■虚ろな器 (うつろなうつわ)-26.浄化 (2015年04月05日UP)

 家の東西、二手に分かれてお清めを始める。
 志方は、〈榊〉、〈火矢〉と共に、家の西半分、押入れがある二間と十二畳間を清める事になった。とは言え、何をどうすればいいのか、さっぱりわからない。
 先程、〈榊〉が塩を撒いていたが、単に撒くだけでいいのか、それとも何か、志方が気付かなかっただけで、他の事もしていたのか。
 開け放たれた窓から、新鮮な空気と陽光が入って来る。窓と雨戸を開けて回った時とは打って変わって、居心地が良くなっていた。箒で掃き清め、雑巾で水拭きし、魔法で仕上げ、物理的に掃除したに過ぎないにも関わらず、だ。
 志方は、この古い家にあたたかく歓迎されているような気がした。
 廊下が三つ叉に分かれた所で立ち止まる。押入れの奥に雑妖が縮こまっていた。
 「〈輪〉君」
 「は、はいッ!?」
 突然、〈榊〉に呼ばれ、志方は背筋を伸ばした。張りのある凛とした声が、何もない部屋に響く。
 「部屋の清め方を説明する。この部屋は私がするから、よく見て、隣の部屋を〈輪〉君が清めて欲しい。構わないか?」
 「俺でも、できるのか?」
 「簡単だから、大丈夫だ」
 この部屋は、外の光からは遠く、【灯】は〈樹〉が持っている。仄暗い中、女子二人の周囲だけが薄明るく感じられた。
 「お清めは、素手で行う。ゴム手袋を脱いで。必ず素手だ」
 「は……はい!」
 志方は言われた通り、ゴム手袋を外し、ウェストポーチのベルトに挟んだ。〈火矢〉が隣の十二畳間に移った。
 「部屋の四隅を意識して、清めたい空間の範囲を決める。部屋全体……床だけでなく、天井や押入れまでを心に留める」
 六畳間の中央に立った〈榊〉が、ゆっくりと確認しながら、隅を順に指差す。更に床、天井、押入れを指して、志方を見た。志方が頷くと、ポーチから塩の袋を取り出し、説明を続ける。
 「部屋の中央に立ち、まず、四隅に向かって塩を撒く。それから押入れ。天井はいい」
 志方が頷くと、〈榊〉は自分の説明通りに塩を撒いた。押入れの暗がりに避難していた雑妖が、跡形もなく消える。
 「最後に、塩を掃き集めて終わりだ」
 神社の娘〈榊〉が、塩をポーチに仕舞い、箒を手に取った。手際良く掃き集めた塩をちりとりで回収し、手を叩く。

 部屋の空気が変わった。

 先程までの生ぬるい、のほほんとした雰囲気が消し飛び、〈榊〉の声のように凛と張り詰めた清浄な気配に満ちる。部屋全体がうっすら明るさを増し、天井が高くなったような気がした。
 何だ? 急に寺っぽくなったって言うかさ……何だこれ?
 志方は、懐かしいようなそうでもないような、あの古刹と同じ空気を感じていた。これで線香の匂いがしていれば、完全にあの寺だ。
 「それでは、隣、やってみなされ」
 神社の娘に促され、隣の六畳間に移る。先に十二畳間のお清めを終えた〈火矢〉が、志方に助言をくれた。
 「お部屋とぴったり同じ大きさの、四角いテントを張るみたいな気持で、お部屋の広さを意識すると、やりやすいよ」
 「お、おう、ありがとう」
 軽く手を上げて礼を述べ、志方は部屋の真ん中に立った。
 目を閉じてひとつ深呼吸する。
 窓から来た夏の風が、頬を撫でる。少し気が鎮まった所で、目を開いた。縁側から、日射しを受けて輝く地面が見える。
 白く照り返す地面の眩しさを部屋全体に広げるように、空間に意識を巡らせた。自分の立っている場所から、部屋の陰を陽に塗り替える。
 部屋には、特に変化がない。
 志方はポーチから塩の袋を引っ張り出した。ふと、何かで見た風水の断片的な情報を思い出し、手を止める。
 「あ、これってさ、どこから撒いてもいいのか? どっか方角、決まってる?」
 「いや、特にないな」
 神社の娘に軽く流され、志方は拍子抜けした。気を取り直し、南西、南東、北東、北西の順で塩を撒く。最後に、押入れに撒いたが、こちらの部屋は明るいので、元々雑妖が居らず、塩の効果はよくわからなかった。
 魔法で浄化された箒を〈榊〉に手渡され、気合いを入れ直す。
 あの夏の古刹を思い出しながら、床に散らばる白い粒を掃き寄せる。
 あの寺は静かだった。蝉や鳥の声と、風にそよぐ木々の葉擦れ、生き物の活きる音に満ちていた。活きた音は耳に心地よく、無音以上の静けさを感じた。
 ここも周囲を山に囲まれ、熊蝉の大合唱が響いている。雑妖等の呟きや怨嗟の声は、小さくとも、志方の神経に障った。この世のモノでない声を夏の風が吹き払う。
 靴下に塩が付かないように気を付け、部屋の中央に集めた。〈榊〉がちりとりを置く。志方は会釈して、塩を回収した。
 腰を伸ばして、周囲を見回す。
 ……あれっ? あんま、変わんない? 不発?
 「箒貸して」
 〈榊〉に手を出され、素直に渡す。志方が口を開くより先に、説明された。
 「説明を失念しておった。すまん。最後、柏手(かしわで)三回打って〆て」
 先程のあれは、手に付いた塩や埃を叩(はた)いて払ったのではなく、柏手だったのだ。何気ない動作だと思っていた事が、儀式の一部だった事に志方は驚いた。
 志方は目を閉じ、ひとつ深く息を吸い、細くゆっくりと吐き出した。呼吸を整え、気を鎮める。腹にぐっと力を入れ、目を開いた。
 縁側の外に溢れる光を見据え、柏手を打った。

 ひとつ
 ふたつ
 みっつ

 何もない部屋の中心から、隅々に音が広がり、反響する。
 ひとつ打てば、この部屋の気配が鎮まった。
 ふたつ打つと、天井が高くなったような気がした。
 みっつ打って、清々しく、緊張感のある空気が満ちた。
 隣室を〈榊〉が清めた時同様、背筋が伸びるような、きちんとした雰囲気は、あの寺の本堂に似ていた。
 「初めてなのに、一回でできたな。流石、寺で基礎を仕込まれただけの事はある」
 満足そうに〈榊〉が頷く。何となく上から目線の発言だが、不思議と尊大な感じはせず、志方は素直に「認められた」事を受け容れた。
 〈榊〉は同い年でも、実家の神社でお清め等の修行を積んでいる。良く考えなくても、「その筋の先輩」なのだ。初心者の志方に、わかりやすくお清めの方法を教えてくれた。いい先輩だ。
 三人揃って廊下に出る。
 東半分も終わったようで、既にトイレの前に集まっていた。〈渦〉がゴミ袋を広げる。
 「そのお塩はー、もう使えないからー、こっちー」
 「お、おう」
 志方は言われるまま、ゴミ袋にちりとりの中身を移した。
 六人の前には、油性マジックで小さく「厠」と書かれた引戸が、厳然と立ちはだかっていた。古びた木製の引戸一枚隔てた向こうは、汲取り式のトイレだ。物理的にも、霊的にも、汚れと穢れに満ちている事が予想される。
 外は強い日射しが照りつけ、蝉の声が響き渡る。生気溢れる世界の中で、ここだけが、闇の気配に包まれていた。
 〈樹〉が水を満たしたバケツを床に置いた。ポーチのベルトに挟んだ【灯】が、廊下と引戸をぼんやり照らす。月の光に照らされ、夜の気配が増した。
 「班長さーん、ガンバッてー」
 「う……うん」
 〈渦〉の無責任な応援に、班長の〈雲〉が、ぎこちなく頷く。
 「六人分の【魔除け】がある。大丈夫。落ち着いて、いつもの力を出せば、何とかなる」
 自信に満ちた〈榊〉の声に勇気付けられ、〈雲〉は引戸に手を掛けた。手元を見詰めたまま、班員に宣言する。
 「じゃあ、開けるよ」
 「うん!」
 「おう」
 「ガンバッてー」
 班長は、一気に戸を引き開けた。

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