■虚ろな器 (うつろなうつわ)-17.事例 (2015年04月05日UP)

 数呼吸後、〈雲〉が呪符から目を上げ、驚き交じりの笑顔で志方を労った。
 「これ、一晩で作ったの? 凄いね。ちゃんとできてる」
 「お、おう」
 「じゃ、これ預かるよ。魔力を籠めるのに一晩中掛かるから、明日返すね」
 「お、おう……って、えっ? 誰が何持つか、まだ決めてないしさ、当日まで、班長がまとめて持っといた方が、いいんじゃないか?」
 「あ、そっか、じゃ、持ってる」
 志方は〈雲〉と〈樹〉と連れ立って校舎に入った。何故か、懐かしいような気がする。転入して三日目の筈なのに、ずっと以前から、ここにいるような居心地のいい空気。
 白いカーテンが、朝の風にふわりと揺れる。窓から入る夏の風が、山の涼やかな生気を教室に吹き込んだ。
 教室には既に委員長〈柊〉達、もうひとつの班の生徒が来ていた。委員長達も呪符の受け渡しをしている。以前、実習で作った残りも集めて、分配について話し合っていた。

 一時間目。
 「今日は【吸魔符(きゅうまふ)】だ」
 呪符魔術の教科担任〈筆〉先生が、黒板に【吸魔符】の呪文と図の説明を描く。先生の背中で、淡い金色の髪束が、腕の動きに合わせて揺れた。
 生徒達は真剣な表情で、板書をノートやルーズリーフに書き写す。
 誰一人として居眠りせず、机の下でゲームや小型端末をいじる者もいない。教科書の該当箇所を開いて前を向き、教科担任の説明に耳を傾ける。
 「吸血鬼って居るだろ? 血ぃ吸う奴。あれの魔力版。魔法使いは、こいつを持ってるだけで、魔力を吸い取られる」
 生徒達が怪訝な顔で、教科担任の赤い瞳を見上げる。男性教諭は、若いのか年を取っているのか、判然としない口角を上げて続けた。
 「そんなもん作ってどうするんだ、って顔してるな。まぁ聞け。こいつはな、両輪の国や科学文明の国では、重宝するんだ」

 魔力の暴発事故や、犯罪者が魔法使いであった場合、魔力を持たない警官が、これを持って対応する。この呪符を接触させる事ができれば、呪符の容量いっぱいまでは、相手の魔力を安全に消耗させられるのだ。
 現場では、魔法を無効化する【消魔符】と組み合わせて使用される事が多い。また、対になる【充魔符(じゅうまふ)】を作り、それを予め水晶やサファイア等に貼っておく事で、【吸魔符】で吸った魔力をそれらに移す事が出来る。
 サファイアや大きな水晶ならば、【吸魔符】よりも容量が大きい為、ある程度、強い魔力を持つ相手にも、少ない枚数の呪符で対応できる。

 教科書には、実際に発生した事故と事件の成功事例と失敗事例が載っていた。失敗事例は、経緯と被害状況と、失敗の要因も詳しく解説されている。
 授業で……実戦での使い方、教わるのか。警察の特殊部隊ってこんな仕事なんだ……
 志方は、昨日の除祓概論で、何の説明もなく生徒に作戦会議を丸投げ……もとい、生徒の自主性を重んじ、協調性と対話力を鍛える授業にも衝撃を受けたが、今日の実務重視の呪符魔術にも、カルチャーショックを受けた。
 普通科の高校でも、例えば、社会の公民分野では、本物の新聞で最近の選挙や、実際に起きた事件等の記事を使って授業をする事がある。だが、それは如何にも「受験の時事問題対策用」で、実際の社会生活からは、何処となく乖離していた。
 まだ社会に出ておらず、選挙権も持たない志方には、どの辺りがそう思わせるのか、わからなかったが、実態からずれた現実味のない授業に思えた。
 受験には関係ない為、時間数こそ少ないが、調理実習等のある家庭科の方が、社会科よりも余程、現実の社会生活に近い。

 「この【吸魔符】と【充魔符】は、魔力を持たない者が使える魔術のひとつだ。素材の調達がちょっと厄介だが、覚えておいて損はない」
 魔力を持たない生徒達が熱心に頷く。
 「先生、これの素材ってなんですか?」
 「ホント、〈柄杓〉は一切予習しない派なんだなぁ。まぁいい。よく聞け。紙の代わりに厚手の絹。色はラピスラズリを削った粉と、魔力を持つ土地の土と、魔法使いの髪を焼いた灰の三色を混ぜる。それを溶かすのは、魔法使いの血液だ。男女は問わないが、提供者の魔力が強ければ強い程、呪符も強力になる」
 頷きながら板書を取っていた生徒達が、途中から動きを止めた。〈柄杓〉は、眼鏡を拭きながら深呼吸し、喉の奥から震える声を絞り出して質問した。
 「あっ……あの、先生……それって……にっにんげん……の?」
 「そのくらいでガタガタ言ってたんじゃ、呪符師は務まらんぞ。『殺人犯の背中の生皮』とか、もっとえげつない人間の一部を使う術もあるんだぞ?」
 その……「えげつない」ってさ、文中のどこに掛かるんだよ! 先生……!
 志方には、ツッコミの言葉を肉声に乗せる勇気がなかった。

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