■虚ろな器 (うつろなうつわ)-02.入寮 (2015年04月05日UP)
静かな所だ。
風にそよぐ梢の葉擦れと蝉の声の他は、何も聞こえない。
燦々と降り注ぐ夏の陽光の下には、雑妖(ざつよう)の類も視えない。
学院は四方を山に囲まれている。市街地からは車で約一時間半掛かると聞いた。編入試験は先週、市街地の分室で受け、今日、ここへは分室から担任の魔法で跳んだ。
志方理は、魔法を体験するのも目の当たりにするのも初めてで、何が起こったのか、まだ把握できないでいる。
寮の正面扉は木製の両開き。把手に触れる寸前で手が止まった。文字のようなものが、びっしり彫刻されている。明らかに魔術的な「何か」が施されているように見えた。魔術の知識がない為、それが何なのかわからない。
志方が躊躇していると、扉が内側に開いた。
「高等部の〈輪〉君? 初めまして。寮の管理人は私一人だから〈管理人〉って呼んで」
「……」
扉を開けたのは、作業服を着た赤毛の女性だった。小麦色の肌に化粧っ気はないが、健康的な美人だ。志方よりやや背が高く、力も強そうな逞しい体格をしている。
「君、今日から〈輪〉って言う呼び名なの、わかってる?」
「え、あ! はい! そうでした!」
管理人に言われ、志方〈輪〉は、背中に定規を入れられたように鯱鉾ばって答えた。玄関で靴を脱ぎ、壁の左右にある靴箱の右手側に〈輪〉マークを見つけ、そこに入れる。玄関ホールには新聞と雑誌の棚があり、その前に長椅子がふたつ置いてある。棚の奥、突き当りは管理人室だった。
「荷物は先に届いてるから、自分で片付けて。部屋は三階」
管理人はホール右手の廊下に入り、寮の中を案内しながら、規則や注意事項を手短に説明した。風呂、トイレ、食堂、廊下、階段、洗濯場が共用スペースで、一週間毎に掃除当番が回って来る。部屋は中等部から個室。自室は各自で責任を持って清掃する事、云々。
「学校も寮も結界があるから、安心して。あ、それと、ケータイは一日一時間、夜八時から九時まで。それ以外は預ける決まり。はい」
既に〈輪〉マークの札が掛かったドアの前で、管理人が手を差し出した。志方は、綿パンの後ろポケットから携帯電話を取り出し、ロックを確認してから、その手に乗せた。
「お昼は十二時から一時。遅れたら何も食べられないからね。じゃ」
管理人は、志方〈輪〉の手に輪マークのキーホルダーが付いた鍵を渡すと、さっさと行ってしまった。
志方は、ドアと鍵を交互に見て、鍵穴に鍵を差し込んだ。同じマークのドアは、カチリと小気味良い音を立て、問題なく開いた。
三階の東奥から三番目、南向き四畳半程の部屋だ。右手の壁に向かって机。机の上に教科書と筆箱サイズの細長い木箱。反対側は壁ではなく収納で、両開きの扉になっていた。
部屋の真ん中に、実家から送られた段ボールが三箱積んである。窓際にベッド。その上にビニール袋に入ったままの制服と、体操服が重ねられていた。
ドアを閉めると、生徒達が出払っているせいか、部屋の中も静かだった。
雑妖、雑霊の類も居ない。
窓を開け、空気を入れ換える。
志方理は、生まれて初めて「独り」になれた事にホッとした。
ここなら、薄汚い雑妖に邪魔されないで、勉強とかに集中できるな。あぁ言うのから身を守る方法も、教えて貰える……んだよ……な?
一番上に乗っていた「除祓(じょふつ)概論」の教科書を手に取り、パラパラと捲る。所謂、お祓いの理論についての教科らしい。霊的な位階や霊魂の性質等、どこかで断片的に聞いたような話が、体系立てて説明されている。ふと「低級霊」の文字が目に留まり、小学校時代の苦い思い出が甦ってきた。
幼稚園までは、何の疑問もなく、皆も自分と同じモノが視えている、と思っていた。会話が噛み合わず、どうやら他の子には視えていないらしい、と気付いてからは、視えたモノについて、黙っている事にした。
志方自身は、それで終わったと思っていたが、皆はそうではなかった。
小学校に上がると、それをネタにからかわれるようになった。それを見た他の幼稚園出身者から電波扱いされ、いじめられるようになった。
「志方ー、今日もゆーれー居るー?」
「落ち武者とかぁ?」
「キャー! こわーい! キャハハッ」
視る力を持たない者達の嘲る声が、耳について離れない。
志方の家系には時折、理のような霊視力を持つ「見鬼(けんき)」が産まれる。
現在は理以外に見鬼はおらず、何代か前の親戚に居たらしい、と伝わっているだけだ。誰も理と同じ視界を持たず、誰にも理の気持ちをわかって貰えなかった。
その内、祖父母が寺に預けようと言いだしたが、母が強硬に反対し、そのまま地元の公立小中学校に通い、高校も近所の普通科に進んだ。
普通の学校では、見鬼への配慮は、望むべくもなかった。
イヤな思い出に、気持ちが沈みこんで行く。
志方は大きく深呼吸して、荷解きに取り掛かった。段ボールの荷札とガムテープをベリベリと剥がす。
この春、父の転勤で関東地方の縦浜(たてはま)県から、師国(しこく)地方の徳阿波(とくあわ)県への引越しが決まった。父が仕事の都合で先に移動し、母と理は、母の仕事の引継ぎが終わってから、引越した。
地元の人から話を聞いた父が、転校先の候補に国立魔道学院を挙げた。
理自身は、普通の高校に何となく馴染みつつあった為、どちらでもいいと思っていたが、母は、是非ここにしなさい、と強く勧めた。
ネットで一般入試の偏差値を調べて、絶対に無理だと思った。母があまりにも強く勧める為、逆に引いてしまったせいもある。
魔力や霊視力がある場合の偏差値は、検索しても出てこなかった。
それでも、母が理の返事も待たずに手続きした為、仕方なく編入試験を受けた。
ペーパーテストの前に魔力と霊視力の測定があった。
魔力は、計測機器のセンサ部分を握るだけ。案の定、何の反応もなかった。
霊視力は、水晶球に閉じ込められたモノを当てる簡易テストだった。中身はカナリアの霊で、鳥籠に居るつもりで暢気に囀っていた。
文部科学省から来たという試験監督は、その結果を見て、試験問題を差し替えた。
元の問題のレベルがどの程度だったのか、今となってはわからない。先程の事務員の話で、試験科目がひとつ減っていた事がわかった。
理は、恐らく相当に「下駄を履いた」状態で編入試験に合格したらしい。転校前に通っていた普通科受験の方が、余程難しかった。
何はともあれ、現在、志方理は〈輪〉として、この、人里離れた山奥に建つ国立魔道学院に居る。
霊視力を周囲に嘲られ、オカルト系の事物を毛嫌いしている自分が、よりによってこんな所に居る事に、変な笑いが込み上げてくる。
傍から見れば、頭がどうにかなってしまったと思われるだろう。それでも、手を休める事なく荷物の整理を続けるが、変な笑いも止まらなかった。
事務員の説明が、何度も頭の中で繰り返される。
「卒業後は、適性を活かした専門職や、公務員、指定校推薦で国立大学の魔道学部への進学等、様々な進路に進みます」
適性を活かした専門職って何だよ? 俺、単に視えるってだけでさ、お祓いとか、何にも出来ないのに。
この後、どんな大学を出ても、履歴書の学歴欄に「国立魔道学院卒」と書けば、当然、そう言う能力を期待されるだろう。
もう普通のまともな会社には就職できない。こんな事なら、視えない振りをして落ちておけばよかった、と今更苦い後悔が胸を圧迫する。
暗澹たる思いに、思わず手が止まった。
俺の人生……詰んだ。無理ゲー過ぎる。つーかさ、魔力も霊視力もないのにここに来た奴ってさ、勉強できる癖にバカなんじゃねーの? こんなとこ出て何者になる気だよ?
荷物を片付け終わる頃には、笑い疲れて無表情になっていた。
時刻は午前十一時四十五分。昼食には少し早い。
一人で居ると、暗い考えに精神を蝕まれそうな気がして、思わず身震いした。恐怖を振り払うように私服を脱ぎ捨て、真新しい制服に袖を通した。
机の前に時間割が貼られている。
五時間目は数学、六時間目は共通語だった。教科書と新品のノート、筆記具を前の高校の通学カバンに詰め、廊下に出た。
食堂には、調理師さんか誰か居るだろう、と期待を込めて、自室のドアに鍵を掛けた。
「片付け終わった? おなかすいてる? でも、あんまり早く行くと、給食のおばちゃんに配膳手伝わされるよ」
廊下の端から、管理人に声を掛けられた。肩から力が抜ける。生身の人間の温かい声に涙が零れそうになったが、情緒不安定過ぎるだろう、と他人事(ひとごと)のように醒めた自分が、それを止めた。
「あー、そうそう、〈匙〉先生が今朝、教室の場所言うの忘れてたって。五時間目は三階の西の端、高等部一年生の教室で数学だって。用意できてる?」
「あ、はい、一応」
「流石、高校生。手が掛からなくて助かるぅ。ちょっと時間あるし、何か質問あれば、どうぞ」
「えっ? うーん……まだ、何がわかんないのか、わかんないんで、いいです。何聞けばいいか、わかんないですし……」
急に聞かれ、返答に詰まった。
志方は、魔法文明圏の習慣を何も知らない。名乗るなと言われて困惑し、今も頭の隅に戸惑いが残っている。勉強も、教科書を見ても何をどう学ぶのか、想像できない。生活の事も、学校の事も、何もかもがわからなかった。
「そう。まぁ、何かあったら遠慮なく言って」
管理人は、ひらひらと手を振り、先に階段を降りて外に出た。