■虚ろな器 (うつろなうつわ)-38.ゴミ (2015年04月05日UP)

 班長達三人は、箒の先に灯を点した〈柊〉を先頭に、家の東側を開けて回った。
 玄関の横は広い座敷で、床の間や仏壇のスペースがある。東と南が縁側で、障子と雨戸を開けて光と風を通すと、それだけで雑妖の大半が消えた。
 この部屋にも、複数の足跡が残っていた。何をしに来たのか不明だが、床の間の横の襖から、まっすぐ部屋の北側に出ていた。
 班長達三人も、足跡と同じ順路で廊下に出た。
 家を東西に横切る廊下は、突き当りにそれぞれ、小さな窓があった。西側は〈森〉達に任せ、東側だけを開ける。
 土埃に塗れた窓と雨戸が開くと、廊下に光が射した。

 北側の襖を開け、部屋に入る。こちらは座敷の四分の一程の狭い部屋だった。東側の窓の他は、三方が襖だ。窓を開けると、天井から垂れ下がった埃の塊が揺れ、ぶら下がっていた雑妖が落下して消えた。
 西の襖は押入れで、〈水柱〉が開けると、これ幸いとばかりに、雑妖が逃げ込んだ。後で始末する事にして廊下に戻り、隣の部屋に入った。
 足跡が入り乱れている。
 「昔の人って、窓のないお部屋に住んでたんだー……」
 気味悪そうに言いながら、〈柄杓〉が押入れを開けた。
 「うわっ、何これー、もーっ」
 下段に中身の詰まったコンビニ袋がふたつ、転がっている。〈柄杓〉が片手で眼鏡を押し上げ、〈柊〉も眉を顰めた。
 玄太が一声鳴いて、押入れに入った。雑妖が奥に逃げる。雑妖が散らかしたのか、奥にはおにぎりの包装が、幾つも散らばっていた。
 コンビニ袋の中身は、菓子パンの空き袋と空のペットボトルが合計五本。玄太がレシートをつつき出し、〈水柱〉の肩に舞い戻った。
 麓のコンビニだ。〈柊〉達も、買物実習で行った事がある。会計時刻は三日前、日曜の夕方だった。
 「本当に……、不審者が潜んでいるかもしれない……と言う事ですか?」
 「ちょっ……〈柊〉ちゃん、やめてよ、もー。恐いコト言わないでよー」
 「あ……ごめんなさい。でも、一応、他に人間が居ないか、気を付けましょうね」
 涙目になった〈柄杓〉が、渋々頷く。
 「少なくとも、元の住人じゃねーし。自分ちの押入れにゴミ捨ててくとか、ねーし。大体、皆が引越した後、夜中にこんな不便な所、来たってしょうがねーし」
 「どうして、夜中に来たと思うんですか?」
 ゴミを拾いながら、〈柊〉が聞く。〈水柱〉は、おにぎりの包みを拾い上げ、説明した。
 「これ。買ったの夕方だし。暑いし。賞味期限、当日だし。あんま持ち歩いたら、腐るし。店からここまで、車なら着くの夜中だし。先生みたいに、術で跳べるってんなら、別だけど……」
 「あ……あぁ、ありがとうございます。そうですよね、普通の事ですよね」
 納得した〈柊〉は、何度も頷き、礼を述べた。
 見鬼の霊視力ばかりでなく、肉眼で見える当たり前の事にも、注意を払わなければならない。先生方に、普段から口を酸っぱくして言われている事だ。
 常識。
 班長の〈柊〉は、床に目を落とした。厚く積もった埃が、足跡で乱れている。靴底の模様と大きさが複数ある。一人ではない。ペットボトルの数から察するに、五人。
 「この方達、こんな所に何をしにいらっしゃったんでしょう?」
 「委員長、マジメー。他人んちに不法投棄する輩に、敬語は要らないよー」
 軽い調子で〈柄杓〉に言われ、〈柊〉は赤くなった。
 少なくとも一人は、運転免許を持つ大人だから敬語を使ったが、外の常識では、このような行為をする人物に敬語は不要らしい。〈柊〉は、学院の勉強はできるが、外の事を殆ど知らない。
 小学校卒業まで外で暮らしていた〈柄杓〉から、学ぶ事は多かった。
 「って言うか、普通に犯罪者? ここ、もう会社の持ち物だから、不法侵入……」
 眼鏡の奥に怯えの色を浮かべ、〈柄杓〉が言った。足元をうろつく雑妖よりも、犯罪者との鉢合わせを恐れている。
 犯罪者に敬語を使ってしまった〈柊〉は、穴があれば入りたい程の恥ずかしさに、耳まで赤くなった顔を上げられなかった。
 「夏休みは、もうちょい先だけど、もう暑いし。肝試しか、心霊スポット巡りのオカルトマニアかも知れないし?」
 「あー、そうかもね。B班、幽霊に会ってたね。そうでなくても、雑妖だらけで、ゾクゾク……」
 少し安心した〈柄杓〉が、〈水柱〉に相槌を打った。
 生きた犯罪者よりも、幽霊や雑妖の方がマシと言う価値観は、果たして外の世界でも通用するのだろうか。
 「さっき梅路に視せてたし、誰も居ないって言ってたし。〈三日月〉さんを信じてさっさと片付けよう」
 ゴミ袋に押入れのゴミを片付け、〈水柱〉が廊下に出た。

 足跡は、東に続いている。
 ぼんやり光る箒を手にした〈柊〉が、先頭を歩く。足跡はともかく、取敢えず、家の中央を走る廊下の突き当たりに進んだ。〈水柱〉が前に出て木のドアを開けると、壊れた家電製品が放置されていた。埃を被り、蜘蛛の巣を纏っている。
 「不燃ゴミは、業者さんに回収して戴くから、庭に出すだけでいいんですよね?」
 「うん、そう。でも、このテレビ、おっきくて重そう……」
 「それは、男子に任せてくれたらいいし。それよか、占いで何かわかったりしない?」
 「えぇっ? 何かって何? って言うか、そう言うの、先に言っといてくれないと、カードも何も持って来てないのに。何もできないよー」
 想定外の要求に〈柄杓〉が狼狽える。
 何事にも適切に対応できるように、用意は万事抜かりなく。〈柊〉はこっそり心の中にメモした。
 「何か、気になる事でもあるんですか?」
 「何でわざわざ、ここに来たのかなって。他にも家はあるし」
 納戸の東隣の部屋を開け、〈水柱〉は答えた。闖入者に驚いた雑妖が逃げ惑う。ここも窓のない部屋だ。突き当り……北の襖は押入れだった。

 この部屋には、足跡がない。
 「肝試しも心霊スポット巡りも、建物の中、全部探検したり、村中全部の家に入ったり……すると思うの」
 部屋を仕切る東の襖を開け、〈柄杓〉が〈水柱〉の言葉を継いで呟いた。
 廊下は「キ」の字を垂直にしたように通っていた。家の北端にあたるここは、幅の狭い部屋が三つ並んでいるらしい。
 真ん中の部屋にも、雑妖が巣食っているだけで、何もなかった。
 複数の足跡が、部屋を仕切る東の襖から出て、この部屋の隅を通り、南の襖から廊下に出ている。

 B班担当分は不明だが、A班が処理した他の五軒には、一人分の足跡しか残っていなかった。下見に来た〈双魚〉先生だ。
 三日前の訪問者は、深夜、街灯のない廃村のこの家に、直行した事になる。
 県道から村に入る道は生い茂った枝に半ば隠れ、知らない人間ならば昼間でも、見落とすだろう。ドライブの最中に迷い込んだにしても、舗装されていない砂利道だ。誤って脇道へ侵入した事には、すぐ気付くだろう。
 この家を訪れるには、砂利道で車を降り、半ば崩れた狭い農道を徒歩で下って、村の中央広場に降り、そこから更に、狭くて急な階段を降りねばならない。他の家より一段低い位置にある。夜になれば、燻瓦の屋根は闇に溶け、砂利道からは視認できなくなる。

 南の襖を開け、〈柄杓〉が廊下から〈柊〉を呼んだ。魔法の明かりに照らされた廊下には、先程見た足跡が続いている。
 ゴミがあった部屋の北東角の襖から出て、廊下を東に横切り、北東端の部屋に入った形跡があった。
 〈水柱〉が、廊下の東端の窓と雨戸を開ける。日と風に雑妖が散り、足跡がよく見えるようになった。
 足跡の向きから、北東端の部屋に入り、隣にある真ん中の部屋から出て、元来た道を引き返したらしい事がわかった。
 〈柊〉が、北東端の部屋の襖に手を掛けた。びくともしない。
 「あれっ? これ、開きません」
 「何か、ガラクタでも引っ掛かってるかもしれないし?」
 「見てきます」
 「あ、〈柊〉ちゃん、一人じゃ危ないよー」
 女子二人が隣室に入るのを、〈水柱〉は漫然と見送った。鴉の玄太を窓の桟に止まらせ、天井の埃を箒で掃き落とす。
 北東端と中央の部屋を仕切る襖は、何の抵抗もなく開いた。〈柊〉は、灯を点した箒を持ち、北東端の部屋に入る。〈柄杓〉が、中央の部屋で北側の押入れを開けた。
 床に呑まれるように魔法の灯が消え、部屋が闇に落ちる。
 「えっ? ウソ、何で?」
 「わかりません。術の効果が切れるには、まだ早い気がしますが……窓を開けますね」
 自分を落ち着かせる為、〈柊〉は現状を冷静に確認し、為すべき対応を宣言した。〈柄杓〉は隣室に留まっている。廊下で箒を使う音が、襖越しに聞こえた。雑妖が我が物顔で、足元を走り回る。
 肉眼は闇に慣れておらず、開けても閉じても同じだ。黒い澱の中では、自分の手元すら見えない。〈柊〉の見鬼としての眼は、闇に蠢く雑妖をはっきり捉えていた。個々の肌の色や、服の破れや汚れまで視える。
 雑妖の動きを頼りに、箒を杖とし、そろそろと足元を探りながら、窓を目指す。
 突然、足が重くなった。

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