■飛翔する燕 (ひしょうするつばめ)-51.仲間を守る(2016年04月10日UP)

 「ムグラー……」
 ナイヴィスは、先輩騎士の傍らにしゃがみ、泣きそうな声で呼び掛けた。怪我人の口から呻き声は漏れるが、意識が朦朧としているのか、呼び掛けに対する明瞭な返事はない。

 〈あぁ、ほら、私を鞘に収めて、荷物拾って、薬出して〉

 何も考えられず、言われるままに行動する。
 こんなに血を流している人を見たのは、初めてだ。
 先日の三界の魔物も血を流していたが、人の形を保った魔物なので、その苦痛に共感することはなかった。

 今、ムグラーが傷付き倒れている。

 寝食を共にし、防禦などの術を教えてくれた。
 年下の先輩は、気弱なナイヴィスをバカにすることなく、何かと気を遣って支えてくれた。
 意識が混濁した状態でも、ムグラーは右手の剣を離さず、傷を左手で押えている。
 荒い呼吸に、腹が上下する。その度に血がどくどくと流れた。

 ナイヴィスは袋の口紐を解こうとするが、手が震え、紐を掴むこともままならない。

 〈袋の本体に手を添えて、上へ這わせて……そうそう。紐の根元から横へ引いて〉

 蝶結びを解き、袋の口を緩めるだけで、無駄に時間を食ってしまった。気が焦るばかりで、身体は硬直して動きがぎこちない。
 袋を逆さに振って中身をぶちまけ、傷薬の薬壺を手に取る。

 〈先に傷を洗ってあげて〉

 ナイヴィスは、恐る恐るムグラーの手を除けた。
 草地を転がったせいか、泥と草の切れ端がこびり付いている。鎧は血に染まり、元の色も呪文の刺繍もわからなくなっていた。
 泉に呼びかけようとしたが、顎が強張り、口が開かない。

 〈ゆっくり息を吸って、細く、長く吐いて……口、動くわね? じゃあ、力ある言葉も唱えられるのよ〉

 半開きになった口の中で、歯の根が合わず、ガチガチ鳴る。
 ナイヴィスは大きく息を吸い込み、泉と向き合った。一息に力ある言葉で命令する。
 「や……やさっ……優しき水よ、我が声に……わっ……我が意に依り、起ち上がれ。
 た、ただ、漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
 起ち上がり、我が意に依りて、洗い清めよ」
 震え声でも、水はいつも通りに起ち上がった。ナイヴィスの命ずるまま、泉の水が意思を持つ生き物のような動きで、ムグラーの身体の汚れを洗い流す。
 血を含んだ水を木立の間に捨て、改めてムグラーを見た。
 鎧の破れ目から、深く抉られた傷が露わになっている。薄黄色い層が窺えるが、内臓には達していない。見る見る血が滲み、傷が赤で満ち溢れ、再び地を濡らした。 

 〈大きい傷を治すの、初めてなのね。でも、教わった通りにすれば大丈夫。まずは【止血】よ〉
 女騎士がナイヴィスの記憶を調べ、指示する。
 ナイヴィスは、言われるまま傷に触れ、呪文を唱えた。
 「身のほつれ 漏れだす命 内に留め 澪標(みをつくし) 流れる血潮 身の水脈(みお)巡り 固く閉じ 内に流れよ」

 傷は塞がらないが、この部位からの出血が止む。
 術に集中する内に、声の震えが治まった。ナイヴィス自身は気付いていないが、女騎士は把握し、次の指示を出す。

 もう一度、水を起ち上げ、傷を洗う。角で抉られた肉が露わになる。

 〈そう、いい感じよ。はい、傷薬塗って〉

 掌に納まる素焼きの壺を手に取り、油紙の封を切る。そこで気付いて手袋を脱ぐ。素手で膏薬を取り、傷口に塗った。
 薬指にたっぷり取った魔法薬を盛るように置き、慎重に伸ばす。
 ムグラーは幽かに呻くだけで、完全に意識を失っているようだ。

 〈あなた、【薬即(やくそく)】も習ってるわね。じゃ、それも唱えて〉

 「は、はいッ」
 魔法薬に魔力を上乗せすることで、即座に傷を塞ぐ。
 この術も実際に使うのは初めてだ。記憶を手繰り、魔力を籠めずに小声で呟き、確認する。最後まで覚えていた。
 声に魔力を乗せ、改めて唱える。

 「星々巡り時刻(とききざ)む天 時流(ときなが)る空 音なく翔ける智の翼
  羽ばたきに立つ風受けて 時早め 薬の力 身の内巡り ()(あらわ)れん」

 薄緑の膏薬が緩やかに波打ち、溶けるように染み込んだ。傷の底から肉が盛り上がり、傷付いた組織が見る間に再構築される。
 傷は、拭い去ったかのように消えた。ムグラーの呻きが止み、呼吸が穏やかになる。
 ナイヴィスはホッとして力が抜け、へたりこんだ。

 〈はい。大変よくできました。これで一安心。出血が酷いから、ちゃんと動けるようになるのに二、三日掛かるけど、若いから大丈夫よ〉

 女騎士がナイヴィスの頭の中へ、色とりどりの花が咲き乱れる映像を送る。
 現実の視界には、血に染まった地面に横たわるムグラーの姿がある。まだ意識は戻らないが、顔から苦痛の色が消えていた。顔色は良くないが、呼吸は安定している。
 確かに、これなら命に別条なさそうだ。

 心の中で祝福の花を一本受け取り、女騎士に礼を述べる。
 ……ありがとうございます。リーザ様のお陰で、助かりました。
 〈何言ってんの。バカね。私は普通に行動を指示しただけよ。実際に動いたのはあなたなの。あなた自身の実力なの。もっと胸を張りなさい〉
 ……え、あの、いえ、でも、私一人じゃ何もできませんでした……リーザ様がいらっしゃらなければ、今頃は……
 〈でも、これでわかったでしょ? ちょっとくらい怪我しても、あなたがしっかり癒せば、死にはしないのよ〉

 その「しっかりする」が出来ないから、途方に暮れているのだ。

 〈そんなの、場数を踏んで、慣れるしかないじゃない〉
 ……あぁ、やっぱりそうなんですね。
 予想通りの答えに、ナイヴィスは落胆した。

 「やったぁッ!」
 ワレンティナの弾んだ声に顔を上げる。
 木々の間に、灰の塊が落ちる。風に散る灰が【灯】の範囲内で、霧のように流れるのが見えた。

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