■薄紅の花 04.河口の街-36.暮れの港 (2016年01月03日UP)

 今冬は穏やかだった。
 小雪がちらつく程度で、船が出せない程、海が荒れる日は少ない。
 穏やかに波打つ海に、帰港の期待が高まる。
 冬至祭の前日、雑貨屋は丸一日、店を閉めた。
 おかみさんは終日、港に立ち尽くした。
 双魚はおかみさんの傍らに立ち、風除けに【真水(さみず)の壁】を建てて、水平線に目を凝らした。
 目に見えない壁は、触れると海の色に染まる。双魚が自ら術を解くか、双魚より強い魔力で、破壊の術を使えば壊せるが、押しても叩いても、びくともしない。時が経って術が切れ、壁が消えると、また建てた。
 おかみさんは、石像のように沖を見詰める。
 年末の港は慌ただしい。
 今年最後の荷を降ろし、倉庫に運ぶ人や馬車が激しく往来していた。漁から帰った船も、船体や漁具の手入れに余念がない。
 活気に満ちたキート港の中で、おかみさんと双魚の周囲だけ、時が止まったように取り残されていた。
 西の岬に日が沈み、赤く焼けた空に夜が被さる。井戸に桶を落としたように、あっけなく夕日の色は消えてしまった。
 いつの間にか、港の喧騒もなくなっている。
 足音が近付いてきた。
 双魚が振り向く。
 番小屋の灯に照らされ、男が一人、こちらに向かって来るのが見えた。白い息が闇に目立つ。逆光で顔形はわからない。
 双魚は風除けに建てた壁を消し、おかみさんにそっと声を掛ける。おかみさんは身震いして振り返った。
 「おい、今日はもう帰ろう。風邪引くぞ」
 現場仕事から戻った亭主だった。
 夕飯の用意を何もしていない。それどころか、二人は昼食も忘れて、沖に目を凝らしていた。

 有り合わせの物でスープを作り、遅い夕飯を摂る。
 誰も何も言わず、重苦しい沈黙が匙の動きを鈍らせた。食後のお茶は飲まず、食器を片付けると、各々、部屋に引き揚げた。
 双魚は窓を開け、屋根に切り取られた空を見上げた。狭い夜空に無数の星が瞬いている。風は弱く、吐く息が白い柱となって宙を漂った。
 家の中に雑妖が居る。
 発生源は、猫島夫婦の鬱々とした心だ。双魚は【退魔】を唱え、一人で大掃除をした。それで少しでも、二人の心が晴れれば、と望みを籠める。
 窓を閉め、ベッドの下から木箱を引っ張り出す。
 木箱には、書付を束ねた物と、皮袋が入っている。
 ずっしりとした重みのある皮袋をベッドに上げ、中身を数えた。雑貨屋と医院からの給金だ。特にカネを使う用がないので、そっくりそのまま残っている。
 三兄弟から聞いた船賃を思い出す。
 海龍号の使用人部屋にして、二人分の船賃に僅かに届かない。
 その海龍号を探すのだ。小さな船を港毎に乗り継ぐことになる。夫婦二人分に、充分なのではないか。
 船賃の相場は知らないが、自分はどうせ急ぐ度ではない。陸路で、宿賃用に少しばかり持って行けば、事足りる。
 もし、万が一のことがあったとしても、彼らの妻子が住む港へ行き、孫の顔を見れば、少しは気が晴れるのではないか。
 双魚はそこまで考えたが、それをどう伝えたものか、思案する。
 これをそのまま言う訳には行かない。そもそも、雑貨屋が支払った給金をそっくりそのまま返して、受け取ってもらえるとも思えない。
 双魚は皮袋を前にして、途方に暮れた。

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第04章.河口の街
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