■虚ろな器 (うつろなうつわ)-18.携帯 (2015年04月05日UP)

 放課後、試験前の中高生は、教室に残って勉強するか、一目散に寮に戻る。
 校庭では園児と児童が、伸び伸び遊んでいた。
 普段は部活で使う為、ちびっ子達は広々と使えないのだろう。麦藁帽子の集団が、校庭いっぱい走り回り、鬼ごっこをしていた。
 志方は、ちびっ子達の歓声をBGMに、呪符魔術の教科書と向き合っていた。
 昨夜同様シャーペンの先で、【魔除け】の呪符を繰り返し、なぞり続ける。【灯】よりも複雑で、一回辿るだけでも時間が掛かった。夕凪に澱んだ空気は蒸し暑く、肺が重い。
 ノックの音で、教科書から顔を上げる。

 夕飯の時間だった。
 「言うの忘れてたんだけど、血の容器、洗って持って行ってね」
 ドアを開けると、班長の〈雲〉と〈樹〉だった。班長は空の容器を見せながら、申し訳なさそうに言った。〈樹〉が補足する。
 「傷んじゃうから、一日経ったら交換するんだ」
 「あ、あぁ、わかった。洗ったらさ、すぐ行くから。先、行っててくれ」
 部屋に引っ込み、引出しを開ける。容器の中身は分離し、底に沈んでいた。水面付近には、上澄みの成分がこびり付き、輪染みになっている。
 手洗い場で中身をあけ、水洗いする。匂いを嗅ぎたくないので息を止めて作業した。水流だけでは、輪染みや底のぬるつきが取れず、仕方なく指を突っ込んでこすり落とした。
 数分遅れで食堂に入る。

 夕飯は、鶏の葱塩焼きと、海藻サラダとご飯、チキンスープ。デザートに西瓜もついていた。西瓜の汁が鶏の血を思い出させる。
 志方は心の中で鶏に手を合わせ、箸を手に取った。
 今日も、給食のおばちゃん達の仕事は完璧だった。
 しっかり血抜きされた朝引き鶏は、噛めば噛む程旨みが滲み出す。脂のほのかな甘みを葱の辛みが引き締め、程良い塩気が夏バテ気味の体に食欲を与えてくれた。澄んだ黄金色のスープは鶏ガラの出汁がしっかり煮出され、舌の上に濃厚な余韻を残した。
 一品ずつ片付ける派の〈雲〉が、先に海藻サラダの小皿を空けて、同じ卓で食べる班員に聞いた。
 「実習で作った呪符、まだ使ってないの、ある? 魔力が未充填でもいいんだけど」
 「あうあうー」
 口いっぱいに葱塩焼きを頬張ったまま、〈渦〉が返事をした。〈榊〉が、お婆ちゃんのようにそれを窘める。
 「〈渦〉ちゃん、お行儀悪い」
 「むぐ。……あるあるー。余ってる。書いただけでー、魔力入れてないけどー」
 言われた〈渦〉は大急ぎで噛んで飲み下し、改めて答えた。他の面々も何枚か持っている、と応じた。
 「ね、何があるかわかんないから、それにも魔力を充填して、持って行こうよ。テストの前、最終的に何が何枚あるか数えてから、分配を決めればいいんじゃない?」
 「そだね。何があるかわからないし、一応、あるだけ全種類持って行こう」
 均等に三角食べする〈火矢〉の提案に一同、頷いた。
 余りなど最初からない志方は、その夜も呪符作りに専念した。
 夕飯前の続きで、教科書を数回なぞって練習し、ルーズリーフの切れ端にシャーペンで書き出す。書き間違えては丸めて捨て、またイチから書き直す。消しゴムで消せるが、敢えてそうしない。
 本番さながら、一発書きでの完成を目指し、何度も何度も練習する。
 書いては捨て、捨てては書いて、漸く一枚、間違えずに書き上げた頃には、日付が変わっていた。今から本番用の用紙に書き始めるのは、流石に辛い。右手のペンダコは固くなり、途中、風呂で多少ほぐしたものの、肩も凝っていた。
 鶏には申し訳ないが、今夜はもう休む事にした。

 志方は、一般教科の試験には、朝の授業開始前と各休み時間だけの勉強で臨んだ。テスト期間に土日が挟まったが、呪符魔術以外の特別教科は、教科書のテスト範囲を読むだけで精一杯。後の時間は、全て呪符作りに注ぎ込んだ。
 結果は、見るまでもない。
 これまでの志方ならあり得ない事に、勉強に夢中で、携帯のチェックをすっかり忘れていた。実技試験前夜の風呂上り、〈樹〉に教えて貰って管理人室に行き、携帯電話を返してもらう。
 「早く終わったら、ここに返しに来て。九時になっても戻ってなければ、私が回収に行くから。忘れないで」
 鍵の掛かる保管棚から、志方の携帯を取り出し、〈管理人〉が簡潔にルールを説明する。
 女子寮側から、〈柊〉が管理人室に駆け込んできた。
 髪を乾かす時間も惜しんだのか、明るい栗色の毛先から、滴が滴り落ちている。パジャマの肩に掛けたバスタオルが、重く濡れていた。〈管理人〉は、〈柊〉が用件を言う前に柊マークの扉を開けた。
 「あぁ、はいはい、そんな慌てなくても、ちゃんと渡すから、廊下を走らないで」
 苦笑混じりに携帯を手渡された〈柊〉は、短く礼を述べ、ぺこりと頭を下げると、志方には目もくれず、足早に女子寮に戻った。
 志方は、その後ろ姿をぼんやり見送った。管理人室の隣にある娯楽室を覗くと、テレビを見ながらケータイをいじっている者が、数人いた。中学生の〈二ツ火〉と〈三ツ柏〉は、テレビに夢中で、志方に気付かない。
 俺らは明日実技だけど、こいつら、明日も普通のテストなのに、余裕だなぁ……
 志方の携帯は、充電が切れていた。自分も映画を見たかったが、仕方なく部屋に戻った。

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