■薄紅の花 04.河口の街-37.イヤな噂 (2016年01月03日UP)
新年の休暇中、雑貨屋夫婦と双魚は、キート港で船を待った。穏やかで、漣が冬の淡い光を返して輝いている。
遠方から訪れたらしき人々が、この街に住む親戚に案内され、物珍しげに大きな港を見物している。各船に取り付けられた魔除けも、去年と同じで、キート港で休む船舶は誇らしげに見えた。
この地で休む他の船乗りからは、何の情報も得られなかった。
巨大な商船の海龍号が、遠方からもたらす荷は、雑貨屋以外の商人も待ちわびている。彼らとて、手を拱いてただ待っている訳ではなく、近くの港を往復する船に、それぞれ、調査を依頼していた。
新年の休暇が終わり、日常が戻ってきても、海龍号は姿を現さなかった。
雑貨屋の猫島夫婦は、目に見えて落胆している。
近所の誰もが、二人に掛ける言葉を失い、海龍号の話に触れなかった。
おかみさんは昼食後、双魚に店を任せて、キート港に立つようになった。とうとう、風邪を引いて寝込んだ。
亭主と双魚にゆっくり休むように言われ、おかみさんは渋々、港に行かず、大人しく寝床で過ごした。双魚は、心を落ち着ける香草を混ぜて風邪薬を作り、おかみさんに飲ませた。
双魚一人で朝の水汲みに行くと、噂話が耳に入った。
「あの大きい船、どこか遠くで沈んだんじゃないの?」
「二年も来ないなんて、ねぇ……」
女達が双魚に気付き、慌てて口をつぐむ。
双魚はやるせない思いで、気付かないフリをした。両手に桶を持ち、井戸を離れる。実際以上に重く感じ、足が鈍る。
「息子はみんな大きい船に乗ってる、なんて自慢してたから、罰が当たったんじゃなぁい?」
それに同調する声と、窘める声が入り乱れ、ひとつになって、聞き取れなくなった。
おかみさんは、それから三日で、また港に立った。
今度は少し用心して、昼食前に厚着して出掛ける。
冷たい海風は、大型帆船の海龍号を運んでくれなかった。
人の思いとは無関係に、日々は刻々と過ぎて行く。重い冬服を脱ぎ、人々の足取りが軽くなる。
おかみさんは相変わらず、キート港に通い、重い足を引きずって雑貨屋へ帰った。足下に咲く花は、何の慰めにもならず、目にも留まらない。
花の季節が終わり、木々の緑が濃くなった。
もうすぐ、双魚の年季が明ける。
双魚はまだ、冬の夜に思いついたことを、言い出せずにいた。
いっそ、このまま置いて行こうか。「探しに行く旅費の足しにして下さい」って書き置きして……
それも何か違うような気がする。だが、他に上手い方法を思いつかない。
医院との契約は、夏至祭の前月に終わる。
「こうして受け取りに来るのも、あと一回ですねぇ。今まで上等のお薬を拵えて下さって、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」
「院長が、来月の頭に双魚さんの送別会を催したいそうなんですが、お時間、いただいて宜しいでしょうか?」
「俺はまぁ、別に日学んで、大丈夫ですよ」
その頃には、虫除け作りは一段落している。蚊除けも、何とかなっている筈だ。
双魚の答えに、使者は満足して帰った。
数日後、使者は招待状を携えて雑貨屋を訪れた。
おかみさんが、思い出したように双魚を見た。
「そうだったね、もうすぐ行っちまうんだね」
「はい。長い間、ありがとうございました」
すっかりやつれてしまった雑貨屋夫婦を置いてゆくのは、忍びない。だが、彼らはこの地に仕事があり、ここが住まいと定めているのだ。無理に連れだす訳にも行かない。
あれから更に考えて、行き付いた答えが、それだった。
カネは、重いので大部分を置いて行くことにした。使途は任せ、当面の生活費の足しにして、夫婦どちらかが探しに行くのもいいかもしれない。何も言わないつもりだ。
陸路で行って、東の港で何かわかれば、吉凶いずれでも知らせに戻る。
もし、それが悪い知らせだったとしても、心の区切りはつくだろう。時間は掛かるだろうが、また、前を向ける日が来るかもしれない。
何もかもを一度に失った双魚には、大切な誰かのことが、何もわからないまま日々を送ることが、こんなにも人の心を蝕むとは、思ってもみなかった。
夕食後、招待状を開封した。
普通の挨拶に加え、最後になるので、院長他、魔法使い達で話をしたい。双魚の送り迎えは責任を持って行う、と言う趣旨のことが記されていた。
「魔法使い同士で水入らず……か。双魚さんがよけりゃ、先生のことだ。何も心配いらんだろう」
亭主は少し残念そうな顔をしたが、異議はなようだった。