■虚ろな器 (うつろなうつわ)-32.巫女 (2015年04月05日UP)
午後一時。
このまま昼寝してしまいそうな、長閑(のどか)で気の抜けた時間が終わる。志方は冷たい水で顔を洗って、気合いを入れ直した。
午後からの作業は順調だった。作業に慣れ、虫や小動物にも驚かなくなっていた。
志方達のB班は、砂利道の下、本部から遠い家から順に進め、ほぼ予定通り、午後五時前には、最後の家に取り掛かった。
委員長達のA班も、同じ事を考えていたらしい。同じ頃に広場の下、棚田と同じ高さに建つ家に入るのが見えた。
先に使った〈樹〉、〈榊〉、〈輪〉、〈渦〉の【灯】は、既に効力を失い、灰になっている。〈火矢〉が【灯】を点し、〈樹〉に渡す。
各自、最後の【魔除け】を起動し、〈雲〉は自力で魔除けの術を掛けた。
今、B班の手元にある呪符は、【防火】が二枚、【灯】が一枚。結局使わなかった【炉】が二枚、【鍵】が二枚。先生に貰った【消魔符】、【魔滅符】、【退魔符】各一枚ずつも、丸々手付かずだ。
「先生、箪笥が残ってるみたいな事、言ってたけど、何にもなかったね。A班の担当だったのかな」
安堵を浮かべる〈火矢〉に、〈榊〉が釘を刺した。
「安心するのはまだ早い。この家かも知れん」
広場の隣で、直線距離では、本部から最も近い場所にある。
「そう、だな。手間暇と魔力が掛かって、材料費も高いのに、わざわざ、使わない物を渡す訳ないもんな」
〈樹〉が、複雑な象徴が描かれた【魔滅符】を取り出し、しげしげと眺めた。
呪符に籠められた力よりも、弱い魔物を消滅させる。志方達が持つ中で唯一、魔物を直接どうにかできる武器だ。
班長が、半分以上は自分に言い聞かせるように言った。
「これで最後だし、疲れてると思うけど頑張ろう」
「はーい!」
元気いっぱい、手を挙げて〈渦〉が応えた。
この家は、B班担当の中で最も大きく、離れもあった。まず、母屋から作業を始める。先の五軒同様、屋根と戸袋を掃除し、台所に【防火】を貼る。
広く、部屋数もあったが、家財も畳も何もない。襖すらなく、ガランとしていた。長らく空き家になっていたのか、雑妖の密度は高い。
「あれっ……逃げない?」
幼児程の大きさの雑妖が、志方達を不快そうに睨んでいる。近付けば距離を開けるが、部屋から逃げようとはしない。魚のような、獣のようなモノ達が、口の中で何事か呟いている。内容は聞き取れなかった。
志方は、【魔除け】の効力が切れたのかと不安になり、ポケットを探った。先に尽きた二枚分の灰と、新しい一枚が指に触れる。引っ張り出すと、まだ効力がある証拠に、ぼんやり光って視えた。落とさないようにポケットの奥に押し込む。
視えない〈樹〉が、首を捻る志方に小声で聞いた。
「どうかした?」
「うーん……【魔除け】でさ、逃げないのが居るんだ」
「呪符より強い魔は、抗う。当然だ」
そう言って〈榊〉が睨み返すと、残っていた雑妖達は、隣室に逃げた。モップのような毛を引きずって行ったが、床に積もった埃には、何の跡も残っていない。
武闘派……この巫女さん、マジ、武闘派だ。男前過ぎんだろ……
一睨みしただけで、【魔除け】があまり効かない雑妖を追い払った。志方は〈榊〉の気魄に怖気付いた。
「怖気付けば、その恐怖心に付け込まれる。気をしっかり持って」
武闘派巫女の厳しい口調に、思わず背筋が伸びる。
いや、まぁ、その……恐いのはさ、〈榊〉さんなんだ……ごめん……
口に出さず、志方はそっと武闘派巫女から目を逸らした。
ゆっくりと息を吐き出し、腹に力を入れ、志方は改めて〈榊〉を視た。背筋をピンと伸ばし、奥の闇を見詰めている。陽の射さない古民家の中で、武闘派巫女の姿は、やけにハッキリ視えた。気魄を漲らせた巫女は、壁でもあるかのように、雑妖を全く寄せ付けなかった。ついでに、志方も近寄り難さを感じた。
「じゃ、窓、全部開けるよ」
班長に声を掛けられ、手分けして窓と雨戸を開けて回る。
襖がなく、一続きになった部屋は広大だった。壁が少なく、柱と襖だけで仕切られていたのだろう。
今、残っている等間隔の柱には、いずれも、蜘蛛の巣が張っていた。薄汚いレースのカーテンのように、久し振りに通った外の風に揺れている。
「うわッ! 皆、ちょっと、こっち来て!」
班長の声に、班員が廊下の突き当たりに集まる。
そこは、窓のない部屋だった。物置部屋らしい。
木の引戸を開けた姿勢で、班長は硬直していた。