■虚ろな器 (うつろなうつわ)-43.夕闇 (2015年04月05日UP)

 外の風は涼しく穏やかで、疲れ切った志方達を労(いた)わるように廃村を渡った。踏み固められた土の農道を通り、手すりのない、山道同然の細い階段を登る。
 志方は、広場で振り返った。
 洗浄済みの瓦屋根が、夕日を受けて鈍色に輝いている。外から見る分には、キレイな田舎家だ。棚田に生い茂った夏草が風に揺れ、シオカラトンボが飛び立つ。
 志方はトンボの行方を目で追い、同級生の後を追った。
 事務員は、険しい顔で本部の縁側前で待っていた。生徒が全員揃っている事を確認し、?を緩める。紙コップに麦茶の残りを注ぎ、一人ずつ手渡して労(いたわ)ってくれた。一杯飲んで一息吐くと、台所に通され、〈匙〉先生と〈白き片翼〉先生に洗われた。
 攫われそうな意識を何とか繋ぎ留め、生徒達は立っていた。
 委員長は、〈白き片翼〉先生の上着の裾を掴んで、放そうとしない。先生は〈柊〉のしたいようにさせて、事務員に言った。
 「〈双魚〉先生は、まだ警察の方にご用がありますので、子供達を先に帰らせて下さい」
 これからの事を案じたのか、事務員は険しい表情で頷いた。
 事務員と〈匙〉先生が、マイクロバスに荷物を積み込む。手伝えとは言われず、その気力もない。〈白き片翼〉先生と委員長が、本部の戸締りをした。委員長も、先生と離れたくない一心で、ついて回っているだけだ。
 志方達は、縁側に座ってぼんやり、向かいの山を眺めていた。気が抜けて、座った途端、居眠りを始めた生徒も居る。暮れなずむ山の陰は深く、塒(ねぐら)に帰る鴉の群れが、数羽毎に分かれて山の向こうに消えてゆく。
 風が凪ぎ、叢で虫が歌い始めた。
 志方は気力を振り絞って、向かいの山を見詰めた。
 山の気が化したモノ達が、蝙蝠と共に夕凪の空を漂っている。志方は戸袋の群れを思い出した。〈渦〉の突飛な行動と、蝙蝠の群れに驚いた事が、遠い過去に感じられた。とても今日、同じ一日の出来事とは思えない。手足が重かった。
 捜査員が二人、細い階段を登って来た。砂利道に出ると会釈し、パトカーに向かう。
 「専門の捜査官が近くまで来たので、誘導に行きます」
 「ご苦労様です。お気を付けて」
 丁度、荷物を積み終えた〈匙〉先生が、捜査員を労(ねぎら)った。鏡は捜査に必要なのか、まだ例の古民家にある。

 あの人達ってさ、何なんだろうな……

 軽いノリのリア充系集団だった。まだ、あの五人の仕業とは断定できないが、可能性は高い。
 あんな軽いノリでさ、委員長達は……化け物に食い殺されそうになったんだ。
 何を思い、何の目的で、何故、深夜にこんな場所を訪れ、複雑な魔法陣を描いたのか。志方には想像もつかない。
 最低でも、俺達にゴミ、片付けさせようとしてたしさ、不法投棄と不法侵入だよな。
 五人の声の調子には、悪事を働く事への畏れは、微塵もなかった。寧(むし)ろ、これから行う事への期待と昂揚感に、はしゃいですらいた。魔道学院の生徒が数日後、清掃に訪れる事を知った上での不法侵入、不法投棄。そして……
 もしホントに、あの人達が魔法陣、描いたんだとしたらさ……ガチで殺しにかかってる? ……俺達を……? 何で……?
 志方は、体の芯に氷塊が発生したように、一瞬、呼吸が止まった。一番考えたくない可能性に思い至り、一気に眠気が吹き飛ぶ。
 縁側の雨戸が閉められ、志方達はマイクロバスに移動させられた。
 シートベルトの装着を確認すると、事務員はエンジンを始動した。

 砂利道を戻り、緑のトンネルを抜け、アスファルトの県道に出た辺りで安堵したのか、縁側では眠らなかった生徒達も、寝息を立てている。視えない〈樹〉も、志方の隣で眠りに落ちていた。
 東の空は既に濃紺に染まり、西の空には夕日の残滓が輝いている。羽虫を追って舞う蝙蝠に混じって、雑妖や闇に属する山の化生(けしょう)が、宙を漂い始めた。
 眠れない志方は、学院への帰路、悪い夢のような現実の魔物を視ながら、今日一日を反芻した。
 山の陰に入る度に、闇が落ちる。点在する街灯と、マイクロバスのヘッドライトの他に、灯は見えない。対向車もなかった。
 車窓を流れる黄昏の闇に目を凝らすと、山の妖魔が犇めいていた。牛馬に似たモノ、人に似て非なるモノ、草木の化したモノ、鳥のように飛ぶモノ。ヘッドライトを浴びても影を生ずる事なく、木立の影を背景に、幻のように現れては消える。逢魔が時の車窓の外で、謡うような声が、長く尾を引いた。

 マイクロバスが学院の敷地内、結界の内側に入ったのは、日没後だった。車窓から、ふっつりと妖魔が消える。
 事務員は、寮の玄関前にマイクロバスを横付けにした。校長と教頭、〈筆〉先生と管理人が、高等部一年の帰りを待っていた。
 「皆さん、よく頑張りましたね」
 「みんな、命が助かってよかった」
 「お疲れ様、大変だったね」
 マイクロバスから重い足取りで降りて来る生徒を、校長、教頭、管理人が口々に労(ねぎら)い、肩を抱く。半数以上の生徒が、安堵の涙を零した。
 「今夜は眠れんだろうからな。これ、使え」
 呪符師の〈筆〉先生が、一人一人に【安眠】を手渡した。

 いつもより遅い夕飯は、炙った鶏ハムとサラダ、ご飯と味噌汁だった。
 給食のおばちゃん達は、既に退勤していた。管理人が味噌汁を温め直し、冷蔵庫からラップのかかったおかずを出す。
 「今日と明日は、食堂の当番と掃除当番はお休み。その代り、ゆっくり眠って」
 管理人がカウンターの向こうから、夕飯をもそもそ口に運ぶ十二人に言った。心なしか、声音がいつもよりやさしい。
 志方は食欲がなかったが、体調を考え、半ば無理矢理、サラダを口に押し込んだ。食べ始めると、胡麻ダレの香ばしさに促され、すんなり箸が進んだ。
 誰も何も言わず、箸が食器に触れる音が、灯を半分落とした人気(ひとけ)のない食堂に反響する。
 通夜の会食の方が、余程賑やかだ。
 後から入ってきた〈匙〉先生と〈白き片翼〉先生は、自分で配膳して食事を始めた。〈双魚〉先生はまだ戻らないらしい。
 担任の〈匙〉先生は、明日の授業が休みになった事だけ告げると、一気に掻き込み、慌ただしく出て行った。
 疲れ切って、一刻も早く休みたい筈だが、自室で一人になるのが怖いのか、食事を終えても、ちびちびと麦茶で口を湿らせ、生徒は誰も席を立たない。
 食事を終えた〈白き片翼〉先生が、穏やかな声で言った。
 「今夜は〈匙〉先生と私が、談話室に泊ります。どうしても眠れなければ、降りてらっしゃい」
 生徒達は互いに顔を見合わせると、そろそろと腰を上げ、自室に戻った。
 志方は枕元に先生の【安眠】を置き、辛うじてパジャマに着替えた。手足が重く、布団をめくる事さえ、おっくうだった。蚊の鳴くような声で、何とか呪符の効力を発動させた所で、意識が途絶えた。

42.検証 ←前 次→ 44.推理
↑ページトップへ↑

copyright © 2014- 数多の花 All Rights Reserved.