■虚ろな器 (うつろなうつわ)-16.練習 (2015年04月05日UP)

 志方は自室に戻ってすぐ、呪符魔術の教科書を開いた。〈樹〉が付箋を貼ってくれた箇所をじっくり読み返す。
 教科書には、素の状態の【灯】の呪符と、補助線や書き順が記された解説版の【灯】が並んで載っていた。書く際の注意点も事細かに書いてある。
 まず、シャーペンの芯を引っ込め、書き順通りに何度もなぞる。小学校の「ひらがなれんしゅうちょう」以来の懐かしい基礎練習だ。三十分程無心で続け、一旦、シャーペンを置いた。
 ルーズリーフを羊皮紙と同じ大きさに切り、芯を出したシャーペンで【灯】を書き込む。何度も教科書と見比べながら、慎重に手を動かす。滑らかな紙と書き慣れた筆記具で、罫線がある分、書きやすかった。それでも、できあがった【灯(仮)】は、時間が掛かった割に歪(いびつ)で、線もよれよれ、頼りない代物だった。
 書き間違いがない事を確認すると、二枚目のルーズリーフの切れ端に手をつけた。

 途中、〈雲〉と〈樹〉に風呂に誘われて中断したが、戻ってからは、順調に練習を進められた。切れ端十六枚に【灯(仮)】を書いた所で、手を止める。
 シャーペンと【灯(仮)】を片付け、引出しから純白の小皿と硝子棒、木製の小匙を取り出す。
 黒い粉が入った即席の紙袋を慎重に開けた。粉をぶちまける事なく無事に開けられ、ホッと息を吐く。教科書通り、小匙半分だけ粉を掬い、皿に移した。
 血が詰まったソース入れをよく振って、そっと赤い蓋を捻る。容器を傾け、中身を小匙で慎重に受け止める。小匙二杯分の血を皿に足し、すぐに蓋を閉めた。
 水増しされた鶏の血と、種類不明の魔獣の消し炭を、こぼさないようにゆっくりかき混ぜ、呪符用のインクを調合した。
 銀のペン軸にペン先を付け、〈樹〉に教わった通り、ペン先の錆止め油をティッシュで取り除く。ペン先にインクを馴染ませ、ルーズリーフの切れ端に試し書きしてみた。思ったより書き味がいい。
 羊皮紙を一枚取り、改めてペン先にインクを付けると、居住まいを正した。

 ひとつ深呼吸して、羊皮紙を見詰める。

 何度も書いた呪符の完成図を、頭の中で羊皮紙に重ね合わせる。志方は迷いなくペンを動かした。
 紙の上三分の一に「月」を表す印を描く。
 肉眼で見える月とは、似ても似つかない魔術的な象徴が、魔力を持たない志方の指先から紙の上に生み出される。
 その下に、遠い昔、魔法文明の全盛期に世界中で使われていたとされる「力ある言葉」を書き込む。
 「闇照らす夜の主の眼差しの淡き輝き今灯す」
 日之本帝国語に訳すと、そう言う意味になるらしい。
 一枚書き上げ、ペンを置いた。
 長く深い息が漏れる。目覚まし時計に目を遣ると、深夜一時十分を指していた。
 そろそろ眠らなくては、明日に障る。ここの授業は密度が高く、前の高校と同じつもりで居眠りしようものなら、あっと言う間に置いて行かれる。唯でさえ、中途入学の遅れがあるのだ。これ以上遅れて、皆の足を引っ張る訳にはいかない。
 手早く片付け、机の上に【灯】一枚残してベッドに潜り込んだ。

 朝食の後、志方は〈雲〉に完成した【灯】を見せた。
 「書いてみたんだけどさ、どう……かな? 合ってる?」
 〈雲〉は志方の呪符を受け取ると、じっくり確めた。志方は固唾を飲んで反応を待つ。

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