■虚ろな器 (うつろなうつわ)-01.転入 (2015年04月05日UP)

 「ここでは、絶対に本名を名乗ってはいけない。いいね?」
 「は?」
 職員室兼事務室で、担任の男性教諭が開口一番に言った。志方理(しかたおさむ)はポカンと口を開け、動きを止めた。担任の隣に座った事務員が、一枚の書類を差し出す。父の筆跡で実家の住所や緊急連絡先等が書かれていた。その一番下に、小さな絵が並んでいる。
 「この中から徽(しるし)をひとつ選んで下さい」
 「へ?」
 訳がわからず、事務員と担任教諭の顔を見比べる。二人の肩越しに、職員室の壁に貼られた注意書きが目に入った。

 科学文明国の常識は、魔法文明国の非常識。逆もまた然り。

 担任と事務員が顔を見合わせ、事務員が頷いて説明を始めた。
 「この学院の事をよく知らないまま、転校してきたんですね。学校案内のパンフレットにも書いてあるのですが……」
 ここ、国立魔道学院は、日之本帝国で生まれた「魔力を持つ子」の為の教育機関だ。全寮制で、幼稚舎から高等部まである。今年、開校十周年を迎えた。
 石油危機後、クリーンエネルギーとして、魔術への関心が高まった。
 政府の方針で、魔法文明と科学文明を折衷する「両輪の国」との交流が、貿易を中心として盛んになった。それに伴い、国際結婚も増加。しかし、科学文明国である日之本帝国には、魔力の制御方法を教えられる教育機関がなかった。
 家庭学習だけでは限界があり、日之本帝国生まれで魔力を持つ子の「魔力の暴走事故」が発生。魔道事故は年々増加傾向にあり、「魔力は持つが、魔法を使えない者」への支援が、社会的な急務となった。
 十二年前に漸く、「魔力測定」が三歳児検診の必須項目となった。その翌年に学院が開校。本邦初の魔道事故から実に半世紀近くの歳月を要したが、魔力を持つ子は五歳から親元を離れ、魔力の制御方法を学ぶ事が義務付けられた。
 開校前に成年に達した者への対策として、住民健診や職場の健康診断にも魔力測定が導入された。成人は学費免除の他、元の職場での地位保全と奨学金の支給で、生活を保障された。成人への対応は概ね終了したが、相当数の未受診者がいる事から、現在でも門戸は閉ざされていない。
 「ですので、今は大人の学生さんはいません」
 「はぁ……」
 児童、生徒の大半が、魔法文明国か両輪の国出身者の血を引いている。
 魔力を持つ子は学費が免除され、無試験で五歳から幼稚舎に入学。魔力はないが霊視力を持つ子は、試験に合格すれば幼稚舎から入学可能だ。魔力と霊視力を持たない子にも、高等部のみ門戸が開かれている。
 高等部の外部入試では、国数理社共通語の他、魔術に関する知識も問われる。霊視力を持つ子は、魔術知識の試験は免除される。
 卒業後は、適性を活かした専門職や、公務員、指定校推薦で国立大学の魔道学部への進学等、様々な進路を歩む。
 本邦と魔法文明圏を繋ぐ貴重な人材である為、寮を含む学院内での生活は、本邦と魔法文明圏双方の習慣を取り入れ、相互理解に努める。
 「それが、後ろの貼り紙なんですけどね」
 「ほぉー……」
 志方理は、事務員が振り返って示した貼り紙を読み返し、溜息と共に頷いた。
 霊視力を持つ志方は、高等部一年の編入試験で、魔術知識の試験を免除された。もし、その科目も受験していれば、合格しなかっただろう。
 「純粋な魔法文明国も両輪の国も、魔法文明圏の国々では、本名を名乗る習慣がありません。家紋や称号、肩書等で呼びます」
 「へー……」
 志方は、事務員に渡された書類に目を落とした。

 下記の中からひとつ徽(しるし)を選んで下さい。それがあなたの学院内での呼称になります。
 ※家紋がある方は、家紋が呼称になります。家紋の写しを学校事務に提出して下さい。

 「徽」候補の絵は五つ。桜の花、手桶、奥歯、円、剣。
 書類から顔を上げ、困惑にうわずり裏返った声で質問する。
 「……ここから、選ぶんですか? 今……すぐ?」
 「一応、姓だけは名乗ってもいい事になっていますが、なるべく言わない方がいいので」
 事務員からは、ずれた答えが返ってきた。担任を見ると、自分の胸に着けた缶バッジを指差して笑った。
 「ここだけの呼び名だからな。勘でテキトーに選んでいいぞ。先生はスプーンで〈匙(さじ)〉だ。こう見えても一応、魔法使いだからな」
 志方はもう一度、書類と睨めっこした。
 桜の花……は、女の子っぽいからダメ。バケツ? 何で? 奥歯って何だよ!? 歯医者じゃねーっての。ただの丸に……剣、か。剣は……ないな。厨二病過ぎる。こんなんで三年も呼ばれるとかさ、何の罰ゲームだよ。碌な物がねぇ……
 結局、消去法で残った「ただの円」を選ばざるを得なかった。何の装飾もない、コンパスで描いたような、ただの丸印だ。
 渋々、書類を指差し、二人に告げる。
 「じゃあ、これでお願いします」
 「ほう。〈輪〉か。いいセンスだ。呼称は〈わっか〉だな。宜しく」
 「それでは、登録の手続きを行います」
 初老の事務員は、志方の手から書類を受け取り、自分の席に戻った。担任の〈匙〉先生が、立ち上がりながら窓の外を指差す。
 「寮はあっちの建物。管理人さんに案内を頼んであるから、指示に従うように。あ、くれぐれも本名を言うんじゃないぞ。君は今日から〈輪(わっか)〉君なんだから。もうすぐ一時間目が始まるけど、荷物の片付けがあるし、授業は昼からでいい。ゆっくりしててくれ」
 ひょろりと背の高い〈匙〉先生は、一方的に説明すると、プリントの束を抱えて慌ただしく職員室を出て行った。
 柱の時計は八時二十九分を指している。
 事務員に渡された 学校案内を開き、地図のページを確認する。
 校舎は敷地の南端にあった。グラウンドを挟んで北側に寮。東に職員宿舎。校舎の西隣に理科室などが入った特別教室棟が建っている。プールは寮と特別教室棟の間、敷地の北西にある。
 この時期、体育は水泳の筈だが、今の時間はどの学年も校舎で座学なのか、職員室の窓から辛うじて見えるプールは無人だった。
 外に出ると、七月の太陽は早くもギラギラと照りつけ、額に汗が滲んだ。校庭を突っ切り、最短距離で寮の影に入る。庇の影に入れば吹く風は涼しく、すぐに汗が引いた。

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