■虚ろな器 (うつろなうつわ)-31.休憩 (2015年04月05日UP)
志方達B班が本部に戻ると、A班は既に昼食を始めていた。縁側のある部屋に茣蓙(ござ)を敷き、おにぎりを食べている。
会社関係者は折詰弁当を食べたのか、空き容器を前に麦茶を飲んでいた。
初老の刑事は、先生達に礼を述べると、すぐ現場指揮に戻った。
事務員が簡単に状況を説明する。会社関係者も、腰を浮かせて話に加わった。事件の内容については、刑事に口止めされた為、触れない。教員達は険しい表情で聞いていた。
専務が目顔で指示し、秘書らしき男性は、ケータイを片手に離席した。
大人達の会話の中で「部長」と呼ばれていた頭の薄い男性は、顔色を失い、ハンカチで頻りに汗を拭っている。
「ポーチを外して、縁側に置いて下さい。汗、流しますよ」
養護の〈白き片翼〉先生が、乾燥したハーブが入った籠を持って、B班に声を掛けた。志方は、今からシャワーを浴びるのか、と怪訝な顔をしつつも、指示に従う。
生徒達が〈白き片翼〉先生について行った先は、台所だった。ここも土間で、竈がある。土間には、ゴミ袋を被せた段ボール箱が置いてあった。
先生は、ハーブの束を手に取り、蛇口を捻った。バケツ三杯分程の水を操り、蛇口を閉める。ハーブの束を水に入れ、軽く振る。志方には薬草の種類がわからないが、淡く色付いた水は、水出しのハーブティーに見えた。
「えっと……先生、何してるんですか?」
志方の質問に、先生はハーブの束を笊に置き、少し考えて答えた。
「……あぁ、〈輪〉君は初めてでしたね。体を洗う魔法です。体を洗う時は、塩やハーブを混ぜるんですよ」
「へぇー……」
志方は先生の話に感心し、科学雑誌の水に関する記事を思い出した。不純物が一切ない超純水は、非常に強力な溶媒だ。高温・高圧の状態にした超臨界水は、ダイオキシンをも粉砕する。
「じゃあ、〈輪〉君からにしましょう」
何が、じゃあ、なのか考える間もなく、志方は水に呑まれた。原生生物のように漂っていた水が一気に広がり、志方の全身をすっぽり包む。水に包まれている筈だが、全く濡れた感じがしない。
ひんやりした水が、意思を持つ生物のように志方の体表を流れ、汗や埃を取り除く。足元から螺旋を描いて這い上がり、着ているジャージごと丸洗いする。最後に髪を一本ずつ拭うように流れると、頭の上へするりと抜けた。
志方を洗った水出しハーブティーは、薄汚く濁っていた。
水塊は注連縄のように捻じれ、先端から段ボール箱に、さらさらと灰色の粉を排出した。
これって、班長達が掃除するのと同じ術か……
志方は微妙な気持ちで、自分の身から出た汚れを見守り、先生に礼を述べた。
水塊が元の清水に戻ると、先生はハーブを足して、〈雲〉を呼んだ。魔力を温存する為か、自力で同じ術が使える三人も、先生に洗われている。
汗と埃が落ち、ついでに体温も下がった志方達は、すっかりさっぱりして、縁側のある座敷に向かった。
昼食は、熱中症対策なのか、海苔を巻いた梅干しおにぎりと、呪符素材の残りのカラアゲと、塩を振ったトマトと、井戸水で冷やした西瓜だった。
「……何か、さ、先生も警察の人も、慣れた感じだったんだけど、あぁ言うのってさ、よくある事なのか?」
志方は、隣で西瓜の種を割り箸でほじくる〈雲〉に聞いてみた。〈雲〉は手を動かしながら、やや考え、ポツリと言った。
「ん…………時々」
「あるんだ、時々」
西瓜に齧り付きながら、〈雲〉は頷いた。
全く霊感のない刑事が、志方の言葉を易々と信じ、全く疑念を挟まなかった事に納得がいった。そもそも、被害者の幽霊に聞きました、で死体遺棄事件として、警察がすぐ駆けつける事自体が、普通ではない。
魔道学院からの通報なら、間違いない。
魔道学院の生徒なら、ホンモノで、虚言癖やイタズラではない。
それが、本当に被害者の発言を伝えたものか、虚言かは、裏付け捜査ですぐにわかる。
……何か、ヤな信頼と実績だな。
志方は、縁側の向こうに広がる景色に目を遣った。
向かいの山に刻まれた棚田が、緑に輝いていた。緑は稲だ。あちら側は、現在も耕作されている。青田に屈んで、何かの作業をする人が見えた。農作業の経験がない志方には、何をしているのかわからない。
農道に軽トラが停まり、作業していた人を乗せて、どこかへ行った。
谷の上空を鳶が舞っていた。上昇気流に乗り、羽ばたく事なく夏空を行く。
谷を渡る風が木々を揺らし、梢がざわめく。
砂利道から土の農道が伸び、本部前の広場や、午後から作業する民家、その下に刻まれた棚田に続いている。
照りつける太陽は暑く厳しいが、お陰で雑妖の類は息を潜め、志方の視界には一匹も視当たらない。
時折、風に乗って、山の妖気が化したらしいモノが、梢から梢へ渡って行くのが視えるだけだ。陽に触れても消えない。「陽」または「中立」の性質を持つモノだ。人間にとって益となるか、害となるかは、人間の行動如何に掛かっている、と最近習った。
陽に透けて視えるそれは、蜉蝣の翅のようにきらめいていた。
「キレイね……」
先に食事を終え、縁側に座っていた〈三日月〉が呟いた。夏山の風景を言っているのか、漂うモノについて言っているのか、定かではない。使い魔の三毛猫梅路が、主の隣に寝そべって、欠伸をしていた。
食後、誰も何もせず、先生方に守られた安全地帯で呆けている。
これで風鈴と古い扇風機と、蚊取り線香があれば、完全に田舎の夏休みだ。
住むには不便な所だが、一時、都会の喧騒を離れて過ごすには、うってつけの村だ。
呪符等の資材代だけで、二百万円以上掛かるなら、プロの除祓師に依頼すると、志方達には想像もつかない額になるだろう。
霊的な大掃除を、高校生の自分達にさせて安く上げ、同時に魔道教育にも貢献する。除祓と経費節減と、イメージアップの一石三鳥。
役所も会社も、ちゃっかりしてるよなー……
浮世離れした場所にも、俗世の手が及んでいる。よくわからない感情が湧き上がった。胸の奥が何となく、もやもやする。
委員長が、板の間の隅で呪符を並べて点検していた。残数を確認し、険しい顔で再配布の案を練っている。緑の瞳で、烈日のような視線を呪符に注ぐ。
先生達ものんびり麦茶をすする中、〈柊〉唯一人が、緊張感を保っていた。