあった。
 鎧の胸元と、同色のマントには、青で野茨、白で三つ首山羊があしらわれていた。野茨は王家の紋章、三つ首山羊は王女個人の徽だ。
 騎士の鎧以上の重厚な防護だ。
 身に纏えば、それだけでこれら全ての術が常時発動する。想像するだけで、気が遠くなりそうな魔力だ。
 三つ首山羊の王女(トリ・ガローフ・カザー)殿下は、騎士以上に強力な鎧を軽々と纏っていた。

 ……護衛……必要ですかね?

 〈必要よ。姫君の御身を守るだけなら、鎧だけでも問題ないけれど、魔物と戦う事態になれば、その強過ぎる魔力で辺り一帯、消し飛びかねないのよ?〉

 ……えっ?

 村と農地をひとまとめに守る力は、同時に、その領域を壊滅させ得る力でもあるのだ。
 ナイヴィスは今更そのことに気付き、顔から血の気が引いた。
 魔剣の思考が、怒りと笑いに揺れ、ナイヴィスは沈黙する他なかった。

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