■薄紅の花 04.河口の街-29.浮世の柵(しがらみ) (2016年01月03日UP)
半月程で、双魚は水汲みにも慣れた。手にマメができたが、魔法では癒さず、自然に固くなるのを待つ。
時折、近所の人に話し掛けられ、世間話の輪に加わるが、双魚の方から話し掛ける事はない。
双魚は順番待ちの人を改めて「視て」いた。
双魚を避ける人の中には、雑妖が集っている人も居た。肉眼だけで見る分には、何の変哲もないだろう。普通に井戸端会議に加わり、愛嬌を振り撒いていた。
雑妖を連れていない人の方が多いが、双魚を避ける人々は、雑妖に集られている人と仲がいいようだ。
類は……友を呼ぶって奴か?
このままあの人と親しくし続ければ、雑妖の影響を受けてしまう。この街の住人のほとんどが魔力を持たず、直接、雑妖を排除できない。それどころか、視る事すらできないのだ。
双魚は何も言わずにいた。
他人の交友関係に口出しすれば、碌な事にならないのは、目に見えている。
忠告したところで、雑妖が見えない人々に理解させられる自信もない。双魚が更に疎まれ、憎まれるかもしれない。
いや、そうなる。
魔力以外にも、彼らが持たない力を、当たり前に持っているとわかれば、おかみさんが言うように「やっかんで、怖がって、魔物扱いする」だろう。
他愛ない世間話に興じて朗らかに笑う人々が、心にどんな闇を抱えているのか。
三界の眼を持たない双魚には知る由もなかった。
あぁ……そうか。
ムルティフローラの王族からしてみれば、俺もここの人達と同じに見えるのかもな……
子供の頃、祖父から聞いた話を思い出した。
ずっと昔、三界の魔物の最後の一匹を、湖の北に封印した。
その場所が、ムルティフローラ王国になった。
ムルティフローラは、封印を維持する為に作られた国で、王族はずっと封印を守り続けている。
王族として選ばれたのは、三界の眼を持つ人だった。
三界の眼は、物質界、幽界、冥界の三つの世界を同時に視る事が出来る。
発生直後で、実体を得る前の三界の魔物は、単なる霊視力では視えないが、三界の眼ならば、視える。雑妖と化す前の穢れや、人の心の闇も視え、人の死期を正確に知る事もできる。
ムルティフローラの王族は、その特別な眼で、三界の魔物を監視している。民の心の穢れを見抜き、それを祓う。
普通の霊視力を持つに過ぎない双魚には、ムルティフローラの王族の瞳に映るモノが、どんなモノなのか、想像もつかない。
あんな人と仲良く出来るのだ。元々、同じ素養を持つ人なのかもしれない。ならば、忠告に耳を貸すどころか「敵」として認識される惧れすらあった。
双魚は自分を見てイヤな顔をする人々には、なるべく近付かないようにすると決めた。
話に耳を傾ける。
彼ら、彼女らは、明るく陽気な顔で、ここに居ない誰かの陰口を叩いて、朗らかに笑っていた。
双魚には、その話の何がそんなに楽しいのか、わからなかった。
寒さが緩む頃には、双魚の体は大分、引き締まった。
腕が固く太くなり、以前よりずっと、力が強くなっていた。出ていた腹も引っ込み、ズボンが入らなくなる心配はなくなった。
医院用の薬を作ることにもすっかり慣れ、納品の数日前には、作業を終えていた。風邪の流行が収まって来たのか、熱冷ましや咳止めの注文が減っている。
双魚にも何となく、世間の動向がわかるようになってきた。
自分が外出していなくても、井戸端の噂話や店に来る客の買物内容、医院の注文を注意深く観察する。
複数の人の話を総合し、矛盾点を洗い、嘘吐きが誰か、見極める。
……結構……見栄張って嘘吐く奴って、多いんだな。
双魚には理解しかねるが、すぐに露見する幼稚な嘘も多かった。話の聞き手も、敢えて矛盾を突く事はせず、その場の雰囲気に合わせて、笑ったり頷いたりしている。
嘘を暴いて、嘘吐きと揉め事になるのが、面倒なのだろう。
……面倒臭い付き合いだよなぁ。
漸く、浮世の柵(しがらみ)と言うものが、わかって来たような気がした。
王都コイロスに居た頃は、まだ幼かった。その後は、大人になるまで、人里離れた森の奥で暮した。
旅に出てからは、ひとつ所に長居しなかった。
どこに行っても、仮の宿りの他所者で、柵に囚われず、知る事もなかった。
山の民の村には一年留まったが、身内ばかりの小さな村で、大家族に泊めてもらっている感覚だった。
この河口の街で、初めて、他人との柵の中へ足を踏み入れた。
双魚にとって居心地の良い物ではないが、残り二年と少しの辛抱だと思えば、柵をもっとよく見てみようか、と言う気にさえなるのだった。