■虚ろな器 (うつろなうつわ)-22.廃屋 (2015年04月05日UP)
村は東西に細長く、本部は中心付近にある。山頂側が北、麓側が南だ。志方達のB班は、東側の六軒が割り当てられていた。砂利道を挟んで山側に二軒、麓側に四軒ある。
「近い所から片付けよう」
班長〈雲〉の発案に異論はなく、安全地帯の隣の現場に向かった。
「お邪魔しまーす」
無人の家に声を掛けながら、〈樹〉が玄関の引戸を開ける。鍵はそもそも付いておらず、何の抵抗もなく開いた。
夏の朝の光が差し込み、黒っぽい何かが、三和土(たたき)から廊下の奥に逃げた。
志方は思わず息を呑み、硬直した。
「あ、やっぱ居るね。じゃあ、打ち合わせ通り、【魔除け】を使おう」
班長の声で我に返り、ウェストポーチから【魔除け】の呪符を取り出す。
左手で呪符を握りしめ、何度も書いた言葉を肉声に乗せる。古く力ある言葉で、起動の呪文を唱えた。
「日月星(ひつきほし)、蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍(あまね)く照らす。
日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世(うつよ)の理(ことわり)汝を守る」
日之本帝国語に訳すと、そう言う意味になるらしい。
呪符の上部に描かれた象徴が熱を帯び、籠められた魔力を解放する。霊視力を持つ志方達の目には、呪符全体が、ぼんやり真珠色の光に包まれて視えた。〈樹〉の目には、その変化を読み取る事ができない。
「うん。大丈夫。ちゃんと発動してる」
班長が視て、微笑む。〈樹〉は、はにかんで礼を述べた。
発動した呪符を上着のポケットに捻じ込み、ウェストポーチのベルトで押さえる。これで数時間は、雑妖に集(たか)られずに済む筈だ。
この家は、永らく住む人がなかったのか、埃が厚く積もり、蜘蛛の巣だらけだった。埃の上に大人の足跡があるが、これは、〈双魚〉先生が下見に来た時に付いたのだろう。
黒っぽい何かが床を走り回っているが、それに見合う足跡はなく、埃が舞い上がる事もない。廊下や玄関の隅に蹲り、こちらを覗うモノ、天井から垂れ下がる蜘蛛の糸にぶら下がるモノ、天井を這いずるモノ、澱んだ空気の中を漂うモノ。
古い空き家の中には、無数の雑妖が犇めいていた。
「えーっと……最初は、土足で上がらせてもらって、仕上げの時だけ、靴、脱ごうか」
班長の〈雲〉が、マスクの奥で顔を引き攣らせる。
「あー、靴下、真っ黒になりそうだもんな」
視えない〈樹〉が、床の埃を見て相槌を打つ。視える班員は、なるべく雑妖と目を合わせないように、あらぬ方を見ながら同意した。
「じゃ、一番! 私が【灯】付けるね」
〈渦〉が元気よく、力ある言葉を唱え、【灯】の呪符を発動させた。「闇照らす夜の主の眼差しの淡き輝き今灯す」の言葉通り、月光のような淡い光がぼんやりと廊下を照らす。
「じゃあ、はい」
「土足ですみません。掃除しまーす」
〈渦〉に【灯】を渡され、〈樹〉が声を掛けながら、先行する。歩きながら、ウェストポーチからダブルクリップを取り出し、発光する【灯】をポーチのベルトに挟む。
他の班員達は、慌てて後を追い、一緒に雨戸を開けて回る。マスク越しに吸う空気は、埃っぽく黴臭い。
班長の〈雲〉が【防火】を起動し、土間続きの台所の壁に両面テープで貼り付けた。
何年も閉め切られていた暗い部屋に、夏の強い陽光が射し込む。光に追い立てられ、雑妖が影に逃げる。逃げ遅れたモノは、光に触れ、音もなく掻き消えた。
どの部屋も、襖は残っていたが、畳は取り払われ、家財道具は何ひとつ残っていない。襖を全て外し、玄関脇の外壁に立て掛ける。
奥の六畳間から掃除を始めた。
手分けした方が早いのはわかっているが、恐いので、全員同じ部屋に集まっている。
天井の蜘蛛の巣を箒で払い落とすと、雑妖も降ってきた。
キャアキャア悲鳴を上げ、〈渦〉と〈火矢〉が雑妖を避ける。
押入れの中も掃く。綿埃等と一緒に、雑妖も掃き出された。
雑妖は雑妖で、【魔除け】の呪符を嫌がり、生徒から離れる。
窓から射し込む光が、板の間に四角い日向を作っている。箒で掃かれた雑妖が、運悪く日向に転がり出て、消滅した。
志方は、無数の雑妖に囲まれながら、集られない状況に胸の奥が震えた。
呪符、スゲー……
感動しながらも、手は休めない。
襖が取り払われ、三間続きになった六畳間から、南隣の十二畳間に埃を掃き出す。縁側から差し込む日光に触れ、黒い何かが消える。舞い上がった埃が、キラキラと輝きながら、畳が取り払われた古い板敷に降り注いだ。
粗方、掃き出せたところで、東隣の六畳間に移る。
「うわッ」
先程と同様、北側に押入れがあるが、窓はない。南と西に部屋、東は廊下だ。直射日光が入らないこの部屋に、隣室から避難した雑妖が溜まり、足の踏み場もなかった。
「ちょっと待って」
足を踏み入れようとした〈樹〉を〈榊〉が手で制した。何か雑妖以外に危険なモノが居るのか、と志方は薄暗い部屋に目を凝らす。
もやもやと形を成し切れていない黒っぽい何か。虫のような何かは錆びた刃物のような物を持ち、両生類のようなそうでないような何かは粗末な服を着ていた。多種多様で、一匹として同じ姿ではない雑妖が、犇めきあっている。いずれも、陽に触れただけで消えてしまう、現世(うつよ)に在っては儚い存在だ。
神社の娘〈榊〉は、ウェストポーチから塩の袋を取り出した。志方には、〈榊〉が何をするつもりなのか、わからない。黙って成り行きを見守る。
「やッ!」
〈榊〉は、塩を一掴みすると、気合いの声と共に勢いよく撒いた。
純白の塩に触れた黒いモノが、溶けるように消える。〈雲〉が、塩で生じた雑妖の隙間に箒を挿し込み、廊下に向かって埃を掃く。綿埃に纏わりついたモノが、板敷にぶちまけられた塩に触れて、溶ける。床板が見える区画に〈渦〉と〈火矢〉が入り、南の十二畳間に埃を掃き出す。
「もう入っていい」
塩の袋を仕舞いながら、〈榊〉が宣言した。
何があったかわからない〈樹〉は、曖昧な表情で頷き、掃除に加わる。志方も箒を動かしながら、視た事を〈樹〉に小声で説明した。
「足の踏み場もないくらいにさ、ギッシリだったんだ。〈榊〉さんが塩撒いたらさ、そこに居たのが消えて、その隙間に箒突っ込んでさ、足の踏み場、作ってくれたんだ」
「へぇ〜。塩でお清めって、マジで効くんだ……スゲー……」
足元を見詰め、〈樹〉が目を丸くする。〈樹〉の目には見えないが、埃を掃いた板敷の上だけを歩き、箒で足場を広げて行く。
順序は前後したが、押入れと天井、壁も箒で掃き清める。埃と共に落ちてきた雑妖は、板敷の上を逃げ回った。部屋の空気が、舞い上がる埃と雑妖の存在で濁る。
マスクがあって、よかった……
粗方、掃き終え、班長が指示を出した。
「次、広い部屋やってから、トイレ、お風呂、台所の隣の部屋。それが終わったら、廊下と台所。最後に玄関……で、いいよね?」
途中から自信がなくなったのか、〈樹〉に問い掛ける。〈樹〉は確信を持って頷き、同意を示した。
縁側がある十二畳間に取り掛かった。
元々この部屋に積もっていた埃に、隣の二部屋から掃き込んだ埃が加わり、箒がだんだん重くなる。逃げ惑う雑妖をなるべく意識しないように、埃だけを見て箒を動かす。
部屋の西側は床の間と、仏壇を置くスペースだった。蝋燭や線香の煤が、壁や天井の隅を黒く染めている。
三部屋分の埃を縁側の手前、陽の当たる場所でひとまとめにして、ちりとりで回収する。班長がゴミ袋の口を広げ、〈樹〉がちりとりを傾けた。ドサドサと予想外に重い音を立てて、この家の汚れが青いゴミ袋に収められた。
「誰も居なくてさ、ずっと閉め切ってたのに、結構、汚れってさ、溜まるもんなんだな」
「そーだねー、ふしぎー」
志方の呟きに、〈渦〉が頷いた。
家財道具が何もない為、三部屋の掃き掃除に、二十分足らずしか掛からなかった。たったそれだけ、物理的な埃を取り除いただけで、雑妖は大幅に減っていた。僅かに残ったモノも、陽の当らない影で縮こまり、部屋の隅にへばりついている。
班長がゴミ袋を縁側の外、日当たりのいい前庭に置いて、元気よく言った。
「じゃあ、次、水周り!」
「気合い入れて行こう!」