■虚ろな器 (うつろなうつわ)-39.呪縛 (2015年04月05日UP)

 足元を視る。雑妖に足を掴まれた訳ではなかった。運動靴の甲に乗って戯れているが、その程度で動けなくなる事はない。床に吸い着けられたように、足が持ち上がらなくなっていた。
 何とかして持ち上げようと、〈柊〉は箒に体重を預け、足に力を籠めた。
 視えない力が、〈柊〉の足を床に固定していた。
 〈柊〉の中で、焦りが募る。冷たい汗が、額と背中を伝った。
 突然、〈柄杓〉が悲鳴を上げた。〈柊〉は上半身を捻り、隣室に顔を向けた。
 廊下からの光を受けた〈柄杓〉の小柄な体が、粘りつくような闇の中で、うっすら輪郭を浮かび上がらせていた。逆光で、表情はわからない。
 悲鳴を聞きつけ、班員が集まって来たらしい。足音が駆け寄って来る。
 「逃げてー! 〈柊〉ちゃん、逃げて!」
 「おわぁあぁッ! 何じゃこりゃーッ!?」
 〈柄杓〉と〈水柱〉が顔を向ける押入れの方向へ、〈柊〉も目を向けた。
 数歩離れた床から、何かが這い上がっている。
 魚と言うよりは、蛇を太く短くしたような胴。胴の先端は、鋭く短い歯を二重に生やした口が大部分を占め、小さな目が赤く光っている。鰭ではなく、虫の足を太くしたような物が、腹から八本、突き出していた。
 床に穴でもあるのか、雑妖とは明らかに異なる魔物が、一匹、また一匹と、這い出して来る。魔物は、太さ、長さ共に大人の足程もあった。
 駆けつけた〈森〉が持つ灯に照らされ、ぬめりのある銀鱗が、刃物のように輝く。南側の襖と窓は板が打ちつけられ、固定されていた。
 中央の部屋に入るなり、〈梛〉が叫んだ。
 「何してんだ、委員長!? 早くこっちへ!」
 「無理です。足が動きません」
 〈柊〉は頭(かぶり)を振って、班員に箒の柄を突きつけ、侵入を拒んだ。
 「来てはいけません。あなた方まで、何かに足を押さえられます」
 「なっなに、何かって、何?」
 焦りで思うように動かない手で、何とかポーチのファスナーを開け、〈梛〉が聞く。
 答えようと、口を開きかけた〈柊〉は、足に激痛が走り、息を呑んだ。〈柄杓〉と〈三日月〉が悲鳴を上げる。
 「こいつ!」
 〈梛〉が〈柊〉の足元に塩を叩きつけた。
 雑妖が消し飛び、〈柊〉のふくらはぎに喰らい付いていた魔物は、怯んで口を放した。歯に引っ掛かったジャージが破れ、血の滲んだ足が露わになる。
 隣室から射し込む〈森〉の灯で、血の赤が生々しく見えた。その滴る先、床の上に埃はなく、何やら複雑な図形が淡い色で描かれている。
 目を凝らすと、魔法陣のように見えた。直径は部屋の幅ギリギリ、中央から魔物が這い出して来る。〈柊〉は、円内に足を踏み入れていた。
 「先生……! 先生呼ぼう!」
 血の気の引いた顔で叫び、〈水柱〉が廊下に出た。窓から使い魔の玄太を放ち、血を吐くような声で命令する。
 「玄太! この村の本部へ飛んで、〈匙〉先生を呼んで来い! 早く!」
 鴉の玄太は、主同様、泣き叫ぶような悲壮な声を上げ、山間の空に舞い上がった。

 「清き陽よ、烈夏の日輪、澱み裂き、魔の目貫け、魔を滅せ、不可視の焔光、焼き焦がせ、罪穢れ討ち、碍魔を滅せ」
 神社の息子〈梛〉が、ポーチから呪符を引っ張り出し、籠められた力を解放した。
 魔法陣を踏まないよう、手を伸ばし、再び〈柊〉の足に喰らい付いた魔物に貼り付ける。魔物は全身を仰け反らせ、班長から離れた。陸に打ち上げられた魚のように、のたうっていたが、すぐに動かなくなった。【魔滅符】と共に、魔物が灰になる。
 〈梛〉は立ち上がり、〈柊〉の腕を力任せに引いた。足が石化したかのように、びくともしない。〈柊〉は、血の匂いを嗅ぎつけ、跳ねてくる魔物を箒で叩き、牽制した。
 「物理、有効なんだ……梅路! ホントの姿に戻って、魔法陣の中に入らずに、あの魔物を殺しなさい!」
 命令を受け、三毛猫の姿をした使い魔が、〈三日月〉の腕から飛び降りた。宙で体が膨らみ、元の三倍になる。三毛が赤く染まり、燃えたつ炎の色になる。着地の瞬間、その背には蝙蝠のような羽が生えていた。
 蝙蝠の羽を生やした赤猫の魔物が舞い上がり、虫の足を生やした銀鱗の魔物に喰らい付く。魔物同士の咬み合いが始まった。
 「魔法陣……呪符! 〈柄杓〉ちゃん、【消魔符】を貸して下さい」
 片手で箒を振り回しながら、〈柊〉が魔法陣からもう一方の手を伸ばす。〈柄杓〉は眼鏡をずり上げ、ウェストポーチを開けた。呪符だけを取り出そうとしたが、中身を全てぶちまけてしまった。
 「気付かなかった私の責任ですから、私がします」
 「あ……あぁあぁ……あの、あのね、それ、中からじゃ、無理かも」
 呪符を握りしめ、〈柄杓〉は何とか声を振り絞り、首を横に振った。〈森〉と、戻ってきた〈水柱〉が、塩の袋とゴミ袋を拾う。
 〈水柱〉が箒に塩をまぶし、魔除けの呪文を唱えた。
 「日月星、蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。
 
 日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理汝を守る」
 魔除けの効果を付与した箒で、銀鱗の魔物を力一杯、殴る。
 明らかに、素のままの箒より効いていた。
 二人の箒と梅路の牙から逃れ、魔法陣の部屋から魔物が漏れる。

 〈森〉がゴミ袋を捻じって結んで輪を作り、使い魔の使役に集中する〈三日月〉の周囲に、簡易結界を張った。自分もその中に入り、魔力を持たない〈柄杓〉と〈梛〉を呼ぶ。
 【消魔符】を持つ〈柄杓〉も、【魔滅符】を使い果たした〈梛〉も、首を横に振って結界に逃げなかった。五匹の魔物がそれぞれ、獲物を定め、虫の足で跳ねる。
 赤い魔物に戻った梅路は、銀鱗の魔物の喉に咬みついた。ゴリゴリと何かが砕ける音を立て、銀鱗の魔物は青い血を流し、もがいた。別の一匹が梅路の後足に齧りつく。ギャッと叫び、梅路は振り向き様に爪を振るった。銀鱗の魔物は後足を放し、その一撃を躱す。
 箒を掻い潜った一匹が、〈柊〉の腕に跳びついた。慌てて腕を振るが、虫の足がジャージに引っ掛かり、振り解けない。魔物はそれに構わず、〈柊〉の肉に喰らい付いた。
 「あぁッ! また! こいつ!」
 〈水柱〉が、魔除けの箒を魔物に振り降ろした。狙い過たず、銀鱗に覆われた鼻面を強打する。魔物は〈柊〉の腕から口を放し、床に落ちた。すぐに起き上がり、足に跳びつく。〈柊〉が、歯を立てられる前に、箒の柄で突き落す。銀鱗の魔物は大して痛みを感じなかったのか、すぐに這い上がり、血に塗れた足に牙を立てた。
 魔法陣の部屋から出ようとする魔物を、〈梛〉が箒で押し戻す。箒で叩かれた魔物は、無防備な〈柄杓〉に標的を変えた。〈柄杓〉は【消魔符】を握りしめ、起動の呪文を思い出そうと、唸っている。
 「おい! 〈柄杓〉! 避けろ!」
 叫びながら〈梛〉が箒を振るう。魔物は、外見から想像もつかない速さで躱し、〈柄杓〉の背中に咬みついた。〈柄杓〉が声にならない悲鳴を上げる。
 「〈柄杓〉ちゃん! 呪符! 私がします! 早く!」
 同じく魔物に齧られながら、〈柊〉が手を伸ばす。〈柄杓〉は魔物を引き剥がそうと、片手を背中に回して言った。
 「そこじゃ、ダメなの! 多分、【吸魔符】みたいなのがあるの!」
 「えっ?」
 「灯が吸い込まれたでしょ? 多分、それ、外からじゃないと無理!」
 〈柊〉は下唇を噛んだ。呪符の素材は限定されている。床に直接描いても、可能なのか。俄かには信じられないが、現に〈柊〉は魔力を奪われ、【吸魔符】の接続先らしき魔法陣を起動させ、魔物を呼びだしてしまった。
 〈柄杓〉は何とか魔物の足を掴んだが、魔物は喰らい付いたまま、離れようとしない。〈梛〉が魔物の頭を鷲掴みにし、口をこじ開けにかかった。
 隣室に漏れた魔物は、〈森〉がゴミ袋で作った即席の簡易結界に阻まれ、二人の周囲をウロウロしている。
 魔法陣の部屋の隅で、〈三日月〉が操る梅路が、魔物の胴に喰らい付き、後足で激しい蹴りを繰り出している。
 「えーっと……呪文、呪文……なんだっけ、えーっと……」
 魔物の足を掴んだまま、〈柄杓〉は呪符を見詰めた。痛みと共に背中が濡れる感触に、出血の量を想像してしまう。今、悪夢ではなく、現実の世界で、魔物の餌食になっている。足が震え、思考が乱れる。何度も練習した呪文を思い出せない。
 〈柊〉は、何とか自力で状況を打開できないか、部屋を見回した。ポーチに残った塩を撒いたが、〈柊〉の肉を味わうのに夢中なのか、魔物は先程のように離れなかった。〈柄杓〉に【消魔符】の呪文を教えれば、解決できるかもしれないが、他人の手を借りて助かる事に抵抗があり、喉元まで出かかった言葉が消えてしまう。
 〈柄杓〉から魔物を剥がそうとする〈梛〉を、別の魔物が襲う。〈梛〉は足に咬みつかれ、苦痛の声を漏らしながらも、もう一方の足で魔物の頭を蹴りつけた。喰いしばった歯がより一層、肉に食い込み、〈梛〉は後悔した。
 〈柊〉は、自分の足を齧る魔物を睨みつけた。

 この惨状を招いたのは、自分の魔力。責任は自分にあるにも関わらず、魔力があるせいで動けない。
 この惨状を招いたのは、自分の不注意。責任は自分にあるにも関わらず、身動きすらままならない。

 自分の迂闊さが招いた事態を、解決するどころか、却って自分の存在が皆に迷惑を掛け、足を引っ張っている。今、自分達は、魔法文明圏ではなく、科学文明国で、魔物の餌食になっている。先生の到着まで、班員は致命傷を避け、命を守り通せるだろうか。
 〈柊〉は、溢れそうな涙を堪え、冷静さを取り戻そうと、幼稚舎の頃から繰り返し教えられた通り、呼吸を整えた。
 足元の魔法陣は、初めて目にする物だ。中に書かれた力ある言葉から、幾つか知っている単語が読み取れた。先週、習ったばかりの【吸魔符】と【充魔符】でも、同じ単語が使われていた。〈柄杓〉が言うように、何らかの方法で、呪符素材以外の物で書いても、同じ効果を発揮するようになっているのだろう。〈柊〉は、呼吸を整えながら、事態の打開策に思いを巡らせた。
 「あー呪文、呪文、えー、あー、やー……あ! 思い出した! 〈水柱〉君、離れて! 【消魔符】使うよ!」
 背中を喰われている〈柄杓〉の顔が、明るくなった。
 銀鱗の魔物を牽制し、〈水柱〉が魔法陣の部屋から出る。〈柊〉はその背中に声を掛けた。
 「〈水柱〉君、お願いします! 水を汲んできて下さい。術で魔法陣を消せば、何とかなるかも知れません」
 「わかった! もうすぐ先生着くし! 頑張れ!」
 駆け出す〈水柱〉を魔物が追う。〈梛〉が足に喰らい付かれたまま駆け寄り、箒で部屋に叩き戻す。勢いでジャージと肉が千切れ、喰らい付いていた魔物が落ちた。

 〈梛〉も床に崩れる。何とか漏洩を防いだ事に、額の汗を拭う。肉を喰い千切られたふくらはぎから、血が噴き出す。ハンカチで抑えるが、みるみる血に染まり、用をなさなくなった。肉片を飲み込んだ一匹が、ハンカチを押さえる手に喰らい付く。
 「えっと、【消魔符】行くよ!
 文間(あやま)にて綾(あや)成(な)す妖(あや)し肖(あやか)りて、怪(あや)しき力零(あや)しつつ、危(あや)うき業(わざ)の綾(あや)解(ほど)き、過(あやま)たず過(あやま)ち正せ、綾(あや)織(お)り成せ」
 〈柄杓〉は、自力で思い出した呪文を忘れない内に早口で唱え、【消魔符】を魔法陣に投げ込んだ。
 呪符が魔法陣の内外をひらひらと舞い漂う。〈柊〉が箒で円内に引きこみ、押さえる。
 這い出しつつあった七匹目の動きが、止まった。身は半分程、床の上に現れているが、それ以上出てこない。
 〈柊〉の体がやや軽くなった。出られるかと思ったが、まだ、足は動かない。この呪符より、魔法陣の方が強いのだ。
 廊下に出ようとする魔物の行く手に、〈森〉が塩を撒いた。進路を妨害された銀鱗の魔物は、〈森〉達に喰らい付こうと、再び簡易結界に体当たりする。見えない壁が、魔物を拒み、〈森〉と〈三日月〉を守った。
 使い魔梅路の爪と牙を受け、魔物はついに動かなくなった。青い血に塗れた体が、弱々しく痙攣する。梅路も咬傷を受け、片足を引きずっていた。
 これ以上戦えないと判断し、〈三日月〉は梅路を呼び戻した。押入れに塩を投げ、雑妖を追い散らす。使い魔は蝙蝠の羽で飛んで魔物を避け、魔法陣の部屋から主のいる隣室へ移動した。
 「あれはそんなに高く跳べないみたい。梅路、押入れの上の段で待ってて」
 主の命令に従い、梅路は開け放たれた押入れの上段に降りた。〈三日月〉達を狙う魔物は、梅路には関心を示さず、結界の周囲をカサカサ這い回っている。
 使い魔を安全な位置に待機させ、〈三日月〉は太い息を吐いた。
 「あ……水晶! 〈梛〉君、〈柄杓〉ちゃん、水晶……!」
 魔力の水晶の存在を思い出し、〈柊〉は魔力を持たない二人に叫んだ。具体的に何の術を使えばいいかわからず、後の言葉が続かない。
 廊下を複数の足音が近付いて来る。

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