■薄紅の花 04.河口の街-03.薬を売る (2016年01月03日UP)
夕暮れの少し前、やっと一人、客が入った。
地元の老人で、丈の長い木綿の服を着ている。薄物一枚と言うことは、この老人も魔法が使えないのだろう。よく日焼けした肌には、深い皺が刻まれている。
馴染みの客らしく、この土地の言葉で、おばさんと親しげに話し始めた。
「ねぇ、双魚さん、今、傷薬持ってない? この人の息子さんが、怪我しちゃったんだって」
「えっ、あ、あぁ、あるにはあるんですけど、どんな怪我ですか? 骨折とか、深い刺し傷とか、体の奥の傷は薬じゃ無理なんですけど……」
不意に声を掛けられ、夢の世界に片足を突っ込んでいた双魚は、しどろもどろに答えた。
おばさんが訳すと、老人は、顔の前で掌をひらひらと振った。おばさんが、双魚に苦笑を向ける。
「そこまで酷くないから大丈夫。でも、酷いハナシよねぇ。材木屋さんの傍を通ったら、立て掛けてあった丸太が倒れて来たんですって。細いのが当たったらしいんだけど、それでも打ち所が悪けりゃあれよね。で、材木屋さんが、薬は自分でどうにかしてくれって、お金だけ寄越して……」
おばさんは、放し始めると長かった。
怪我人が待っているだろうに、と双魚はヤキモキして聞いているが、老人は落ち着いていた。
あれっ? ホントにそんな酷くないのかな?
双魚は、おばさんのお喋りに相槌を打ちながら、荷物の中から薬壺を取り出した。
老人が早口に何か言い、双魚の手に何か握らせる。確める暇もなく、背中を押された。
「えっ? ちょっ、ちょっと……?」
「使い方がわからないから、来てくれ、とさ」
話の腰を折られ、おばさんはぶっきら棒に訳した。双魚は返事もできないまま、店の外に押し出された。
三ツ矢が手早く荷物をまとめ、店外に飛び出す。
老人は双魚の手首を掴み、先を急ぐ。
似たり寄ったりの小さな店が並ぶ細道をくねくね通り、傾いた長屋が犇めく通りへ連れて来られた。
双魚一人では、雑貨屋へ戻れそうもない。
老人は、端から三軒目に声を掛け、建てつけの悪い戸を開けた。
蚊の鳴くような呻きが聞こえる。
老人が一言二言発すると、やつれた女性が出て来た。年の頃から、娘か、息子の嫁かだろう。双魚と老人を見比べ、何か叫びながら、奥に駆け込む。
双魚は老人に背を押され、中へ入った。
台所兼食堂と、寝台が四つ並んだ寝室。鰻の寝床のような長屋だ。
怪我人は、手前の寝台で脂汗を滲ませていた。上着を脱がされ、うつぶせに寝ている。濡らした手拭いで、腫れた部分を冷やしている。
息子の妻らしき四十前後の女性は、寝台の傍らに立ち、前掛けで手を拭いていた。
双魚は、老人に握らされた物を怪我人の枕元に置き、手拭いを除けて傷の具合を確めた。
倒れた丸太は、一本ではなかったらしい。擦り傷だらけで、酷い打ち身が何カ所もある。内出血で赤黒く変色し、熱も持っている。背中と肩には、脂汗が滲んでいる。頭を庇ったのか、特に腕が酷い。骨に異常がないことは、不幸中の幸いだった。
手拭いを濡らす為に置いてあった手桶から、水を起ち上げる。不純物を取り除いた水で、怪我人の体を洗った。
老人と息子の妻が、驚いた顔で何か言う。怪我人は、寝台の上で身じろぎひとつしなかった。
三ツ矢が寝室に入り、何事か言うと、二人は落ち着いた。
双魚は、水を桶に戻し、傷薬を塗った。背中と肩、腕全体に塗り終えたが、薬はまだ大分、余っている。薬壺に封をして、老人に渡すと、呪文を唱えた。
「星々巡り時刻む天 時流る空 音なく翔ける智の翼 羽ばたきに立つ風受けて 時早め 薬の力 身の内巡り 疾く顕れん」
薬の効果を早める【薬即】の術だ。力ある言葉を受け、傷が薄くなり、唱え終わる頃には消えた。
老人の息子が、身を起こした。
「傷は治っても、体は弱ったままだから、今日と明日は、家で寝てるようにって、伝えてもらえますか?」
「あぁ、いいとも」
三ツ矢が双魚の耳にも幾分か、たどたどしく聞こえる発音で伝える。三人は、神妙な面持ちで頷いた。双魚に向き直り、明るい顔で口々に礼を述べる。