■虚ろな器 (うつろなうつわ)-36.人形 (2015年04月05日UP)
「あー、大した事ない。容器に惑わされるな。よく視ろ。あれの中身は、残留思念を食って太った雑妖だ」
「えぇッ!?」
面倒臭そうに説明され、生徒達は驚いた。
班長が、おずおず口を開く。
「あの……でも……」
「お前ら、どうせ、【魔除け】をアテにしきって、油断してたんだろ」
「えへへ……」
魅入られた〈渦〉が苦笑し、ちょろりと舌を出した。首に巻いた銀条も、紫の舌を出す。
「〈輪〉、お前はビビり過ぎだ。気合い負けすんな」
「は……はい!」
名指しにされ、志方は思わず背筋を伸ばした。〈火矢〉が小さく手を挙げた。
「先生、質問、いいですか?」
「何だ?」
「残留思念って、ここに何のどんな念が、残ってたんですか?」
「ん? 知りたいのか? ホントに? 後悔しても知らんぞ?」
先生は底意地の悪い笑顔で、生徒達の顔を順繰りに見た。班長が勢いよく首を横に振る。
「いえっ、いいです。遠慮します!」
「あっそ。じゃ、見ててやっから、さっさと片付けろ。」
先生に背中を押され、班長が離れに入った。〈榊〉が箒を拾って後に続く。〈火矢〉と〈樹〉も雑巾を握りしめ、震えながら足を踏み入れた。
「えーっとー……、お水、汲んで来るねー」
少し考え、〈渦〉はバケツを手に、広場へ走った。
「ホラ、〈輪〉もサボってないで、さっさと手伝え」
志方が入口で躊躇していると、先生に背中を押され、離れに押し込まれた。
上り口に固まって、小声で相談を始める。
「えーっと……どうしようか?」
班長が四人を見回し、最後に、部屋の奥に立っている人形を見た。
「先にあれ、どうにかしねーと、怖くて掃除どころじゃねーよ」
「……だよ、ね」
「納戸に蹴り込んで戸を閉めたのだが……奴め、存外、よく動くな」
〈樹〉は人形から目を逸らし、〈火矢〉は俯くように頷いた。〈榊〉が人形を睨む。志方は何も言えず、班長を見た。モップを持つ手が震える。
班長はポーチを探り、残った呪符を取り出した。班長の最後の手持ちは【防火】だった。折角だからなのか、〈雲〉は玄関脇の壁に貼り付け、発動させた。
「残留思念でパワーアップしてるんなら、それを何とかすれば、弱体化できるんじゃないか?」
視えない〈樹〉が冷静に意見を述べ、志方を見た。残留思念や穢れを祓う【退魔符】は、志方のポーチに入っている。
志方はモップを壁に立て掛けた。手が震え、ファスナーが噛んで、開けられない。もどかしさにイライラしながら、何とかポーチを開けた。
【退魔符】を引っ張り出すと、塩の袋が落ちた。慌ててしゃがんで、拾い上げる。
「うわぁあぁあぁぁあッ!」
いつの間にか、人形が志方達の足元に来ていた。
志方は尻餅をついたまま、後ろ手に這って距離を開けた。軽い脱水を起こしていなければ、漏らしている所だ。今日一日で一体、何回腰を抜かしたのか。
〈榊〉が箒を振りかぶり、ゴルフのティーショットの要領で、フルスイングした。人形が宙を舞い、納戸の木戸、お札の跡に激突した。
「ナイスショット!」
先生が、暢気に拍手した。
そ……そんな豪快な……ってか、あの化け物、今のでマジギレしたよな? このまま残したら、マジで呪われる……!?
志方は【退魔符】を握りしめ、勢いよく立ち上がった。体の芯が熱く、動悸が激しい。恐怖が振り切れてしまったのか、震えは止まっていた。ゆっくりと深呼吸し、気を鎮める。
床に落ちた市松人形が、むくりと起き上った。
班長達が息を呑む。
起き上った人形が、ゆっくりとこちらへ歩む。
志方は何度も詰まりながらも、古く力ある言葉を唱え、呪符の力を開放した。
「えーっと……撓(とお)らう灼熱(しゃくねつ)の御手(みて)以(もっ)て、焼き祓え、祓い清めよ。
大逵(たいき)より来たる……水の御手、洗い清めよ、祓い清めよ。
日々に降り積み、心に澱む塵芥、薙ぎ祓え、祓い清めよ。
夜々に降り積み、巷に澱む塵芥、洗い清めよ祓い清めよ。
太虚(たいきょ)を往く風よ、日輪(ひのわ)翳(かげ)らす雲を薙ぎ、月を翳らす靄(もや)を祓え」
呪符から、志方達にも視えない力の波が、ゆっくりと広がった。他に何もない部屋をじわじわと満たし、第一の波が市松人形を呑み込んだ。
人形の歩みが止まる。志方の視界の端で、〈樹〉が【魔滅符】を取り出した。
志方は【退魔符】の両面テープを剥がし、一気に市松人形との距離を詰める。人形は、力の第二波から顔を背けた。志方は躊躇なく、市松人形の白い顔に呪符を貼り付ける。呪符越しに触れた人形は、氷のように冷たかった。勢いのまま、人形が倒れる。
「清き陽よ、烈夏の日輪(ひのわ)、澱み裂き、魔の目貫け、魔を滅せ
不可視(みえず)の焔光(えんこう)、焼き焦がせ、罪穢れ討ち、碍魔(がいま)を滅せ」
呪符の力を開放しながら、〈樹〉が駆け寄った。
人形は逃れようと、手足をばたつかせる。人形に巣食った雑妖が、物質の器を動かす力を失いつつあるのか、立ち上がれず、もがいていた。
雑妖入りの人形が、退魔の波の中心で溺れる。〈樹〉が、人形の頬に【魔滅符】を直接、貼り付けた。
市松人形が甲高い悲鳴を上げ、体を仰け反らせた。
生身の人間ならば到底、息が続かない長い長い悲鳴と共に、人形の口から、黒い靄が立ち昇る。呪符から旋風が巻き起こり、靄を外へと吹き払う。靄は傾き始めた夏の日に触れ、音もなく消えた。
靄が消えると、人形は力を失い、ぐったりと動かなくなった。
二枚の呪符が、灰になる。
「あー、はいはい、ご苦労さん。それ、もう片付いたから、さっさと物理掃除もしろよ」
先生の間延びした声に気が抜け、へたり込みそうになる。まだ後始末があるので、倒れる訳にはいかなかった。
班長が、灰だらけの市松人形を指差す。人形の口は、悲鳴の形のまま固まっていた。
「あの……先生、これは……」
「ん? あぁ、それ? タダの物体だから、普通に捨てていいぞ」
先生の答えは素っ気なかった。〈榊〉が人形を鷲掴みにして、離れを出る。
「また、何か入るとイヤなんで、燃やします」
「野焼きは、県の条例で禁止されてるんだけどな……ま、いっか。やるんなら、さっさとやれ」
えっ? 気を付けるポイント、そこ? マジで? プロ、ドライだな……
志方が呆気に取られる。
先生はひらひらと手を振って、母屋を採点しに行った。
「二人とも疲れたろ? 後、やっとくから、外で休んでていいよ」
班長に言われ、〈樹〉と志方は、よろよろと外に出た。〈渦〉が、真面目に黙々と離れの窓を洗っている。
〈榊〉が箒の柄で、地面に円を描いた。中心に【炉】を置き、その上に人形を立たせて、呪符の力を開放する。
呪符を中心に円(まる)く炎が広がり、振袖に燃え移った。赤い花模様が、炎に呑まれて揺れる。瞬く間に顔が煤け、髪が焦げた。辺りに人間の髪を焼くような臭いが立ちこめる。
窓を洗い終えた〈渦〉が、人形の上に手をかざし、呪文を唱えた。火勢が増し、青白い炎が人形を包む。ものの数秒で、雑妖の器だった人形は、跡形もなく灰になった。
実質、一部屋の離れ屋は、班長と〈火矢〉の二人でも、すぐに片付いた。先生は、まだ母屋を点検している。
一羽の鴉が、広場の上空で鳴いた。尋常ではない鳴き方だ。鳴くと言うより、泣くと言った方がいい。鴉はそのまま、本部の方角に飛んで行った。
「あれっ? 玄太ちゃん? 何騒いでんのー?」
「A班も……何かあったのかな?」
〈火矢〉が形の良い眉を寄せた。