■虚ろな器 (うつろなうつわ)-33.箪笥 (2015年04月05日UP)

 一棹の和箪笥が、ポツンと取り残されている。他には何もない。
 資料館で見た民芸品の箪笥に似ていた。時を経た木地は、濃い飴色に変色している。角と引出しの金具には、錆が浮いていた。
 試験直前、〈双魚〉先生が言っていた「付喪神が居る要らない家具」とは、これの事だろう。箪笥と壁の間には、蜘蛛の巣が張っていた。
 物置部屋には、雑妖が全く居ない。
 部屋の気配は鎮まっている。
 「これがー、先生の言ってたー、要らない家具ー?」
 「……要らない……? 要らない……要らない……」
 目の前の古箪笥から、か細い女の声が聞こえた。一同、無言で顔を見合わせる。視えない〈樹〉にも、その声は聞こえたらしい。
 「今、何か……言った……?」
 血の気の引いた顔で、班長の〈雲〉に聞く。班長は、辛うじて首を縦に振った。箪笥から、すすり泣きが漏れる。
 「先生さ、『家具』としか言ってなかったよな。何で〈火矢〉さん、箪笥って……?」
 「知らない、何も知らないよ。何となく思ったって言うか、殆ど無意識って言うか……あれっ……? 何か、さっきのって、何か、こう……口が勝手に喋ってた……みたいな?」
 志方が、ふと気付いた事を聞くと、〈火矢〉は蒼白になった。〈渦〉が頷いて〈火矢〉の肩に手を置く。
 「あー、あるあるー。箪笥さんがー、呼んでる声、拾っちゃったって事だよねー」

 何、その、毒電波受信ラジオ……

 志方は、人形の白昼夢を思い出し、肌が粟立った。この村のどこかに、あの人形が在る可能性に思い至り、背筋に悪寒が走る。
 「先生は、害はないからキレイにしてやれ、と言うておった。取敢えず、掃除だ」
 「ご、ごめん……僕、ちょっと、水、汲んでくるね、ここ……頼んだよ、ごめん」
 〈榊〉が物置部屋に足を踏み入れる。〈雲〉は震える声で離脱を詫びながら、廊下を走って行った。
 「一人だと危ないよ、待って」
 〈火矢〉が後を追う。
 ツクモガミって神様なんだろ? 二人とも何でそんな怖がってんだ? 邪神? でもさ、先生は「害はない」って言ってたしさ、何か泣いてるし……

 箪笥の奴めが、またぞろ泣いておるわぃ。
 めそめそめそめそ、うっとおしい事よの。
 皆、相手をするでないぞ。しつこいぞよ。
 毎度毎度、繰り言ばかり。うんざりじゃ。
 ほんに、ほんに、煩わしい事この上ない。

 先程〈榊〉に睨まれ、退散した雑妖達が、廊下の隅で額を寄せあい、小声で喋っている。
 何だそれ。この箪笥、雑妖にウザがられるレベルの構ってちゃんなのか?
 志方は、この部屋に雑妖が居ない理由がわかった。それでも、〈榊〉一人に押し付ける訳にはいかない、と物置部屋に踏み込む。ひんやりとした空気に、思わず立ち竦んだ。廊下より二、三度低く感じる。〈樹〉も後に続いた。
 「ま、固まってても仕方ないしー、私、あっちお掃除するねー」
 軽やかに手を振り、〈渦〉は一人で廊下の奥に歩いて行った。
 武闘派巫女は、すすり泣く箪笥をものともせず、箒で天板の埃を払っていた。蜘蛛の巣に、埃が降り積もる。
 志方も箒で蜘蛛の巣を払った。〈樹〉が床を掃く。ちりとりで埃を集めた所に、〈雲〉がバケツを持って戻って来た。軽く息切れしている。
 「〈火矢〉さんは、〈渦〉さんと一緒に、部屋掃除、してくれてるよ」
 「うん、あ、水汲みありがとう」
 志方がバケツを受け取る。班長の〈雲〉は、箒を手に取り、申し訳なさそうに言った。
 「……あの、僕、廊下掃除、しとくね」
 「おう、頼むよ。後で仕上げ、よろしくな」
 軽い調子で〈樹〉が応じ、〈雲〉はそそくさ、その場を離れた。志方と〈樹〉が雑巾で箪笥を拭き、〈榊〉はモップで床を擦る。
 「また、誰ぞ使うてくれるのかえ?」
 箪笥に話し掛けられたが、誰も返事をせず、黙々と掃除を続ける。箪笥はお構いなしで、喋り続けた。
 「少し前にな、夜中に一人で、それはもう、退屈で退屈で……儂は物思いに耽っておったのよ。我知らず、独(ひと)り言(ご)ちておったのだろうの。明くる朝、家人が寄り集まって、儂を捨てる算段をしておった……」
 夜中に独(ひと)り言(ごと)を言う箪笥ってさ……ダメ過ぎんだろ……何の神様だよ、これ……
 志方は、こびり付いた埃を拭く手を休めず、内心、ツッコんだ。
 「着物は行李に移され、儂は庭に引き出されてしもうた」
 〈樹〉が引出しを開ける。密閉度が高いのか、中はキレイだった。かなり腕のいい職人の作なのだろう。黙っていれば、質のいい桐の箪笥だ。
 何もせず、そのまま閉める。下の段が少し開いた。〈樹〉は引出しの上段を手で押さえ、下段を膝で押し込んだ。
 「家人は儂を風呂の焚きつけにすると言うての、斧を取りに行きおった」
 志方は、箪笥の話に聞こえないフリをしつつ、雑巾を洗った。瞬く間にバケツの水が黒く濁る。
 積年の埃が落ち、気分が良くなったのか、久し振りに話し相手が来たからか、箪笥は饒舌だった。
 「儂は、焼かれてはかなわんと思うての、逃げたのよ。一人で裏の藪に逃げた。そりゃあもう、必死でな。大急ぎで家の裏に回った。初めてとは言え、存外、走れるものじゃ。家人は寸の間、目を離した隙に盗まれたと言うて、騒いでおった。儂が一人で逃げたなどと、思いもよらなんだのだろうの。隠れておった儂を見つけて、肝を潰しておったわい」
 そりゃ、驚くよ。
 志方と〈樹〉は、汚れを落とした雑巾で、箪笥の側面を拭いた。天板程ではないが、こちらも埃が付着して、見る見る内に雑巾がざらざらに汚れた。
 真っ黒の雑巾を裏返し、引出しの前面も拭く。鋳物の把手をひとつずつ、丁寧に磨く。錆の粉が剥がれて床に散った。
 「寄り集まって、何やら相談しておったが、何を思うたか、儂をここに閉じ込めよったのよ。永らく一人でおって、退屈で退屈で……お主ら、よう来たの。また、使うてくれる気になったのかえ。その娘の着物を入れるのかえ? 大事に守ってやるぞよ。儂は七代前の当主の嫁の嫁入り道具じゃ。上等の着物を大事に守るが役目ぞ」
 〈榊〉はそれに答えず、志方達に話し掛ける。
 「裏側も拭いてくれないか?」
 「おぉ、気が利くの。えぇ娘じゃ、えぇ娘じゃ」
 箪笥が、ガタリと音を立てて揺れる。前のめりに傾き、天井付近まで浮きあがった。
 「うわぁああぁあぁああぁッ!」
 三人の声が重なった。心配する級友の声と、こちらに向かう足音が聞こえる。
 「立った……! タンスが立ったッ!」
 「だから使って貰えんのだ! 馬鹿者」
 「立つなよ! 怖ぇよ! 化物じゃん」
 箪笥の底面から、太く逞しい足がすらりと伸び、仁王立ちしていた。側面からは、白く華奢な腕も生えている。天板は、物置部屋の天井すれすれの高さにあった。
 〈樹〉、〈榊〉、志方の叫びに、箪笥が項垂れる。
 駆けつけた〈雲〉が、尻餅をついた。
 近くに居た雑妖達が、廊下の天井にぶら下がり、物置部屋を覗きこむ。
 「えぇーッ!? ナニこれーッ!?」
 「ミミックみたい……」
 驚く〈渦〉と呆れる〈火矢〉。
 これ、ホントに神様なのか? どっちかっつーとさ、妖怪っぽいんだけど……
 志方と〈樹〉が、横目で箪笥を捉えながら、班長を助け起こす。〈雲〉は箪笥を見上げ、溜め息を吐いた。
 「先生は、ああおっしゃってたけど、これって、ホントに大丈夫なのかな?」
 「こんな山奥の古民家で、歩きまわったり、夜中に独り言言ったりする箪笥」
 「……普通に考えたら……無理……だな」
 今、見聞きした事を〈樹〉がまとめる。志方が班員を見回すと、〈榊〉が腕組みして重々しく頷き、「無理」の一言に集約した。
 「付喪神は、あんまり害のない妖怪だって、聞いてたんだけど……」
 「こんなアクティブなのー、初めて見たー」
 「えっ? 妖怪? 神様じゃねーの?」
 志方が〈火矢〉の言葉にギョッとする。戸惑っていると、〈樹〉が解説してくれた。
 「付喪神は、百年の時を経た器物が化した妖怪。ずっと仕舞われてた古い木枕が祟って、その家の人を病気にした例もあるから、完全に無害って訳じゃないみたい。その枕を焼いたら、病気は治ったらしいけど」
 「儂は人に害なぞ成さんぞ。ただ、使うて欲しいだけじゃ。今もただ、背中を拭きやすいようにと思うてだな……そもそも、ここは狭くて暗くて退屈で、守る着物が一枚もない。儂の虚ろを満たしてくれりょ」
 箪笥が、物置部屋の中央に歩み出て、ごにょごにょと言い訳めいた事を言っている。志方達は、そっと後退して、廊下に出た。

 「これ、どうするの?」
 声を潜めて、〈火矢〉が言った。班長は首を横に振って目を閉じた。〈樹〉がウェストポーチから、自分に割り当てられた呪符を取り出す。
 「もし、どうにかするんなら、これを使うんだろうけど……」
 呪符より弱い魔物を消滅させる【魔滅符】だ。
 「でもー、先生はー、放っといていいってー……」
 「うむ。無闇に祓うのもよくない。あの部屋には雑妖が居らんだろう。あれが居るせいで、寄りつかんのだ」
 〈渦〉の発言に〈榊〉が同意する。志方は物置部屋を視た。確かに、掃除する前から、箪笥の他は蜘蛛しか居なかった。
 「えーっと……じゃあ、どうするんだ?」

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