■薄紅の花 04.河口の街-28.使い痛み (2016年01月03日UP)
翌朝、目が覚めると、全身がギシギシと軋んで痛んだ。
双魚は布団の中でそっと手足をさすった。外傷はない。
少し考えて、【白き片翼】の魔道書で読んだ「使い痛み」の項目を思い出した。
走る、重い物を持つ等、普段しない事で急に体を動かすと、筋が傷む。対処は特に必要なく、時薬で二、三日。若い程、回復は早い。また、老いる程、痛みが出るまでに時間が掛かる。
体が鈍り切っていた事が原因だとわかり、双魚は溜め息を吐いて、台所へ降りた。
「おはようさん。今日も行くかい?」
「はい。お願いします」
双魚は痛みを顔に出さないように、平静を装って答えた。
外の風は清々しく、家々の隙間から覗く空は、晴れていた。
おかみさんは、昨日と同じように、近所のおかみさん達と世間話を始めた。双魚はそれを聞くとはなしに聞きながら、水汲みの順番を待った。
そして今日もたどたどしく水を汲み上げ、よろよろと雑貨屋に戻る。どうしても、動きがぎこちなくなる。
痛む体をなるべく意識しないよう、考え事をしながら歩く。
……猫島さんは、しばらく続けてれば、慣れるって言ってたけど、どのくらい頑張ればいいんだろう? ここの女の人達、鍛え方が違うのかな? みんな力持ちだ。魔法を使えない分、身体を使うからか。じゃあ、その分、怪我も……
石畳の小さな段差に足を取られ、躓く。
しまった!
そう思った時には遅く、双魚は手桶を持ったまま転んだ。咄嗟に桶を庇ったが、水は石畳にぶちまけてしまった。
桶を庇ったせいで、石畳に強か頬を打ちつける。
おかみさんが、戸口に桶を置いて駆け寄る。
双魚は急いで起き上り、呪文を唱えた。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、ここへ戻れ」
砂粒や埃を除き、水だけを桶に戻す。幸い、桶は無事だった。服に掛かって染み込んだ水も、抜き取って桶に入れる。
「大丈夫かい?」
「えぇ……まぁ……」
「血が出てるじゃないか」
「このくらいなら、大丈夫ですよ。自分で治せますから。でも、桶は俺じゃ直せないんで……」
「馬鹿言うんじゃないよ。体の方が大事だよ。これ、持ったげるから、今日はもう……」
「青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て
翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を……」
おかみさんが言い終わらない内に、双魚は【癒し】の詠唱を始めた。童歌のような独特の抑揚をつけ、力ある言葉を詠じる。
「……泣かないでね この痛みすぐ癒す 今から心こめ癒すから
命 繕って 苦しみ去って 元気になった 見て ほら
傷ついても この痛み平気なの 言葉に力乗せ癒すから……」
詠唱が進むにつれ、擦りむいた頬と掌が、復元する。ついでに、使い痛みで軋む体からも、痛みの素が霧消する。
「……命 補って 痛みは去って 元に戻った 元気 ほら
痣と火傷 この痛みすぐ消える 魔力を注いで癒すから
体 繕って 痛みを拭い 元に戻った 見て ほら
青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て……」
おかみさんが驚きに丸くなった目で、双魚の顔を見詰める。双魚は構わず、詠唱を続けた。
「……翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を」
結びの一句を唱えると、傷は拭い去ったように消えた。
双魚が手桶を持って歩き出す。おかみさんは我に帰り、首を振りながら、後に続いた。
路地に居合わせた人々は、呆然と二人を見送った。
今日は、水瓶に移し替えるところまで作業してみた。重さで腕が震えたが、こぼさずに済んだ。
おかみさんは、渋い顔でお小言を言った。
「慣れない事をするのに、あんまり無理するもんじゃないよ」
「はい。すみません」
双魚が素直に謝ると、おかみさんは淋しそうに笑って続けた。
「それとね、外で魔法を使うのは、控えた方がいいよ」
「えっ? どうしてですか?」
「どうしてって……あんまり言いたかないけど、まぁ、快く思わない人も居るからね」
羨望、嫉妬、嫌悪……魔法使いに向けられる感情は、必ずしも、いいものばかりとは限らない。自分にはない力を持つ者を魔物扱いする者さえ居る。
魔道士狩りを行う者達は、カネ目当てばかりではない。
おかみさんは、溜め息混じりに説明する。
「魔物退治のつもりでやる奴も居るんだよ」
憐みを含んだ目で、絶句する双魚を見ながら、おかみさんは締め括った。
「やっかんで、怖がって、魔物扱いする人達は、情け容赦ないよ。気をお付け」