■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-18.雑妖の退治(2016年04月10日UP)
「ん? どうかした?」
「あ、あの、リーザ様にあれをやっつけろって言われたんですけど……」
隙間の暗がりを指差す。
トリアラームルスは、笑ってナイヴィスの肩を軽く叩いた。
「そんな怖がらなくて大丈夫だよ。日に当たっただけでも消えてしまう雑妖だ。落ち着いて、ちゃんと刃を当てればいい」
「えっ、でっでも……」
「君のことは、鎧が守ってくれる」
トリアラームルスが、ナイヴィスの背中に手を添え、そっと前に押し出す。
「あ、あの……」
「剣で何かを斬るのは、初めてかい?」
ナイヴィスは首を縦に振った。
トリアラームルスは頷き返し、ナイヴィスの肩を抱いて励ます。
「うん。そうだね。こんな大きな刃物、怖いよね」
〈何よ、失礼ね〉
「でも、君は文官だった頃、お城で追儺の為の大掃除はしてたよね?」
無言で頷くナイヴィス。
「あの掃除でも、雑妖は消えてる。使う物が違うだけで、同じことなんだよ」
近衛騎士のやさしい声に、ナイヴィスはぎこちなく首を縦に動かした。
トリアラームルスは、ナイヴィスの両肩をポンと叩き、言った。
「じゃあ、剣を抜いてごらん」
ナイヴィスが、柄に手を添える。
小刻みな震えが、鞘を鳴らす。柄をしっかり握り、思い切って引き抜く動作をした。
魔剣ポリリーザ・リンデニーに鋼の刃はない。
柄の先に菫色の光が凝集し、刃の形を成す。
〈あんなの、私に触れただけで消えちゃうんだから、さっさとなさい〉
「訓練は受けたんだろ?」
「は、はい。あの、剣の持ち方と、【盾】や【壁】の使い方を少々……」
「じゃあ、ちょっと振ってみようか」
トリアラームルスが、三歩ばかり離れる。
ナイヴィスは恐る恐る、手元を見た。
集まった光が、鋼の刃を模した実体を成して輝いている。その刃に重さは全く感じられないが、切れ味のよさそうな切先に足が震えた。
「教わった通りに持ってごらん」
言われるまま、柄に左手を添え、握り直す。
訓練所で、十代の少年に混じって受けた指導を思い出した。
背中を冷たい汗が流れる。
「うん。いい感じだ。じゃ、肩の力を抜いて、軽く振ってみて」
そう言われても、緊張に強張った身体は、そうそうほぐれるものではない。
目の前には、家と納屋の隙間。
その暗がりに、雑妖が蠢いている。
「ゆっくり息を吸って……そう……細くゆっくり吐き出して……ちょっと落ち着いた?」
トリアラームルスに言われるまま深呼吸し、小さく頷く。
「じゃ、思い切って振ってみよう」
強要ではない。ポリリーザ・リンデニーの強制もない。流れで自然に体が動いた。
正眼に構えた剣を右上に振り上げ、左下へ振り降ろす。
何の手応えもなく、空を斬る。
鋼の刃を備えた剣と魔剣では、必要とされる技が根本的に異なる。
鋼の刃は、その重量を使って叩き斬る。半ば鈍器のようなものだ。
物質の刃を持たない魔剣では、力技では斬ることができない。
魔剣と魔剣使いが一体となって、初めて本来の力を発揮する。
訓練所で、そう説明されたが、ナイヴィスには魔剣の「本来の力」がどういうものかわからない。それを質問できる雰囲気でもなかった。
「うん、いいよ。そんな感じだ。そこ、狭いから壁を傷付けないように気を付けて、縦にまっすぐ振ってみようか」
やさしい声で言われ、震える足を前へ踏み出す。
〈あれは生き物じゃないし、そこに存在するだけで人に害を成すモノよ〉
……知ってます。
〈攻撃することを恐れなくていいから、思い切って〉
魔剣使いと魔剣は、心が繋がっている。
魔剣ポリリーザ・リンデニーには、ナイヴィスが何を恐れているのかも、筒抜けだ。
ナイヴィスは争いごとが苦手だ。
自分が傷つくことよりも、誰かと争い、傷付けることの方が苦しい。
雑妖は、ナイヴィスがすぐ傍に立っても気付いていないのか、相変わらず、蠢いている。
ぐにょぐにょと捉えどころがなく、形も定かでない。
虫や動植物に似た部分もあるが、この世の何にも似ていない部分の方が多い。
何匹いるのか、個体の境さえはっきりしない。
それどころか、これに個々の意思や知性があるのかすら不明だ。ただ、そこにいるだけなのか、それとも、何かをしているのか。
雑妖はどこにでも発生するありふれた存在だが、その目的や行動原理は、謎に包まれていた。
わかっていることは、この世の穢れや陰の気などから生じ、穢れを食って育つこと。
穢れを生じさせる性質の人間と親和性があり、雑妖が雑妖を呼び増殖すること。
個々の力は弱く、ちょっとした不運を呼び寄せるに過ぎないこと。
定まった形を持たず、能力などの個体差が大きいこと。
日の光を浴びただけで消える儚い存在だと言うこと。
……これは掃除、掃除。今持ってるのは箒、箒で隙間掃除……
魔剣ポリリーザ・リンデニーは、ナイヴィスの為すがまま、家屋と納屋の隙間に降り降ろされた。
何の手応えもない。
刃と化した光が触れた瞬間、隙間を埋め尽くしていた雑妖が、消えた。
日の射さない隙間に光が満ち、明るくなったように視えた。場の空気が軽くなって初めて、ここが濃密な穢れに満ちていたことに気付く。
ナイヴィスは、呆然と立ち尽くした。
音も悲鳴も、斬った感触も何もない。
ただ、雑妖の存在だけが、消滅した。
隙間の中央付近に鼠の死骸があった。夏場のせいか、既に腐敗して蛆虫がわいている。
「初めてなのに、よくやった」
トリアラームルスにポンと肩を叩かれ、我に返る。
雑妖が居なくなったからか、肉眼で死骸を見たからか。ナイヴィスは今になって、やっと腐臭に気付いた。
「あれが発生源だったんだな……あ、丁度いい。ちょっと、こっち来て」
トリアラームルス副隊長が、通りすがりの村人を呼び止める。
呼ばれた男は、副隊長が指差す場所を見た。
「ひぇっ! これは気付きませんで……!」
井戸端に走り、水を起ち上げて駆け戻る。
死骸を流し、広い場所に出してから【焚火】で燃やした。鼠が完全に灰となり、風に散る。
「あぁ言うの、そのままにしてると、雑妖がわくからね」
「は、はい。騎士様、申し訳ございません」
恐縮して低頭する男に、トリアラームルスは柔和な笑顔を向けて言った。
「あぁ、別に怒ってるワケじゃないんだ。身を守る為に、ちゃんとしとかないと、危ない目に遭うのはこの村の人だから、気を付けるんだよ」
その後は何事もなく、見回りを終えた。