■薄紅の花 04.河口の街-46.報恩の日 (2016年01月03日UP)
日が暮れ、亭主と三ツ矢が戻るまで、二人はそれぞれの仕事に没頭していた。
亭主が店の戸に「本日閉店」の札を掛ける。
「他にも色々回る所があったんでな、すっかり遅くなっちまった」
急いで食卓を片付け、夕飯の支度を始める。
「忙しいだろうと思ってな。出来合いの物、買って来たんだ。偶にゃいいだろ」
亭主は袋から、油紙の包みを取り出し、食卓に並べた。
夏野菜と魚のすり身を上げた物が、パンに挟まっている。噛み締めると、パンに浸みこんだソースと、油がじゅわりと広がった。
「へぇ。こんなおいしい物があったんだねぇ」
「三十年から住んでんのに、知らなかったろ。俺もさっき見つけたんだ」
キートでの思い出話が始まる。
何を語っても、最後には息子達の記憶に繋がる。懐かしく語る目が、涙に潤む。それでも二人は、涙を零すことなく、しみじみと語った。
間もなく別れるこの街と、息子達の思い出を夜更けまで、改めて見詰め直した。
双魚は自室に引き揚げてから、残りの素材を全て薬に変えた。
翌朝。おかみさんに「もう出発だから、いいんだよ」と断られたが、双魚は近所の人達に挨拶したいから、と水汲みに出た。
おかみさんと二人、井戸の列に加わり、別れの挨拶をする。
「あらぁ、ホントに行っちゃうのねぇ。寂しくなるわぁ」
「今日くらい、自分のことしてればいいのに」
「まぁ、猫島さんとこも、色々大変だから……」
「出発は伸ばせないの? 何もこんな時に、ねぇ?」
返って来たのは、口先だけ気遣う風のイヤミばかりだ。声音や表情だけでなく、言葉と一緒に小さな雑妖が跳び出すことで、それと知れる。
双魚は、本当の恩人には礼を言えず、近所に住んでいるだけのこんな連中へ、律儀に挨拶していることが、悲しく、情けなかった。
雑貨屋に戻り、思い切って言ってみる。
「変な人に絡まれた時、助けてくれた人に、お礼とお別れを言いに行きたいんです。お店の名前はわかってるんですけど、場所がわからなくて……」
「荷造りが終わったら案内するよ。何屋さん?」
「あ、荷造りはもうできてます。赤鍋亭の人なんですけど……」
「あぁ、いつぞやの……あそこは大通りにあるから、お祭の間も開けてるよ。混まない内に、行っとこうかね」
雑貨屋は開けないが、三ツ矢が、家の留守番を買って出る。
朝食の後、三人で連れ立って大通りに出た。
白い衣を纏い、常緑樹の枝を持った人々が、神殿や祠へ向かう。白い人波を抜け、赤い鍋の看板を目指す。
赤鍋亭は、昼から開けるようだ。裏へ回ると、仕込みで目の回るような忙しさが、開け放たれた裏口から見えた。
亭主が申し訳なさそうに、下働きの一人に声を掛けると、気軽に料理人を呼び出してくれた。
「お忙しいのに、すみません。俺、今日、旅にでるんです。今までありがとうございました」
「お、今日だったのか。寂しくなるなぁ。ウチこそ世話なって、ありがとよ」
「変な人に絡まれた時、助けて下さってありがとうございました。あの、傷薬、どうぞ」
小瓶を二つ差しだす。
「えっ? いいのか? んな気ぃ遣わなくていいのに」
「いえ、俺、あの時、すごく嬉しかったんです」
「そ、そうか。じゃあ、有難く使わせてもらうよ。こっちこそ、ありがとな。今日のいつ発つんだ? よかったら、ウチで昼飯食ってけよ」
慌ただしい厨房に気を遣い、お互い早口になる。
「ありがとうございます。お祭が終わったら行きます」
「そうかい。じゃ、席取っとくから、来てくれよ」
料理人は前掛けのポケットに傷薬を仕舞い、双魚の肩を叩いた。