■虚ろな器 (うつろなうつわ)-45.痛み (2015年04月05日UP)

 A班の班長〈柊〉こと藤江アマビリスは、眠れぬ夜を過ごした。〈白き片翼〉先生をこれ以上、心配させてはいけない、と言う一心で、談話室には降りなかった。
 自分の迂闊さのせいで、皆の生命を危険に晒してしまった。
 自分に魔力があるせいで、あんな大怪我をさせてしまった。
 先生がキレイに治して下さったからと言って、なかった事になる訳ではない。
 本来なら、自分が治さなければならなかった傷だ。癒しの術は高度で、まだ習っていない。習得していれば、せめてもの罪滅ぼしに、自分で治療したのに。無力なせいで、それすらできなかった。

 魔力はあるのに、何もできない。
 何もできなかった。
 自身を守る事すらできなかった。
 無力感。
 自責。
 怒り。
 後悔。
 悲しみ。
 罪悪感。

 様々な思いが、黒い渦となってアマビリスの心を呑み込んだ。
 皆は、自分に気を遣って「大丈夫だ」「班長のせいじゃない」と言ってくれただけで、本当は、きっと、絶対、凄く、とても、怒っているに違いない。
 班長なのに、皆を守らなきゃいけないのに、皆に迷惑を掛けてしまった。
 班長なのに、皆を巻き込んで危険に晒して、大怪我までさせてしまった。
 こんな事なら、もっと端を通ればよかった。魔力のない他の誰かに見て貰えばよかった。足を踏み入れる前にもっと部屋の中をしっかり見ておけばよかった。自分が【消魔符】を持っておけばよかった。水を持ち歩いていれば、魔法陣を消せたのに。【消魔符】が効くなら、中で消魔の術を使ってみればよかった。魔力を吸われながらでも、魔法を使えたかもしれないのに。試しもしないで諦めるんじゃなかった。〈柄杓〉ちゃんに【消魔符】の呪文を教えればよかった。他人の手を借りてまで助かりたくないなんて、意地を張らなければよかった。もっともっといっぱい勉強して、自分一人で何でも解決できる力を身につけておけばよかった。靴を脱げば出られたかも……いや、それはないか。そもそも、紙と木でできた襖が開かないなんておかしいんだから、もっと警戒しておけばよかった。何も考えずに部屋に入るんじゃなかった。もっとよく見ればよかった。罠があるなんて知らなかったって、そんな言い訳、実戦で通用する訳がないのに。学校の試験だから、近くに先生がいらっしゃるからって、油断するんじゃなかった。もっと気を付ければよかった。懐中電灯とか蝋燭とか、魔法以外の灯も用意して行けばよかった。見えていればあんな怪しい魔法陣、絶対踏まなかったのに。私がもっとしっかりしていれば、皆が魔物に齧られる事はなかったのに。私のせいで皆が食べられる所だった。私のせいで皆が死んでしまう所だった。私のせいで皆に大怪我をさせてしまった。私のせいで皆に迷惑を掛けてしまった。きっと成績も凄く悪いに違いない。あんなに皆に迷惑を掛けたのだから。私のせいで皆を危険に晒したのだから。班長で、皆に対して責任を持たなければならないのに、皆を助けるどころか、皆……私を助ける為に怪我をして、私は何もできなかったのだから。私のせいであんな大変な事になってしまったのだから、きっと成績も凄く悪いに違いない。赤点だったらどうしよう……追試って何をさせられるんだろう……赤点なんて取ったら、きっとお父さんに嫌われてしまう……優秀じゃない私は、ホントに要らない子になってしまう……私のせいであんな大変な事になってしまったのに、自分の成績の事なんか気にして、私、最低……寝てないで、皆に謝りに行かなければならないのに……動けないなんて……
 苦い後悔と激しい自責に胸の奥が焼ける。
 先生がくれた【安眠】は、悪夢を見ない為の呪符だ。眠れなければ意味がない。
 思考が堂々巡りし、アマビリスは空が白むまで一睡もできなかった。
 雀や山鳩が鳴き交わす頃、少しうとうとしたが、まどろみ以上の眠りは得られなかった。
 ノックの音に顔を上げると、八時だった。〈白き片翼〉先生の気遣わしげな声が続く。
 「おはようございます。〈柊〉さん、起きていますか?」
 
 今はその気遣いすら煩わしい。アマビリスは声を出す気力もなく、寝たフリでやり過ごした。
 先生は暫くドアの前で待っていたが、諦めて次の部屋へ行った。〈柄杓〉は起きていて、すぐに返事をしていた。先生と何か話す声が聞こえるが、熊蝉の大合唱に紛れて内容は聞き取れない。
 単調な蝉の声を聞く内に、再びまどろみ始めた。
 意識が途切れかけると、海中から引き揚げられるように覚醒してしまう。身体は昨日の大掃除で疲れ切り、魔力も激しく消耗している。
 身体と魂は眠りを欲しているのに、精神がそれを拒み、許さなかった。
 皆、もう起きてますよね。私も起きて、謝らなければならないのに……
 ベッドに横たわっているだけの身体は、心臓が跳ね上がり、不吉な動悸を轟かせている。手足が重く、布団を持ち上げる事すらできない。
 身体が動かないのは、昨日の術の名残……いえ、そんな事はありませんね。歩いて戻れましたから。今、動けないのは、私自身の甘え……

 空っぽの胃が存在を主張し、吐き気がする。こんな所で吐くと後始末が面倒なので、ひたすら我慢する。嫌な汗が、パジャマの背中をぐっしょり濡らしていた。
 まどろみと覚醒と自己嫌悪の坩堝の中、再度のノックで意識を現実に引き揚げられた。

 十二時十七分。

 「〈柊〉ちゃーん、開けてー。そうめん一緒に食べてー」
 この暢気な声は、B班の〈渦〉だ。昨日、何度も消魔の術を使って、魔法陣を完全に停止させてくれた。
 昨日の……お礼を言わなければ……
 その一念で、ベッドから滑り落ちるように出る。殆ど這うようにしてドアに近付き、鍵を開けた。
 「おっはよー。ヨーグルトもあるよー」
 ノーテンキな声と同時に〈渦〉が入って来た。お盆の上には、そうめんの硝子鉢とヨーグルトが載っている。〈渦〉に続いて、麦茶の薬罐とコップを持った〈榊〉と、麺つゆと硝子の蕎麦猪口(そばちょこ)を持った〈火矢〉が入って来る。
 三人とも、私服に着替えていた。パジャマの自分が恥ずかしい。
 「大丈夫? 顔色悪いよ? 先生呼ぼうか?」
 「昨日、かなり出血していたから、貧血やも知れんな」
 ドアの横に座り込むアマビリスを〈火矢〉と〈榊〉が案じる。三人は持って来た物を部屋の中央に置き、戸口に集まった。
 「貧血かー、じゃあ、先生も何もできないねー」
 〈渦〉が、首に巻いた銀条に話し掛ける。銀条は身を乗り出し、舌を出し入れしてアマビリスを嗅いだ。アマビリスは思わず蛇から目を逸らした。
 「あまり無理せんようにな。ひとまず、顔でも洗ってすっきりしようか」
 そう言って〈榊〉が肩を貸し、立たせてくれた。自力では立つ事もできない自分が情けなかった。胸が詰まり、吐く息さえ震える。
 先にトイレに連れて行かれた。個室の前までは支えてもらったが、後は自分一人で何とかなった。〈榊〉の言う通り、用を足し、洗面所で顔を洗うと、少し体が軽くなった。
 手を拭こうとして、ハンカチもタオルも持って来なかった事に気付いた。トイレットペーパーで拭こうかと、個室を振り返る。〈榊〉がハンドタオルを差し出した。
 「今の時期、二枚持ちだから、こっちはまだ使っていない分だ」
 〈榊〉はポケットからもう一枚出して見せ、先に出した方をひらひらと振った。
 そんなつもりで躊躇した訳ではない。慌てて首を横に振り、誤解を正そうと口を開いた。

 声が出ない。

 「あー、そんな遠慮するものでない。こんな物一枚、気にせんでよい」
 更に誤解したのか、〈榊〉はハンドタオルでアマビリスの顔をごしごしこすり、続いて右手、左手と順に拭う。最後に、アマビリスの乱れた髪を手櫛で整え、「よし」と独り言ちてタオルを仕舞った。
 唇は震えるが、お礼の言葉も、お詫びの言葉も、喉に引っ掛かり、出てこない。
 代わりに、涙が零れた。
 「あー、いいから、いいから。こんなの一枚、そんな気にしなくていいから。ん?」
 再びタオルを取り出し、強引にアマビリスの顔を拭く。肩に添えられた手のぬくもりに、やさしかった頃の祖母を思い出し、涙が止まらなくなった。
 「あぁ……よしよし、怖かったもんな。もう大丈夫だから、心配ないから。いっぱい泣いて安心おし。よしよし」
 年寄り臭い見習い巫女は、幼子をあやすように言って、アマビリスを抱きしめた。頭ひとつ分背が高い巫女の大きな手が、アマビリスの背でやさしく拍子を取る。
 アマビリスは、巫女の肩を濡らして泣きじゃくった。

 どのくらい泣いたのか。
 アマビリスは、泣き疲れて泣き止んだ。見習い巫女の〈榊〉は、ずっと背中を軽く叩き、あやし続けていた。
 「さ、もう一回、顔洗って、そうめん食べよう」
 「……うん」
 今度は、何とか声が出た。
 冷たい水で顔を洗って、もう一度、ハンドタオルを借りる。
 鏡に映った顔は酷かった。目は涙と睡眠不足で充血し、目の下は隈で青黒い。唇に血の気がないのは、本当に血が足りないからだろう。たった一晩で、死人のように生気のない顔になっていた。
 「今は誰がタオル洗うかなど、気にせんでよい。そうめん食べよう。寝不足と空腹では、碌な事を考えんからな。さ、行こう」
 言いながら、アマビリスの手からタオルを取る。〈榊〉に手を引かれ、洗面所から連れ出された。

 覚束ない足取りで部屋に戻ると、二人は既にそうめんをすすっていた。
 硝子鉢の氷はすっかり溶けている。
 「伸びちゃうから、二人の分、こっちに除けてあるよ」
 〈火矢〉が目顔で示す。もう一枚のお盆には、小さな笊にそうめんの白い山が載っていた。〈榊〉がそれを硝子鉢に移す。〈火矢〉が蕎麦猪口に?つゆを注ぎ、〈渦〉がラップの包みを取って、そこに葱を浮かべた。
 「さ、座って。食べよう」
 「お先にいただいてます」
 アマビリスは〈榊〉に促され、床に座った。〈渦〉が無邪気に笑う。〈火矢〉に箸を手渡され、小さく会釈した。
 〈榊〉は、アマビリスの隣にどっかり腰を降ろした。
 「いただきます」
 合掌して箸を手に取ると、豪快にそうめんをすする。
 アマビリスは、再び声が出なくなっていた。箸を手にしたまま合掌し、一礼してそうめんに箸をつける。
 すっかりぬるくなっていたが、胃が痛む今は、それが却ってありがたい。どうにか、蕎麦猪口一杯分は飲み下し、箸を置く。
 汗をかいた薬罐に手を伸ばすと、〈火矢〉が察して先に麦茶を注ぎ、コップを渡してくれた。礼を言いたいが、唇が震えるだけで、声にならない。会釈してコップを受け取る。〈火矢〉は小さく頷いて、ヨーグルトの蓋を開けた。
 香ばしい麦茶が、体に染み渡る。渇きが癒されて初めて、自分が軽い脱水を起こしていた事に気付いた。
 一杯目をゆっくり飲み干し、薬罐に手を伸ばすと、今度は〈渦〉が注いでくれた。〈渦〉は自分の分も注いだ。銀条がヨーグルトの空き容器に頭を突っ込んでいる。
 「あれっ? 銀条ちゃんも欲しかったの?」
 顔を上げた銀条の鼻先には、ヨーグルトがこびり付いていた。
 あれっ? 蛇ってヨーグルト……違う。あれは、使い魔……
 漸く頭が回り始めた。血の不足を補うように、二杯目の麦茶を飲み干す。
 アマビリスもヨーグルトの蓋を開けた。他の三人は食事を終え、それぞれ麦茶を飲んで寛いでいた。
 網戸に蝉が止まる。
 誰も何も言わない。
 気まずい沈黙ではなく、食後ののんびり寛いだ静けさだった。

 昨日の出来事が、遠い夜の悪い夢のように思えた。
 それは、違います。昨日、現実に起こった事……現実の魔道犯罪。私のせいで、現実の魔物に皆が食べられそうになって……私のせいで……
 胸が詰まり、吐息が震える。
 「先生がね、晩ご飯までお昼寝してなさいって」
 〈火矢〉が言いながら、アマビリスを立たせ、ベッドに寝かせる。〈渦〉と〈榊〉が手早く食器を片付け、出て行った。
 「んじゃ、おやすみー」
 「ゆるりと休むがよい」
 「一人で心細かったでしょ? 私、昨日は〈三日月〉ちゃんと一緒に寝てたし、迷惑じゃなかったら、ここに居るよ?」
 残った〈火矢〉がベッドの横に座った。
 アマビリスは何も言えず、目を伏せるように小さく首を縦に動かした。睫毛の間から滴が頬を伝って零れ、枕を濡らす。
 〈火矢〉はタオルケットの肩口を軽く叩き、拍子を取りながら歌い始めた。
 寄せては返す海波のようにゆったり揺れる旋律。単なる子守唄ではない。力ある言葉に魔力を乗せて歌う呪歌だ。
 唄に魔力を乗せ、〈火矢〉はアマビリスを寝かしつけようとしている。
 アマビリスはそれに逆らわず、雨のように降り注ぐやさしい歌の力に身を任せた。

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