■虚ろな器 (うつろなうつわ)-28.報告 (2015年04月05日UP)

 大物が居たからか、トイレの中に雑妖は居なかった。
 引き続き、班長が手洗い場も水で洗浄する。〈榊〉が手洗い場に入り、塩を撒いた。便器にチラリと目を遣り、戸口から関取のように塩を投げ込む。何を見たのか、表情が強張っていた。〈樹〉が箒を持って入り、〈榊〉は入れ違いで廊下に出た。
 掃除を仕上げた〈樹〉が柏手を打つと、他の班員が清めた時と同じく、清廉な空気に変わった。これなら、夜中に来ても恐くない。
 「じゃ、報告に行こうか」
 手分けして襖を元に戻し、最後の一枚を嵌め込んだ班長が、晴れ晴れと言った。
 玄関先で待っていたワンピースの女性が、手を振って生徒達を見送った。
 日に焼けた砂利道が、足元からも六人を炙る。
 本部に戻り、庭先に口を括ったゴミ袋を置いた。志方はマスクを外し、ジャージの袖で汗を拭う。会社関係者が、縁側からB班に会釈した。
 「おう、お前ら、巧い事やったな」
 「お疲れ様」
 縁側から腰を上げ、〈双魚〉先生が六人をにこやかに迎える。〈白き片翼〉先生が、紙コップに麦茶を注いだ。
 紙コップには、油性マジックで徽が描かれていた。各自、自分のコップを受け取り、一気に飲み干す。水分がそのまま出るのか、たちまち汗が噴き出した。
 生徒達が喉を潤し、紙コップを縁側に置くのを待って、〈双魚〉先生は歩きだした。
 「じゃ、行こうか」
 〈双魚〉先生の後に続いて、今来た道を引き返す。

 どう評価されるのか。

 生徒達が砂利を踏みしめる足は、重かった。
 本部から三軒隣なので、すぐに着く。〈双魚〉先生が、砂利道から古民家の外観を見て、口を開いた。
 「屋根の掃除がまだだな。陽が当たるから、塩は要らんが……」
 「えッ……!? 屋根も掃除するんですか?」
 班長が見上げた。班員も驚いて屋根を見る。
 そんなの、聞いてねーぞ。
 屋根の上には、落ち葉が積もっていた。
 「落ち葉や土埃が溜まってると、湿気で屋根が腐り落ちる原因になるからな」
 「あー! やります、やります!」
 〈火矢〉が悲鳴に近い声を上げ、〈樹〉がバケツを持って台所に走った。
 班長が、汲取り式トイレと糸瓜の化身について、〈双魚〉先生に説明する。
 「先生、ここのトイレ、汲取り式なんですけど……」
 「あぁ、知ってる。明日、業者が作業に来るから、貯留槽の中は、掃除しなくていいぞ」
 バケツに水を汲んで〈樹〉が戻って来た。〈火矢〉が呪文を唱え、水を屋根に走らせる。
 「あの、この家のトイレ、妖怪が居て、トイレの中身に執着してるんです。あの、それで、〈輪〉君が説得してくれて、今、家の裏に居るんですけど……」
 「あぁ、糸瓜な。気にしなくていい。業者に霊視力がなきゃ、気付かんし、害はない」
 生徒達は、ホッと胸を撫で降ろした。
 「あ、そうだ、そこにあるボロボロの物置、どうしましょう?」
 志方は、駐車スペースの物置の件を聞いてみた。〈双魚〉先生はあっさり言った。
 「あぁ、それは後で丸ごと捨てる。置いとけ」
 「あの、それから、この人なんですけど……」
 「すぐ、そこで……生き埋めにされたんです」
 班長の声に被せて、本人が説明する。〈双魚〉先生は特に表情を変える事もなく、ワンピースの女性を視た。
 「ふーん。それで?」
 「あっちに埋まってるんです。出して欲しいんです。帰りたいんです」
 女性は、家の東側に広がる山林を指差した。
 指差した辺りから隣家までは、二十メートル程離れている。
 「ふーん。ま、事件だからなぁ。素人がヘタに触る訳にいかん。警察呼ぶわ。お巡りさんを案内してやってくれんか」
 「ありがとうございます! ありがとうございます!」
 女性は何度も頭を下げた。〈双魚〉先生は軽く会釈を返し、玄関から家に入った。靴を脱いで上がり、振り返る。
 「お前ら、そこで待ってろ」
 生徒達は、先生の背中が廊下に奥に消えるのを、無言で見送った。

 志方は、ワンピースの女性が、言葉の通じる常識的な人である事に安堵した。
 大抵、その辺を漂う者達は、自分の要求や怨嗟を一方的に口にするだけだ。こちらが耳を貸そうが、無視しようがお構いなしに、同じ言葉を繰り返す。
 志方は、亡くなった時の無念や執着が、あの人達にそうさせるのだろう、と思っていたが、違うような気がしてきた。
 生者の中にも、人の話を聞かず、自分の要求をごり押しして、出来ない事情を説明しても、食い下がって来る残念な人もいる。
 その要求が満たされない事を理解すると、諦めるのではなく、叶えてくれない周囲の人間を理不尽に憎み、無能と嘲り、ケチ呼ばわりして蔑む。それを窘める人をも、逆恨みして罵るのだ。
 実は「悪霊」ってさ、自分を殺した犯人を恨んでるとかじゃない限り、生前から、我儘や無茶振りで周囲を困らせる嫌われ者だったり、クレーマーだったりするんじゃないか?
 糸瓜の化身……所謂、妖怪ですら、志方の説明に耳を貸し、〈榊〉の助言に従った。
 志方は、数日前に〈樹〉が言った「ヤンキー」の説明に、改めて納得した。
 こちらが関わらないようにしても、わざわざ絡みに来て不幸を撒き散らすようなのは、人でも雑妖でも、やはり、元々碌なモノではないのだ。

 ガタガタ音が聞こえる。先生が、視終わった場所の窓や雨戸を、閉めているらしい。
 「次、どこ行こうか?」
 班長が地図を広げた。
 砂利道の山側にもう一軒、麓側に四軒ある。
 「さっき、家の裏に行ったら、いっぱい居たから、山に面してるお家は、午前中にやっといた方がいいんじゃない?」
 屋根の清掃を終えた〈火矢〉が、木立に目を遣る。
 すっかり落ち葉や土埃が取り除かれ、燻瓦が夏の日差しを浴びて黒光りしていた。
 「ここで一時間ちょっと掛かったからな……」
 「夕方になると、あいつら、活気付くし……」
 腕時計を見て〈樹〉が言い、志方は足元の影に目を落とした。
 この村はどの家も南向きで、日当たりがいい。道の麓側の家々は一段低く、斜面を背にして建っている。その更に下は棚田だが、何年も耕作を放棄されているらしい。雑草が生い茂り、所々、若木も生えていた。
 茂みの影に雑妖が蠢いているが、わざわざ、日当たりのいい斜面をよじ登って来るとは、思えない。
 「じゃあ、この隣の家をやって、その次は広場の隣から順に……って事でいいかな?」
 「うーん……時間が遅くなれば、何かとあれだ。本部から離れた場所からにせんか?」
 班長の提案に〈榊〉が異議を唱えた。確かに、本部に近い方が、何かあっても心強い。
 「そうだね、じゃ、こう、ぐるっと一周する感じで、この家の隣行って、その下行って、最後、広場の横で」
 班長が地図を指でなぞる。志方達は覗き込んで、口々に同意した。
 先生が、縁側の雨戸を勢いよく閉める。半分閉めた所で手を止め、生徒達を呼び集めた。
 「お前ら、ここ視てみろ。戸袋」
 「ひぁあぁぁっ!」
 〈火矢〉が尻餅をついた。〈樹〉を除く四人も、顔を引き攣らせて後退(あとすさ)る。
 〈榊〉が〈火矢〉を助け起こしながら、〈樹〉に状況を説明した。
 「戸袋の中に……めっ……目が……ぎっしり、詰まっておる……」
 「うぇっ!?」
 想像した〈樹〉が戸袋から離れた。
 「お前ら詰めが甘いぞ。こう言う所にこそ、居るんだからな。ここ、ちゃんとやっとけ」
 「は……はい、すみません」
 班長が恐縮して頭を下げ、水を起ち上げる。先生は奥に引っ込んだ。
 「びっくりしたねー」
 〈渦〉が白蛇に話し掛けた。白蛇銀条は、聞いているのかいないのか、〈雲〉が戸袋を洗浄する様子をじっと見詰めている。
 水は鼠か何か、小動物の糞を洗い流し、真っ黒になって戻って来た。
 「結構、汚れてるもんなんだなー」
 ゴミ袋で汚れを受け止めながら、〈樹〉が言った。清水に戻った水塊に〈火矢〉が片手を突っ込んだ。
 「何してんのー?」
 「ここ、狭いから、塩撒けないでしょ? 塩水で流せばマシかな、と」
 「あー、そーだねー」
 〈火矢〉が握っていた塩が溶け込む。〈雲〉は頷いて、もう一度、戸袋に水を流した。入念に隙間を這わせ、ゴミ袋に塩を吐き出す。
 縁側に戻ってきた先生が、戸袋を覗き込んで軽く顎を引き、雨戸を閉める。
 「ま、こんなもんだろ。次、行っていいぞ」
 生徒達は、バケツや箒等を手分けして持った。

 玄関に回った先生が三和土に降り、ウェストポーチから見た事のない呪符を取り出す。
 小声で呪文を唱えると、肉眼には見えない光の壁が展開した。
 両面テープの剥離紙を取り、玄関の引戸の上に呪符を貼り付ける。
 先生がもう一言、志方が聞いた事のない言葉を唱えると、壁が大きく広がった。家の前面を覆い尽くすと、角で曲がり、側面にも広がる。生徒達が見守る中、淡く薄い光の壁が、お中元の包装紙のように家全体を包み込んだ。
 「いっちょ上がり。んー……まぁ、天井裏に、まだ残ってるが、素人が手を出すと、家を傷めるからな、やらんでいいぞ」
 「あ、はい、ありがとうございます」
 先生は玄関から、「B」と印刷された紙を剥がした。班長がぺこりと頭を下げる。志方達もつられて頭を下げた。
 「A班はもう二軒目やってるぞ。さっさと次、行けよ」
 「えっ……あッ! は……はいッ!」
 班長が箒を手に、慌てて駆け出す。志方達も、掃除用具を手にして後を追った。走り出してすぐに汗が噴き出し、さっき飲んだ麦茶が流れ出た。
 ……脱水、熱中症、待ったなしかよ。

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