■虚ろな器 (うつろなうつわ)-30.警察 (2015年04月05日UP)
パトカーが、志方達の掃除する家に停まる。助手席から、初老の刑事が降りて来た。班長と〈渦〉が立ち上がる。生徒達に緊張が走った。
「徳阿波県警だ。君達、魔道学院の生徒さん? すまんが、先生呼んで貰えんかな?」
刑事が、警察手帳を見せながら言った。
本部を振り返ると丁度、〈双魚〉先生と事務員が、砂利道をこちらに向かって来るところだった。
「せんせー、お巡りさん、来たよー」
元気いっぱい、手を振って〈渦〉が呼ぶ。〈双魚〉先生は、軽く手を挙げて応えた。パトカーとワゴンが、民家の駐車スペースに移動する。ワゴンから降りて来た捜査員が、捜索と現場検証に必要な機材を持って、刑事の後ろに整列した。
「どーもどーも、ご足労戴き、恐れ入ります」
あまり恐れ入っているようには見えない軽い調子で、〈双魚〉先生が刑事達に会釈する。いつの間にか、ワンピースの女性が先生の隣に立っていた。
「こちらこそ、いつもお世話になっとります。えー、それで、早速なんですが、被害者は……どちらに?」
「私の隣に立ってますよ」
刑事と警察官が、息を呑んで顔を見合わせた。ワンピースの女性が、刑事に話し掛ける。
「生き埋めなんです。出して下さい」
「生き埋めにされてて、出して欲しいそうですよ」
先生が復唱し、霊視力のない捜査員達に被害者の発言を伝える。
女性が山林を指差す。
「あっちです。出して下さい」
「おーい、〈雲〉、この家、もう終わったか?」
先生が、班長の方を向いて言った。捜査員と女性から注目を浴び、〈雲〉は緊張に強張った声で答えた。
「えっ、あ、はい、大体……後、その窓だけです」
「そうか。じゃ、採点するから、第一発見者の〈輪〉、ちょっと来い」
「えっ、お、俺ッスか?」
「お前が最初に気付いたんだろ? 刑事さん達に通訳してやってくれ」
突然呼ばれ、志方は困惑した。そもそも、自分が第一発見者である事は、誰も説明しなかった筈だ。それでも一応、捜査員に会釈して、先生の隣に立った。
「じゃ、今、実技試験の最中なもんでしてね、すみませんけど、採点がありますもんで、ちょっと失礼しますよ。事務員さん、付き添いお願いします。昼になったら、この子は休ませてやって下さい。じゃ」
先生は一方的に言うと、さっさと靴を脱いで古民家に入る。捜査員と事務員、志方とワンピースの女性も、呆気に取られて見送った。
「えーと……あのー……私、出して貰えるんですよね?」
先に被害者が我に返り、志方に聞いた。志方は、マスクを外して刑事に言った。
「埋まってる場所に案内してくれるそうです。スコップ持って付いて来て下さいって」
捜査員達が顔を見合わせる。女性は先に歩いて行った。志方がその後を追うと、大人達もついて来た。
妙な組み合わせの一団が、熊蝉が鳴き止んだ昼前の山林を登って行く。
班員は、その一団を不安げな眼差しで見送った。
女性の足元はパンプスだが、軽快な足取りで木立の間を登って行く。幽霊に足はない、などと誰が言い出したのか不明だが、ちゃんと足も視える。枯れ草が積もった山林を歩いても、足音が立たず足跡も付かず、下生えに触れても、草が揺れないだけだ。
思ったより急な斜面を、女性は平地を歩くような早さで進む。
志方が持つ【魔除け】に驚き、雑妖が藪から藪へ逃げて行く。
「あのー……すみませーん……もう少し、ゆっくり……」
事務員の息切れした声が、切れ切れに聞こえた。志方が振り向くと、衰えた肉体が重荷になった事務員は、遙か後方に居た。志方と捜査員は、被害者の速度について来ていたが、初老の刑事も、やや遅れている。
女性も立ち止まって、振り向いた。相変わらず、顔はわからない。
事務員が追い付くと、ワンピースの女性は再び歩き始めた。初老の刑事と事務員は、それぞれ、藍染めの手拭いとハンカチで汗を拭き拭き、道なき道をついて来る。
「ここです」
不意に女性が立ち止まり、赤松の根元を指差した。
その数メートル上は、笹薮が生い茂り、笹薮の向こうは、来る時に通ったアスファルトの県道だ。斜面の上にガードレールと標識が見える。民家からは、直線距離で五十メートル程だが、藪や木立に隠れ、視認し難い。
あぁ、これさ、夜中だったら、近所の人もわかんねーな……
志方は女性の隣に立ち、同じ根元を指差した。
「ここだそうです」
「よし! じゃあ、すまんが……十五分程、事情聴取に付き合って貰って、いいかな?」
初老の刑事は、スコップを持った捜査員達に合図すると、腕時計をちらりと見遣り、志方に言った。
志方は被害者の女性を見た。表情はわからないが、頷いていたので、志方も刑事に頷いて見せた。
「そっちの、ちょっと開けた所で話そう」
刑事は、数メートル横にある笹薮の向こう側を指差した。
刑事、事務員、志方、被害者がそれぞれ岩に腰を降ろす。
「時間がないので、手短に……」
初老の刑事は手帳を捲り、余計な事は一切話さず、志方経由で被害者から必要な情報を聞き出した。
被害者は、刑事の隣に座っているが、刑事は志方に話し掛ける。事情聴取は、捜査員が遺体発見を報告し、刑事が指示の為に中断した他は、滞りなく進んだ。
女性は、「元野笙子(もとのしょうこ)」と名乗った。元野は、住所も職場も徳阿波県と同じ師国の伊与(いよ)県内。生きていれば今頃は、志方の両親より年上の筈だった。
事件は、三十年以上前。残業で帰宅が深夜になった時、巻き込まれた。
信号無視の乗用車が、横断歩道を渡っていた女性を轢いた。携帯電話が普及する前の時代で、元野は救急車を呼ぶ為、公衆電話を探して周囲を見回した。
乗用車は、他に車のない道をUターンし、倒れた女性をもう一度轢いた。車から降りた男が、轢いた女性の脈をみていた。
足が竦み、逃げる事も出来ないのだが、元野の頭は妙に冷静だった。
……あぁ、事故じゃなくて、人殺しなんだ。逃げなきゃ……
男が、疎らな街灯に照らされた目撃者に気付いた。車から何かを持ち出し、元野に近付く。ガムテープだった。男は無言で元野の口を塞ぎ、テープで縛り上げた。
「……で、ここに生き埋めにされたんです」
「あの、元野さん、質問……いいですか?」
「なぁに?」
元野の発言を復唱しながら聞いていた志方は、思わず聞いた。
「その、車に轢かれた人って、どうなったんです? 一緒に埋まって……?」
「わかんない。車に押し込まれたのは、私だけ」
「えっ? じゃ、じゃあ、その人は放置?」
「わかんない。ここに埋められたのは、私だけ」
元野の声が聞こえない刑事が、首を捻る。事務員が、志方に説明を促した。
「〈輪〉君、刑事さんにもわかるように言って」
「あ、はい、あの、ここに連れてこられて、埋められたのは、元野さんだけだそうです」
志方は、刑事の隣を掌で示した。
刑事は漸く、被害者が自分の隣に座っている事に気付き、少し腰を浮かせた。
「伊与県警に問合せて事故の記録を照合する。ありがとう。そろそろお昼だ。行こうか」
初老の刑事が、こめかみを掻いて立ち上がる。元野は刑事の前に立った。
「私も、ついて行った方がいいですか」
「元野さんが、自分もついて行った方がいいですか……って」
志方が被害者の声を伝えると、初老の刑事は首を横に振った。
「普通は、被害者から直接、事情なんて聞けないもんです。お話通り見つかって、身元もお伺いしました。もう十分です。後は我々の仕事です」
「いいんですか?」
「刑事さん、そっちじゃないです、こっち」
隣の岩に向かって話し掛ける刑事に、志方は元野の位置を示した。刑事は向き直って、視えない被害者に頭を下げた。
「ご協力ありがとうございました。犯人は気になるかもしれませんが、成仏して、ご両親を安心させてあげて下さい」
「いいんですか! こちらこそ、ありがとうございました」
志方の目に初めて視えた元野の顔は、微笑んでいた。輪郭がぼやけ、淡い光になって木漏れ日に重なる。木の葉の隙間から射し込む光が、風に揺れて消えた。
三十年以上もここに留まっていた被害者が、聖職者でも霊能者でもない刑事の一言で、この世を離れた。
妄執に囚われ、言葉が通じなくなっていた訳ではないのも、一因だろう。志方は、信じられない物を見た気がした。
霊能者のお祓いが必要なのって、どんなのなんだろう……? って言うかさ、元々普通にいい人で、普通に言葉が通じる普通の人はさ、死んでも普通の人なんだな。だからさ、普通の人が言っても、納得してもらえたら、普通に成仏して貰えるんだ。
滑り落ちないよう、足元に気を付けて下りながら、志方は元野の魂の平安を祈った。