■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-57.次の任務へ(2016年04月10日UP)
王都へ帰還すると、ゆっくり休む間もなく、報告書の作成に明け暮れる。
ナイヴィスは書類の空欄を埋めながら、対峙した魔物を思い出し、手が震えた。いつもより時間を掛けて、心を鎮めながら書きこむ。
ワレンティナも、ナイヴィスに聞きながら、何とか一枚だけ書き上げた。その一枚をひらひら振って喜ぶ。
ソール隊長が、封蝋の捺された巻物を手に、詰所の事務室へ戻って来た。
ワレンティナが、ぴたりと動きを止める。
「ナイヴィスが言っていた予防の件だが……」
「……どう、なったんですか?」
「他の部署でも検討してくれるそうだ」
「涌いてから戦うより、涌かない方がいいもんなぁ」
隊長の言葉に、トルストローグが書類作成の手を止めて頷く。
「うむ。トリアラームルス副隊長を通じて、三つ首山羊の王女殿下の御耳にも入ってな……」
部屋の空気が張り詰める。
「今、トルストローグが言ったようなことを仰って、今はまだ、何をどう啓蒙すればいいか不明だが、王室でも考えて下さるそうだ」
〈あら、よかったじゃない〉
……なんだか、思った以上の大事になってるんですけど……
〈バカじゃないの。この国は、三界の魔物を倒す為に建国されたのに。国を挙げて予防に取り組むなんて、当たり前じゃない。今まで誰も言い出さなかったのが不思議なくらいよ〉
「新しい取り組みが始まれば、その分、仕事の手間も増える。それを面倒に思う者が現れるかも知れんが、まぁ、気にするな」
隊長が、ナイヴィスに将来の厄介事を警告する。
ムグラーが筆記具を置いて、溜め息をついた。
「それはそうと、次の任務だ」
隊長は封蝋を切り、命令書を開いた。
「……護衛……だな。舞い手殿をお守りせよ。城から主峰の祭壇へ赴く。期間は八月の初めから終わりまで」
〈あら、祭壇へ行くの。よかったじゃない。ついでに成人の儀もしてもらいなさいよ〉
……公務で行くのに、そんな、ついでに私用なんて、いけませんよ。
〈あなた、ホントにお堅いわねぇ……〉
「ここから先は、くれぐれも他言せぬよう、心して聞け」
隊長が口調を改め、隊員を見回す。
四人は居住まいを正して隊長に注目した。
「この度の舞い手殿は、三つ首山羊の王女殿下のお血筋で、特別の配慮が必要なお方だ。野茨の血族ではあるが、異国にお住まいで、魔力を持たぬ半視力だ。湖北語もわからん」
事務室の時間が止まったように静まりかえる。
ムルティフローラは、魔法文明に立脚した国だ。
民の大半は、力の強弱はともかく、魔力と霊視力を持つ。
極稀に生まれる魔力を持たぬ子は「碩学の無能力者」、霊視力を持たぬ子は「半視力」と呼ばれ、特別の保護を必要とする。
周囲の大人が特に注意して守り育てても、魔物や獣に抗しきれず、成人まで生きられないことが多い。
息を詰めて次の言葉を待つ。
「私は生憎、別件で同行できん。だが、鍵の番人が御同行下さるので、心配いらん」
〈あら、あのちびっ子のフリした長老……暇してんのねぇ〉
ナイヴィスも、導師「鍵の番人」の呼称は聞いたことがある。
三界の魔物の封印と、ムルティフローラの建国に携わった者のひとりだ。
古い時代の呪医は、術で成長を止められている為、幼い姿のままだと言う。
存在そのものが封印の術に組み込まれ、二千年以上の長きに亘ってこの世に留まっている。他にも、同様の導師が十数人いる。
女騎士ポリリーザ・リンデニーは、退魔の魂となってこの世に留まり、武器として戦うことで民を守っている。
普通の民は、死後に残った【魔道士の涙】を塀に埋め込み、結界の術に魔力を供給することで民を守っている。
導師達は、封印の術に自らの全存在を組み込んでいる。
生きているとも死んでいるとも言えない状態でこの世に留まり、ある者は能動的に、またある者は街の防護の結界、或いは山など自然の地形となり、その場所から先へ三界の魔物を逃さぬよう、幾重にも守っている。
鍵の番人は人の形を保ち、能動的に活動する。国土を囲む山脈となった騎士ヒルトゥラは、後者だ。
「王女殿下がこの度の働きで、我が隊を見込まれ、御下命なさった任務だ」
誰も声に出さないが、空気がざわついた。
〈鍵の番人は強力な呪医よ。即死でない限り、一瞬で元通りに治せるから、すぐに戦えるわ。安心なさい〉
……それ、どう安心するんですか? 即死するかもしれないくらい、危険な任務ってことですよね?
〈舞い手殿はもっと大変よ。祭壇に溜めた穢れの中に入って、建国王の剣でそれを祓う剣舞を奉納するのよ〉
ヒルトゥラ山の祭壇には、成人の儀で国中の若者から祓った穢れを溜めてある。
それに瘴気が触れると三界の魔物が発生する為、数年に一度、祓い清めるのだ。
この儀式は、結界の最外周の守りを強化するものだ。
祭壇には、特殊な魔法陣が描かれている。
野茨の血族が祭壇で、建国王の【魔道士の涙】を嵌め込んだ剣を用いて、呪文を織り込んだ剣舞を舞う。
剣舞と魔法陣の術で、穢れを魔力に変換し、山脈全体に行き渡らせ、結界を補強する。
……万一、舞い手殿の身に何かあったら……
ナイヴィスはそれ以上、悪い想像を巡らすことをやめ、何としてでも舞い手の命を守れるよう【真水の壁】の修得を心に誓った。
魔剣が、その悲壮な決意を軽く流す。
〈剣繋がりで、いい任務じゃない。あの王女殿下のお血筋なら、きっといい子よ〉
「こんな筈じゃなかったのに、私の人生、剣に振り回されてる……」
脱力して項垂れるナイヴィスに、トルストローグがおどけた調子で言う。
「これが、運命ってもんだよ」
「さっさと諦めて、剣を振り回せるようになれよ」
ソール隊長が苦笑すると、ワレンティナとムグラーも笑った。
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01.カボチャ畑
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