■虚ろな器 (うつろなうつわ)-35.離れ (2015年04月05日UP)

 〈雲〉がひらひら手を振り、班員達が掃除用具を手に、駆け足で散開する。
 それ以外、特に目立った怪異はなかった。志方達は【魔除け】が効かない雑妖を気合いで蹴散らし、短時間で母屋の掃除を終わらせた。
 その勢いのまま、離れに着手する。〈渦〉が屋根を洗い、〈樹〉が玄関を開けた。
 何もない八畳の板張りに、四角く光が落ちる。不意を打たれた雑妖が数匹、音もなく消えた。
 ここにも埃が厚く積もり、蜘蛛の巣が張っている。埃の上にある足跡は、先生が下見した時の物だろう。空気は重く澱んで、マスク越しにも黴臭い。
 全員で窓と雨戸を開け、〈雲〉が戸袋を洗う。
 傾きつつある夏の日射しが雑妖を消し去り、新鮮な風が雑妖を吹き払う。
 すっかり慣れた手つきで箒を使い、天井と壁の埃と蜘蛛の巣を払う。箒に蜘蛛の巣が絡まり、巣の主が外に逃げた。
 「あ、ここも開くんだー」
 突き当りの壁の一角が、板戸になっていた。気付いた〈渦〉が、窓からの光が届かない戸に手を掛ける。戸板の中央には、紙を剥がした跡があった。呪符と同じくらいの大きさだ。
 志方は嫌な予感がした。
 「あ、ちょ……ちょっと、〈渦〉さん、ちょっと待って……」
 一足遅かった。〈渦〉が元気よく板戸を開ける。

 納戸だったのか、窓のない小さな部屋だった。
 埃の積もった板敷の床に、市松人形が佇んでいる。肩で切り揃えられた黒髪は艶やかで、花柄の赤い振袖には、塵ひとつ付いていない。陽の射さない納戸の暗がりで、人形の白い顔と振袖の模様が、はっきり浮かび上がって視えた。
 志方は視えない手で、心臓を鷲掴みにされた。一呼吸の後、動悸が激しくなり、掌に汗が滲んだ。膝が震え、頭の中が真っ白になる。
 「あらぁー、これ、忘れ物ー? 可愛いのにねー」
 〈渦〉は全く動じる気配もない。人形を拾い上げようと、無邪気に手を伸ばす。
 志方は、数日前の白昼夢を思い出し、口の中がからからに乾いていた。〈渦〉を止めたいが、口が強張り、動かない。
 人形は〈渦〉の手を逃れるように倒れ、床に転がった。美しい髪と着物が埃塗れになる。
 「おーい、〈渦〉ちゃーん、〈輪〉くーん」
 「それ、触っちゃダメー」
 〈火矢〉と班長が呼んでいる。志方は力を振り絞り、声のする方に首を向けた。志方と〈渦〉を除く三人が、離れの戸口に居た。〈樹〉の姿は見えない。〈榊〉が叫ぶ。
 「そこ、早く出て!」
 志方は、足の裏を床に貼り付けられたかのように、動けなかった。助けを求めようにも、声が出ない。喉が引き攣り、脂汗が滲む。
 箒を投げ捨て、ポーチから塩袋を取り出しながら、〈榊〉が大股に近付いてきた。数歩手前で立ち止まり、気合いの声と共に、志方の足元に塩を撒く。奥に向かって再び歩みを進め、通り過ぎ様、志方の背中を平手で打ち、叫んだ。
 「早く逃げて!」
 志方は呪縛が解け、数歩、よろめいた。足から力が抜け、膝が床に落ちる。腕を?まれ、引き起こされた。班長が肩を貸し、志方を離れの外に連れ出してくれた。
 日射しの中に出た途端、二人は大きく息を吐き、へたり込んだ。
 「大丈夫? 今、〈樹〉君に先生呼びに行って貰ってるから」
 心配そうな〈火矢〉の声が降ってきた。志方は顔を上げる事もできないまま、這うように離れ屋から更に離れた。暑さとは違う、冷たい汗が背中を流れる。
 「はいはい、どいてどいてー」
 「やーん、お人形さーん」
 〈榊〉が〈渦〉の腕を?んで、離れから引きずり出した。〈火矢〉が離れの玄関を閉める。〈渦〉はその戸を開けようと、手を伸ばした。
 「お人形さんが……」
 「しっかりして!」
 〈榊〉が〈渦〉を引き剥がし、目の前でひとつ、柏手を打った。〈渦〉はびくりと背筋を伸ばし、崩れるようにしゃがみ込んだ。
 「大丈夫?」
 「えーっと……あれっ……?」
 〈火矢〉が顔を覗き込む。〈渦〉は状況が把握できていないらしい。キョトンとして〈火矢〉を見詰め返した。
 〈榊〉が戸口を睨んだまま、呟いた。
 「疲れてるから、憑かれたのだろう」
 「これ……ホントに、僕達でどうにかできるレベル……なのかな?」
 班長が不安げに本部に目を遣る。丁度、除祓概論の〈双魚〉先生と〈樹〉が、農道を降りて来るところだった。広場を横切り、駆け寄る。志方達はホッとして、そろそろと膝を伸ばし、立ち上がった。

 先生は、後頭部を掻きながら言った。
 「下見の時には、人形なんてなかったけどなぁ……?」
 「えぇッ!?」
 生徒達は後退った。
 「ここん家は、五、六年前に引越して、納戸の中身はその時、神社に引き取って貰ってた。先生もちょっと手伝ったから、間違いない。お札も剥がしてあったろ?」
 生徒達は首振り人形のように何度も頷いた。
 班長が、震える声で問う。
 「えっと……じゃあ、あれは……?」
 「さぁ? 大方、心霊スポット巡りに来た連中が、悪戯で置いてったんじゃないか?」
 先生は首を傾げてテキトーに推測を言い、無造作に戸を開けた。生徒達が硬直する。
 「ギャーッ!」
 「嘘ッ!? さっき閉めたのに!」
 「立った! ドールが立った!」
 「あー、はいはい、静かにしろ」
 女子二人と班長が悲鳴を上げ、〈榊〉と〈樹〉が同時に叫んだ。志方は声を出す事すらできない。
 先生は、何でもないような調子で手を振って、生徒達を黙らせた。一歩踏み込み、納戸の前に立つ人形と対峙する。先生は振り向き様、親指で人形を指した。
 「んー……、お前ら、やれ」
 「えぇッ!?」

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